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天狗②

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

では前回の続きを始めたいと想います。

『愛宕山太郎坊』

滋賀県の阿賀神社、通称『太郎坊宮』や京都の愛宕山などが有名だと想います。

赤神山に(太郎坊宮)

『正哉吾勝勝速日天忍穂耳命』

(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)

『天忍穗耳尊』

(あめのおしほみみのみこと)

天照大御神の子をご祭神として祀っています。

何故、天忍穗耳尊を祀ってあるかと言うと
この赤神山の地名が『小脇』と言います
天照大御神が何時も天忍穗耳尊を小脇に抱えていて『此の脇の子』と可愛いがっておりました。

その為に『此の脇の子』(このわきのこ)から
『小脇 こわき』という地名になり

赤神山に天忍穗耳尊が降りてきたからと
言われています。

また

赤神山(あかかみやま)、昔は(せきしんざん)

『あか』を取り『阿賀』になりました。

また、役行者の兄弟弟子の『泰澄』さんが
赤神山に住んでいた太郎坊(次男、次郎坊さんは京都の愛宕山に住んでいます)

が現れ、この地(赤神山近辺)に家や社殿、僧坊などを造る様に泰澄さんに伝えて、赤神山の守護神として太郎坊さんも手助けしたと言います

後に、阿賀神社と天台宗の成願寺が神仏習合し
阿賀神社の1番高い所に

『太郎坊大権現像』を造り祀りました

後に、神仏分離で阿賀神社と成願時は分かれてしまいます。

阿賀神社の境内には近隣の十社の神なども
祀ってあります。

その他にも

十二社神社や龍神社、赤神山不動明王などを
祀っています。

では、このお話しに登場した

『太郎坊大権現』のお話しを

太郎坊大権現=愛宕権現とされています。

まずは

『愛宕権現』

は役行者さんと泰澄さんが今の京都の愛宕山に登った時に太郎坊さんの人知を超える出来事にあい愛宕山に祭壇などを造りました。

後に、唐(とう)現在の中国、厳密にはチベットだと想います。の五台山を真似て愛宕五坊を造りました。

朝日峰の愛宕権現白雲寺、大鷲峰の月輪寺

高雄山の神護寺、竜上山の日輪寺

賀魔蔵山の伝法寺

この五つです。

愛宕権現の白雲寺のご本尊は

『勝軍地蔵』を祀っています。

後に将軍地蔵とも言われ武士からも信仰があつかった様です。

また火除けの神、盗難除けの神としても有名で
愛宕山大権現守護のお札と今で言えば絵(三尊)が有名でした。

愛宕山大権現の三尊とは

勝軍地蔵 毘沙門天 不動明王

この三人です。

また、役行者さんや泰澄さんは修験道の開祖でもあり、他の修験者からも愛宕山での修行、
天狗信仰も人気で愛宕山に

『愛宕太郎天狗』を祀りました。

また

太郎坊大権現はカグツチが化身した姿だとも言われています。

では、ここで勝軍地蔵さん

(勝軍地蔵=将軍地蔵=愛宕権現は同じです)

を見てみましょう。

そうです。

前回お見せしましたね。

地蔵は地蔵でも、勝軍地蔵さんを一枚
紛れ込ませていたんです。

この愛宕権現であり勝軍地蔵さんは
本地垂迹、簡単に言うと実態は

イザナミさんで魂は地蔵菩薩

(勝軍地蔵)

だと言われています。

ここで混乱しそうですが

『愛宕権現』=『勝軍地蔵』

『太郎坊大権現』=『イザナミ』です。

でも、『太郎坊大権現』はカグツチでもあります。

神仏習合の為にごっちゃになってしまったのだと想われますが、、、

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『愛宕太郎坊権現』

『愛宕太郎坊天狗』

『愛宕山太郎坊』は

『カグツチさん』だと想います。

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『愛宕権現』『勝軍地蔵』

『太郎坊大権現』は

『イザナミさん』だと想います。

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『太郎坊大権現』が何故?イザナミさんか。

『権現』『大権現』で意味が少し違うんです

読んで字の如くなんですが。

権現より、大権現の方が簡単に言うと

『上』なんです。

だから、カグツチさんの母親のイザナミさんが
大権現で自然な流れだからです。

更に不思議なのは、いや?不思議でもない様なある意味状況からすると当たり前の様、、、

『天忍穗耳尊』はどうも、、、

八大天狗の一人

『英彦山豊前坊』

(ひこざんぶぜんぼう)になりました。

とあります。

ここにも役行者さんが絡んできます。

天忍穗耳尊は、ホツマツタエでは早くに亡くなられているので、確かに大天狗になる可能性もあるとは想います。

少し天狗余談を挟みます(笑)

