見出し画像

心臓の冠状動脈をカテーテル手術で広げた話【エッセイ】

 「冠状動脈が狭くなっているから……カテーテル手術をしないと」
 大学時代のある夏休み、医師の一言で入院が決まった。
 これまでわたしを「ダンプカーのように頑丈そう」「世紀の健康体」などと宣った周りの連中に言いたい。見ろ、わたしは病弱なのだ。

 4歳のときに心臓の手術を経験していると打ち明けても、信じる者は皆無だった。
 奴らが頑なにわたしを病人と認めないので、「あれ、本当は手術してなかったっけな」とわたしの方が錯覚して肉体を過信し、身体を壊した。
 医学と無縁な有象無象に誑かされるとは、不覚である。
 彼らの「健康そう」という刷り込みがわたしの不健康の一翼を担ったことは疑いようがないのだから、良心の呵責に苛まれてしかるべきだ。
 通常であれば、間接的にであれ友人を病気に追いやったら、一生その十字架を背負うところだ。が、あいにく周囲にそうした高邁な精神を持つ者はいない。

 そればかりか、友人のS岡は「手術のときの話を聞かせてよ」などとほざいた。わたしの細くなった動脈と裏腹に、なんて図太い神経の持ち主なんだ。
 彼のような、生まれたときから頑強で、母親の腹に痛覚を置き忘れたガサツな連中には想像もできない苦労があるのだ。にもかかわらず、通常、寝かされている患者は、その苦労を説明する言葉を持たない。


 だがこのときのカテーテル手術は、全身麻酔で眠らずに局所麻酔でおこなうことになった。鮮明な意識を維持したまま、身体を刻まれるのである。わたしの前世は、活け造りにされる魚だったのかもしれない。

 医師は「当院では例がない」と前置きした上で、2000回に1回程度は事故が起こる手術であることを告げた。統計学の知識を持たないが、「イキガミ」が届くより少し安全な程度の確率ではないか。
 率直に言って恐れおののいた。何しろわたしは、「イキガミ」によって血ヘドを吐いて死んでいく者を何人も見てきているのだ、漫画で。

 手術室が何らかの理由で使用禁止になったり、病院が突然倒産したり、あるいは世界の破滅を願ったが、あいにく極めて順調に手術の日を迎えた。
 執刀医は赤子の頃からわたしを知っている。不安そうな様子に気づいたのか、声をかけられる。
 「これから手術を始めます。何か質問は?」
 今は諸事情で解剖されかけたカエルのような格好をしていても、頭脳は明晰であることをわからせてやらねばなるまい。わたしは学生時代、ことあるごとに『都の西北』を歌っていたのだ。母校の誇りと文化人としての沽券を守るため、鍛え抜かれた質問力を発揮した。


 「い……痛くないですか?」

 「切る前に麻酔をするから、痛くないよ。はじめまーす」
 医師は無表情で鼠蹊部に麻酔を打ち込む。同時に、身体の内側から裂けていくような激痛が走った。
 このウソつき! わたしは、その麻酔の注射が痛くないかを聞いたのだ。
 思い出した、確か彼はわたしの出身校を受験して落ちた過去がある。
医師として社会的に確固たる地位を築いて尚、当時の屈辱と決別できないでいるのだ。わたしに苦痛を与えて何になる。江戸の敵をウラジオストクで討つくらいお門違いな復讐だ。

 驚くべきことに、麻酔の効果か激痛のためか、知覚が鈍麻してきた頃、雲行きが怪しくなった。医師と看護師がいつの間にか円陣を組んでいる。追い込まれた高校球児にしか見えない。かすかに声が聞こえた。
 「実は、カテーテルの先につけたバルーンが破れまして……」
 思い返せば中から造影剤が漏れたような、焼ける感覚があった。
不穏な空気を察知したわたしに、看護師が駆け寄る。「聞こえちゃいましたか?」わたしは村上ファンドか。次回からは鼠蹊部に加えて、耳にも麻酔をお願いしたい。
 この局面でも、医師は「バルーンの破片が飛んだりしたらまずいなぁ」などと他人事を貫く。
 首相官邸に何回ドローンが飛んでも良いから、バルーンだけは飛ばないように必死に祈った。
 
 結局、本来血管を拡張させるためのバルーンが早々に割れるハプニングはあったものの、他に3本のカテーテルを投入してなんとか手術は成功した。まさかタコ足配線のコンセントになるとは思わなかった。だが医師が懸命にカテーテルを手繰ってくれたのだから、感謝せねばなるまい。
 彼らは一様に「奇跡」と言った。「鬼籍」にならなくて良かったと、心底思った。


表紙の画像:三色丼

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?