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オンラインでのファシリテーターの身体性は五感ではなく二感で充足しているかもしれない件

オンラインでは視覚と聴覚のおよそ2つの感覚が頼り

リアルな場(オフライン)では五感というか肌感覚みたいな感覚で「空気感」として得ていたものが、オンラインになって、およそ二感ぐらい(視覚と聴覚)になると「減っている」感じになります(当社比w)。そうなればファシリテーターが受け取れるものは少なくなり、全体として少ないので、「いつもと比べて…」となって、私自身が不安になります。まさに暗闇を手探りで進むけど、手に感触はない…そんな感じです。そういう状態ですと、実は参加者は十分にいろいろ場から得ているのかもしれないのに、ファシリテーターが不安になっているので、ファシリテーションが過剰になってしまいがちです。

ファシリテーションは「サービス」ではない

なんとなく私の感覚ではファシリテーションは「サービス」ではないので、場の「満足度」が絶対の尺度ではなくて、場の価値(ちょっと固いな…)というか、意味もなく停滞する…とかがないようにするためにあれこれやる役割だと思えてきているので、その場の構成メンバーにとっての目的、集まりの主旨、在り方を目指してファシリテーションする。ただそれだけです。

その上で、ファシリテーションの場への関わり方というのは段階というか、パタンというか、在り方みたいなのがあって、

 ・××してもらう
 ・××しやすくする
 ・××が起こると信じて委ねる
 ・起こることは起こることとして信じて委ねる

どう場を信じられるか、捉えるかで、ファシリテーターが選択できる行動にが変わってきます。では「どう場を信じられるか?」というところで、冒頭に書いた「ファシリテーターのオンラインでの不安感」につながります。以前、Zoomのブレイクアウトルームは「委ねるファシリテーション」的なことを書いたことがあるのですが、中で起きていることを「観たい」もあるし、もちろん、把握していることでより良いファシリテーションをすることもできると思いますが、見えていないものは委ねるということで、それはそれで良いことが起きるかもしれません。オンライン・ファシリテーターの視野角とも言えるかもしれませんね。目に映らないものを判断材料に使わないこと。

そしてこれはファシリテーターにとって「場というのは一つとして同じ場はない」ので、オフラインだった時の比較自体もあまり意味がないのかもしれませんね。

オンラインだろうとオフラインだろうと場に向き合うのは一緒。オンラインはオンラインでのファシリテートの感覚に寄り添うことをしてみようと思います。

オンライン、つまり端末を介した感覚は視覚と聴覚。通信量的には音声が小さいの、オンラインで大事にするのはまずは聴覚だと考えています。声のトーン、言葉の繋ぎ方、間の取り方、悩んでいる声なのか、考えている沈黙なのか…。音から感情や考えが見えたりする時もあります。見えてない時は勝手な推測をしすぎないで、相手に確認するというのもできるでしょう。コミュニケーションツールによっては、複数人の声を同時にちゃんと伝えてくれたりしますし、息遣いも聞こえることで感じられます。環境音も伝えてくれることもあります。その音から何を受け取れるのか…。時にはカメラをオフにして音だけでのコミュニケーションもとってみて、聴覚でのフィードバックの受け取り方を意識してみてください。

そして、視覚。これはオンラインのホワイトボードツールや付箋ツール、表計算の様なものも同時に編集できたり、かなりたくさんの視覚での感覚を利用することができる様になってきました。PCに直接表示することで、実はオフラインの時よりも伝達力が上がっていて、視覚はオフラインよりも情報量が多くなっているところもあります。もちろん「全体」とか「雰囲気」という部分は見えている範囲からは受け取りづらいので、むしろオンラインでは目でものを見る時に焦点を合わせて「読んだり」「イメージを捉えたり」という感覚で、ツールを使い分けたり、ツールを分割して表示させたりして、自分なりの受け取りやすい、相手にどういう風に伝えるか、伝わるかを考えた「視覚」の感覚を身につけていきましょう。

感受性は体験によって変化していくことと思います。ただ漠然とオンラインでも「できる」ということだけに集中せずに、その意味、その感覚に意識を向けてオンラインの場に向き合ってみていただければと思います。

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