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富山旅行記1「路面電車がある街はきっといい街だ」

 電車が街を走る様が好きで、これまで路面電車のある都市を巡ってきた。愛媛に広島、東京に京都。どれも電車に乗るための旅をして出会ってきた。

 路面電車が何故好きなのか。今回改めて考えてみたのだが、好きなものは好きなので仕方がない。

 だが、そう結論するのも味気ない。大体の好物に関する記述はそれで片付く。

 幼少期に感じたことをおぼろげながら思い出すと、家から少し離れた所に急行列車も止まらない在来線の小さな駅があったのだが、夜になると布団の中で貨物列車の通過する音を聞いていた。「あれが夜半の人気のない街を走る電車だったのならば、どんなに面白いだろう」。当時の私は情景一つで頭の中に話を作り、自分で乗る妄想をするのが好きだった。その頃から非日常な風景を求めていた。今もきっと根本は変わらないのだろう。

 もし、早くから路面電車のある風景に馴染んでいたのなら、旅をしてまで鉄道を追いかけるようなことにはならなかったかもしれない。ふと後方の車窓を覗き、通った後の線路を眺めながらそんなことを思った。

 今回は富山だ。富山には富山地方鉄道が運営する市内軌道線がある。事前に何も知識を入れずに現地に辿り着き、グーグルマップを開いて宿の場所を確認する。どうやら、少し歩くものの路面電車の駅からが最短らしい。幸先がいい。これから何日にも渡って乗り回すにしても、その回数は一回でも多いに越したことはない。

富山の路面電車の車両デザインは美しい。白を基調に青や緑をアクセントにしたものがあり、近未来感に包まれている。

 まずは富山駅で、全系統の行き着く先を眺めてみる。どうやら海に出る電車もあるらしい。いつものように、路面電車で旅をする時はグーグルマップを開きながら電車と景色を見比べて、面白そうなところがあったら降りる。海には行くものとして、ひたすら街を巡っていこう。

 富山城公園や高志の国文学館と、博物館をはしごしてチュートリアルを済ませることにした。恥ずかしながら富山は初めて訪れるので最初に街の情報を得ておきたい。

 富山城では城郭の変遷を軸に、戦国時代の動乱に翻弄され続けたこの土地の歴史を知った。越前の一向一揆と、越後の龍、長尾景虎。この両者に挟まれて苦戦を強いられた越中、富山の苦労ぶりが伺える。

富山城。決して大きな城ではないが、石垣が細やかに編まれた絨毯のようでハッとする。
「野面(のずら)積み」というらしい。角の丸い石の間に小石が挟まっている。この手間が美しい。

 高志の国文学館は富山に関連する作家や文学作品、そして漫画家についての展示がある。古今に渡って編まれた大きな文脈がどの土地にもあると思っている。その土地の作家は幼い頃の景色や、風土の空気を発想の中に気配として感じているのだと思う。だからこそ、一つの文脈の中で作家性は生き続ける。そのこじつけから逃れるため、その徴のような気配を上手く隠す作家と、むしろ喜んで露出する作家がいると思う。どうあれまず私としては知らなければ何も始まらない。

 こうしておくことで、二つの利点がある。

 一つはその地の歴史を空想しながら旅ができる。何もない駅にも道にもそこは誰かが視線をやった場所かもしれない。かつて富山に赴任した大伴家持、この地で生まれた藤子不二雄。そうした人物が過ごした場所に自らも存在している。そんな事実に喜びを感じる。何気ない場所がいくつもの意味になって重なっていく。自分も大きな文脈の中で物事を考えられる。

 もう一つは旅のヒントだ。何気ない知識も、よるべのない旅においては、時として引っかかりとなる。例えば大伴家持と言えば『万葉集』の編纂者であるが、この富山に五年余り赴任していた時期があり、身近な自然と心の動きを詠んだ歌もある。そうなれば、彼がインスピレーションを得た場所はどこかないのかと探せる。こうして旅は幅を持つ。

