あっちとこっちの真ん中で。
死生観というものをじっくり話す機会は、なかなか訪れない。
私の夫は極端に「死」を恐れている。
想像の何倍も「怖い、辛い、やめてくれ」と思って居ることが分かるのであえて口にしない。彼がそれに触れることのないように、出来うる限り、先回りして隠してまわっている。
そんな夫の趣味は古墳踏査。山の中を藪漕ぎして見つけた古墳石室は、まるであの世とこの世の間のような場所だと思うのだが。
恐るからこそ神聖なものとして、強い興味の対象となるのだろう。この感情は、古墳を作り、埋葬し、守った古墳時代の人たちにも通じる部分があるのではないか。それは、羨道にぎっちりと詰められた閉塞石を見るときなどに感じること。
あの世で、楽しく快適に過ごしてほしいという願いを込めた葬送をしながら、私はあの世は無くて、本当に何にも無くなってしまうのだろうなぁとも思う。
無いかもしれないあの世に向けて、文明が生まれた頃から連綿と続く祭祀。なんて人間らしいのだろう。
古墳を知ることは人々の想いや祈りを知ること。
藪漕ぎして古墳を見つけ、静かに石室に入って息を凝らす時、私は夫と死生観を語り合っているのかもしれない。
1基でも多く古墳を巡りたいです。毎年開催している古代フェスで、更におもしろいことを企画する活力になります。