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ノンフィクション

電子決済サービス「ドコモ口座」から現金の不正引き出しが相次いでいるニュースを耳にした娘。スーパーにある郵便局のATMの前で列の最後尾に並びました。ソーシャル・ディスタンスを確保してね。

そこに、杖をついた80代後半とおぼしきおばあちゃんが現れました。一度、前の人と娘の間を横切ってから、振り返り「郵便局の列?」と訊ねます。「そうですよ」と娘。すると、おばあちゃん「あんたの後ろに並ばんといかんかね?」って。

結論から言えば、娘はあっさり、おばあちゃんに順番を譲ったのですが・・・。おばあちゃんの、「あんたの後ろに並ばんといかんかね?」という哲学的な問いかけについての考察です。

もし、娘が「かわいそうだから」という動機で、おばあちゃんを前に並ばせたとすれば、カントに道徳的でなく自由がない、と言われちゃうかも。だって、そんな因果律による行為なんて「普遍的立法の原理として妥当するように」という規則に従っての自律的な行いじゃありませんから。

では、娘は「周囲から良い人と思われよう」との打算で順番を譲ったのでしょうか? でも、ソーシャル・ディスタンスのせいで、他者の目を気にする必要など皆無。

功利主義の立場からは、娘は自分の最大幸福の追求を考えればいいのですし、人は平等だと考えれば、順番を譲る必然なんてないはずです。まして、功利主義は自由主義に立脚した思想。

「自分で判断したなら、どんなに愚かな行為でも他人に迷惑を及ぼさない限り、干渉されるべきでない」というのが自由主義。この自由主義では、娘のエゴイズムが認められて当然。なにしろ、順番を譲る義務はありませんし、先に列に並んでいた娘には権利もあれば、譲らない自由だってあるんですから。

最後が、美徳の促進(アリストテレスの目的論)。自分を、帰属意識を持っているコミュニティの成員に対して責務を果たす存在、と考えるなら、娘は正義を誰に分配すべきかを考えなければなりません。

「そんなこと知ったこっちゃない」ってな感じのおばあちゃん、「ありがとね」と言って、娘の前に並びます。そして、バッグから濡れティッシュを1枚取り出すと、振り返って娘に差し出しました(笑)。

列に並んだおばあちゃん、前のおばさまと、世間話に興じます。「ニュースを見た息子が、記帳しに行けって言うもんだから」って。

娘に哲学的な問いを投げかけた(?)おばあちゃん、帰り際に娘の方を振り返って、「ありがとね」と言い残して、その場をあとに。

注:あらすじはノンフィクションですが、おばあちゃんが哲学的問いを投げかけたという設定はフィクションですので、あしからず(笑)。



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