八大天狗の一人

『大峰山前鬼坊』

(おおみねやまぜんきぼう)

は、八大天狗の別格の人

石鎚山法起坊=役行者が従えていた大天狗の
一人で、前鬼は夫、後鬼(こうき)は妻です。

この様な事からも役行者さんがいかに凄かったかも分かります。

さて、愛宕山太郎坊さんに関してはこの様な感じです。

実はもう一人、二人、、、、気になっている

『天狗さん』がいるんですが、、、

もう一人ぐらいなら書いてても、重くならない様なので書こうかな?と想います(笑)

前回の投稿はかなり!重く後半は文字を書くのも一苦労しました(笑)

まだスムーズに書けるので

もう一人だけ(笑)

八大天狗さんの一人

『飯綱三郎さん』

飯綱三郎さんは『飯綱権現』『飯綱明神』とも言われています。

この様なかたです。

カラス天狗さんの様な容姿をしていて

右手に宝剣を左手に索(さく)を翼が生えていて
狐に乗ってる。

この様な容姿で描かれる事が多いです。

一般的には戦いの神として信仰されています。

その一方で『飯綱法』と言う法、まぁ簡単に言うと『術』があり。

それは、狐や天狗を呼び出し命令して動かせる
いわゆる『外法』と言われるものも
授けてくれるという一面もあった様です。

しかし、東北や北関東付近では熱心に信仰されていた様で江戸時代には徳川家によって守られていた様です。

元々は戸隠(長野県)付近での縁起が良いものとして祀られていたんですが

後に『飯綱大明神』は簡単に言うと

イザナギ、イザナミさんの二世代前の夫婦神

『意富斗能地神・大斗乃弁神』

(おおとのじのかみ、おおとのべのかみ)

とされ祀られていたそうです。

魂は

『大日如来』とされていました。

また

『地蔵菩薩』『勝軍地蔵』

とも、されていたそうです。

また、飯綱権現は

荼枳尼天、ヒンドゥー教、インド仏教では

『ダーキニー』と同一視されています

では、荼枳尼天さんをご覧ください。

次にダーキニーさんをご覧ください

天照大御神の話から読み進めて頂いてる方なら

あれ?

って想うかもしれませんね(笑)

そうです。同じです。

今回は割愛しますが、何に対して『あれ?』
と気になる方はどうぞ、マガジンを最初から
読んでいただけたら良いと想います。

この様に、飯綱三郎、飯綱権現、荼枳尼天、ダーキニーは同一視されていますが。

個人的には荼枳尼天=ダーキニーでも

飯綱権現、飯綱三郎=ダーキニーでは無いと想います。

荼枳尼天さんは中間という感じだと想います。

簡単にダーキニーさんの簡単なポイントをお話しすると。

ヒンドゥー教、インド仏教では
ダーキニーさん

動物や後には人間を食べる女性とされています。


少しだけ余談を話すと

大黒天=シヴァで良いんですが
大黒天=毘沙門天さんは前回書いた様に

マハーカーラ=シヴァの化身で
日本では、毘沙門天と弁財天を合体した
三面大黒というのがあるんです。
三重県の桑名市にあるお寺さんにも
三面大黒さんがいます。

さて、この様な事からも『毘沙門天さん』も
大黒天=毘沙門天となります。
大黒天=弁財天は成立するのか?

ある意味成立しますね。それは先程の
ダーキニーの画像を見て、あれ?って想った方なら分かると想います。

さて。話は戻ります。

その大黒天さんに心身共に良き方向へ導かれ
簡単に言うとダーキニーから荼枳尼(だきに)に
変わったという話があります。

後に辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)
貴狐天王(きこてんのう)

などとも呼ばれる様になり

日本の稲荷とも習合した様です。

狐に乗る荼枳尼天はどうも日本で生まれた
日本だけの文化の様です。

まぁダーキニーさんの画像を見れば何となく
納得するんですが。

チベット密教では

ダーキニーを『カンド、カンドマ』と言い

密教の修行者を悟りに導く女神とされ
曼陀羅にも描かれるほど重要な人物になります。

この様な事から推測すると

荼枳尼天=飯綱三郎、飯綱権現は同一視は
出来ないと想います。

日本に祀られてる荼枳尼天はどちらかというと
飯綱権現や飯綱明神さんの内容の方の色が濃いと想います。

さて。

『飯綱三郎さん』

のお話しはここまでです。

さて。

次回は『まとめ』と後一人の天狗さんが
登場します。

長々とありがとうございました。

以上。

臥龍桜でした。

ありがとうございます。

✴︎訂正

泰澄さんを間違えて最澄さんと書いてある部分があったので訂正します。

失礼しました。








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