 まどろっこしいやり方だが、旅先にいられる日数は限られている。最短で得るものを得たいというのは自然な考えだろう。完成された思考でなくてもいい。種さえ持ち帰れれば、あとはいくらでも咲かせられるのだ。

 頭にたくさん文字を詰め込んだら、次は消化するために街に出る。辺りを見回しながら耳をすませて写真を撮り、見えたものや聞いたものを自分の言葉で形にする。

 プランなしで旅を続け、こんな行為を繰り返した。すると、自然とこういう形になったのだ。そんな営みと相性がいいのが路面電車の存在である。移動手段として優れているだけでなく、普段見えない位置から街が見えるのが良い。

 やはり路面電車が走る街は魅力を持つ。単なる市民の足ではない存在感がある。モーターの音が鳴るだけで心が騒ぐ。胸が温かくなる。朝早く起きてホテルの窓から空を見つめていると、最寄りの駅に路面電車のたどり着く音がする。あの時の幼少期の夜がまたこうして蘇る。でも、違うのは妄想をしなくても少し歩けば街の中を走る電車に出会える事だ。

 新幹線のような車両には芸術品のような高尚さがある。憧れを抱かせてくれる。ショーケースの中で煌めく存在だ。だが、路面電車は街のエスカレーターのような気軽さに、ちょっとの危険を内包した温かさがある。

 でも、乗り物としての路面電車が好きなだけではない。

 私は到着した日、富山湾まで行こうと路面電車に乗った。列車は徐々に海へと近づくというのに、買い物帰りのお婆さんや女子高生、そして赤ちゃんを抱いたお父さんが当たり前のように席に座っている。彼らの日常の中で私は一人の異邦人として車両に潜り込んでいる気分になった。

 皆が行き先ボタンを押して乗り込んだエレベーター。俺はどの階も指定せずに乗り続けている。そんな感覚に胸が躍った。一人降り、また一人降り、海へと通じるその系統は、誰かの家へのいつもの電車だったのだ。俺だけが海辺の最寄駅で降りた。

 駅舎でボスの缶コーヒーを買い、海水浴場へ到着する。泳ぐ人はいない。着いたのは夕方でもうみんな帰ってしまったようだった。浜辺にはさみしく足跡が残っていた。流木が砂の山を貫いており、誰かの忘れ物のスコップがパステルカラーの柄を半分残して埋まっていた。

 俺は地元神奈川の鵠沼海岸を歩くように、「浜辺の歌」をマスク越しに口ずさみがら砂浜を海岸線に沿って進む。寄する波よ、返す波よ。だがほとんど潮が引いているのと、防波堤のお陰で波はほぼない。代わりに立山連峰が正面に聳えていた。低い位置で雲の一団が浮ついたようにうねって、進んでいるんだか戻っているんだか解らぬ動きをしている。

富山湾。遠くに見えるは立山連峰。その険しさから地獄を思わせる山々らしい。遠くから見ると壁のように映る。

 私も似たようなもので、結露して水浸しの缶コーヒーを飲み終えてからは、流木に腰をかけて波の音を聞いていたが、やれやれと駅まで引き返そうとして立ち上がるも、その足で何か浜辺に落ちていないかと探す。

 暑さに負けて駅に戻ると路面電車が待ってくれていた。私はそれに乗り込み、正面で居眠りをする中学生を見つめながら、彼はどこで降りるのだろうと考える。夏は日も長く部活も忙しいのだろう。またその隣では富山弁でお婆さんが高校生くらいの孫に人生の何たるかを聞かせていた。孫は他人のふりをするかのように上の空だ。お盆の帰省の時期だ。頷きもしない。もしかして本当に他人なのか……? 気になる。

 あてもなく電車に揺られて、窓から富山の街並みを見つめる。いつの間にか向かいの中学生が降りて、信号を渡っているのが見えた。路面電車からの車窓の景色は天気や季節や時間帯が複雑に絡み合って変わる。きっとそんな要素も私が路面電車を好きになった理由なのだろう。街を美しく眺める最高の場所。まさに動く窓だ。それを持っている街はきっと良い街なのだろう。

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