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”社会への影響”として”これから”やること

インドに戻り、移動と時差から肉体が声をあげているのは良く分かっている。自分に割と時差とか高度とか辛さとか痒さとかにとても弱い身体です(笑)

改めてこれから何をするかを簡潔に。そこに込めた想いを書き出すと“ながく”なってしまうので割愛します。
ひとつひとつはいくらでも長文で今後書きます。書きたいので(笑)

①アメグミインド
1.オンライン端末の普及
どんな良いオンラインサービスもこれが無ければ広がらないので広げます。
Jioやlava、Micromaxというインドのプレイヤーと共に(競合ですが)現在50~60%程度のスマホ普及率を上げつつ場所によらずに良いサービスへアクセスする最低限の機会を提供していきます。

2.ポートフォリオサービスの展開
“どこのだれか”が分からないがゆえにその最低限の機会(政府からの援助、受けられる可能性がある奨学金、仕事など)から離れている人がいます。その人たちの“がんばり”をデータで見える化して機会へアクセスできる機会を届けていきます。
様々な課題があることで、あまり共に競合するプレイヤーが見当たっていないですが、恐らく知らないだけだと信じ、勉強しつつ協業していきます。

②NPO結び手
Conscience to Conduct~想いを形に~というコンセプトのもと、下記3つを達成して「“ここに産まれたから”“ここにいるから”という言葉を世の中から無くします」(愚痴はOKです)
1.外部環境によって機会が無い人へ機会を提供する
命のために寄付が必要な現場、これからを考えた時に最低限無いと“取り残され、放置が固定化され得る”ような環境を無くします。
ポール・コリア―氏の最底辺の10億人の様なことですが、“統計的にみたら世界はよくなっている”としてもだから誰もがそちらの方向に向かっているかというとそうでも無さそうなので私もアプローチします。

2.お金やノウハウが無くて活動したくてもできない人をゼロにする
現場で活動するとても素敵で尊敬できる方々と協業・補完し合い、活動します。
例えばインドのNGOとプロジェクトを組んでその推進をサポートします。
割と世界的にこの流れはあり、“私”がやる必要がそこまで高く無さそうですが、とはいえ私の影響の範囲にその状況があることも事実なので活動します。

3.他人のために何かしたくてもできない人を無くす
これは日本の方とお話するときや、私の近しい方からも耳にしたことがありますが、“他人のために何かしたくても実行する場がない”“見つからない”という状況を無くします。例えば再雇用を終え、金銭的に多少の余裕があり、いわゆる社会貢献活動へ参画したくてもその場が探しにくいという現状は確かにあるように思われます。私としては資本主義の中で数十年働いて日本の発展のために尽力されてきたことそのものが社会に貢献しているように思えますが、より熱意を持ち、さらにこの先のために共に活動されたい方が知見・経験・資金を活用できる場を提供していきたいと考えています。そもそものその場を共に創っていけたらと考えています。

追って多くの方に個別で相談の連絡をさせていただこうと勝手ながら考えております。
もしお時間いただけましたらお話、ご意見、共に活動等いただけますととても嬉しく想います。



この2つがメインになり、ほとんどの発信はその様な内容になりますが、今までやってこなかった現場の動画配信も積極的に実施します。そのためにジンバル?(最近覚えたはずですが未だに名前に違和感があります)買ってきました(笑)

緊急性が高い、すなわち人の生き死にが関わっている、寄付活動を通して自分の影響の範囲の狭さと影響の遅さを知り、生き延びることができた人を放置してしまった自分の悔しさ、今まで何をやっていたんだという想いもあり、NPOという手段も活用します。

以下いつもの長文です。
いつも応援してくれる温かい私の祖母から“なぜ貧困問題に関心もったの?”“なんでインドなの?”と問いをいただき、それに対して送った長文をそのまま内容部分貼ります。

私が貧困課題に対して想いを持つ様になったきっかけですが、様々絡み合っているなぁと感じます。

現在は日本も含めて国や地域問わず"外部環境が原因で機会がない人"がいない世の中にしていきたいと考え、行動しています。

最初は母から常に"他人のために役立つ人になりなさい"と言われていたことや何となく貧しい人が可哀想だなと小学生の頃感じていたのを覚えています。

高校の頃は日本の教育を変えて、多くの才能ある日本人の人が元気に生きつつ貧困課題解決できる様な人を多くしたいなと文科省を目指して東大に入るため勉強していました。

大学では教育学を学びながら教育の力の限界や文科省の立場、官僚の限界、などを感じつつ次第に哲学や宗教の勉強をするようになりました。

その中で生きる理由やお金を稼ぐとは何か、仕事とは何か、社会とは何かなどを考え、学び、何か仕事をして他人に影響を与えるのならどの様な影響を与えた結果、対価としてお金をもらうのかを納得した上で仕事をしたいと思いました。
同時にそれがどの様な影響の仕方なのか、誰に対しての影響なのかなどが分からず、逃げる様にバックパッカーの旅に出ました。

その中で親しくなった人が同時に"ここに産まれたから日本に行きたくても行けない"と言っており、その人が暮らす環境は本人の努力不足という言葉では十分に納得できない様な状況でした。
この様な環境が多くあることを知っていながら実際に目にして親しくなったのは初めてで、どこかこの様な環境そのものや、何もできない自分に腹立たしさを覚え、同時にこういった状況を減らす、無くすためなら自分の人生、命を通して影響を及ぼし、堂々とお金を稼ぎ、もらう覚悟ができ、今も同じ考えでいます。

インドを最初に選んだ理由は、貧困状態の方が最も多い国でありながらも一部発展していることから最低限の援助も入りにくくなっていること、カースト制度という国内の人からしたら当然の文化、国際機関などからしたら内政干渉になるためアプローチしにくいと考え、政治的に縛られることがなく、外国人である私が行動する価値があるのではないかと思い、選択しました。

寄付を募って現場で命を救うための活動をするたびに、なぜその様な状況が未だにあるのか、なぜ私たちは影響及ぼしつつも結局寄付に頼らなければいけない状況のままにしているのか、様々悔しく感じつつも、兎に角出来ることを増やしつつ、出来ることを実施し続けようという次第です。


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