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【しらなみのかげ】 節分−円環的な時を分節すること #21

(この記事は2月3日に執筆したものですが、仕事の都合で一昨日出せず、昨日から今日に掛けて推敲・加筆したものです)

今日は節分である。

 

私の住む京都では、吉田神社、壬生寺、そして八坂神社などで節分祭が行われる。今年は新型コロナウイルスのオミクロン株が大流行を見せている為に、今年は多くの寺社では節分祭を相当に制限して行っているようである。追儺の祭が、まさに疫病によって阻まれるというのは不幸な話である。

 

例年は大体、節分の当日夜、吉田神社の節分祭に行き、火炉祭を見て、参拝に行き、そして節分鰯を肴に吉田にある松井酒造の新酒で乾杯する。京都大学前の東一条通から参道にかけて夜店がずらりと立ち並ぶ中を歩き、本宮前に行く。そこに設けられた八角柱状の火床には沢山の古い神札や守り札が納められており、十一時頃になるとそこに火が灯される。

 

巨大な炎がめらめらと高く燃え盛るのを間近で眺める。

二月の夜の張り詰めた空気の中で踊る巨大な炎。宙には絶えず火の粉が舞い、近付くと皮膚が炙られる程の熱さである。その勢いは、儀式の原義の通り、古い札に宿った神の力に神域へと御還り頂くと共に、尚もこびり付いて離れぬ呪いや悪縁、そして憑き物をも焼き切らんとするかのようである。全てが更新される立春の前日の夜、人はこうして、生きた暦を数えるのだ。

 

 

今年は一人、昼下がりに八坂神社へと向かった。

オミクロン株の影響で花街の奉納舞踊と豆撒きも無く、境内は節分と雖も殆ど普段と変わらぬ様子である。福豆の授与も、終了したという御知らせであった。それでもやはり節分である。少ないながらも参拝する人は絶えない。恐らくその様子からして観光客ではなく地場の人であろうか、深々と首を垂れて、熱心に祈る人もある。祇園社への信仰は、京の街の深い所に息衝いているのである。

 

今年は我が身の事として「勝負」を抱えてしまった故に、その必勝祈願も兼ねて、念入りに摂社末社も含めて一つ一つ御参りしていく。このところ色々な事に手を出しては励んできたものの、中々報われずに破綻と停滞を引き起こしてしまう私の運気が変わらんことを、ただ祈る。八坂神社の様な大きなお宮さんでは、摂社末社というのは実に沢山あるもので、それだけでも結構な時間が掛かる。人事を尽くして天命を待つ。人間、最後の最後は神頼みしかないのである。大いなる命運の刻みの中に生かされている者が出来る事は、実に限られている。

 

 

私は、自分の利得を顧みずに自らがこうとしか思えない筋を貫こうとする所があるようだ。

翻って考えてみると、このところ殆ど自分の得にならないことばかり、やってきたように思える。その事に、中途半端に人を巻き込んでしまう。しかし、資金的なリソースというものを殆ど持たず、辛うじて自分の糊口を凌ぐことに必死な私は、殆ど物理的な次元で他人の期待や要望に応えることが出来ない。一縷の希望を見出して着実な計画を立てることは立て、実行に移していくのだが、リソースが無ければそれは蝸牛の歩みに終わるか、或いは頓挫するかの何れかである。そこで立場の違いから、考え方やイメージの相違が生じる。考え方やイメージの相違は知らぬ間に溝が生んでいき、溝は軈て亀裂となる−そうして、幾つかの物事は失敗してきた。

 

 

試みに御神籤を引いてみたが、結果は末吉、何とも言えぬものである。しかしながら、昨年の晩秋に友人に紅葉狩りに行こうと誘われて行った山科の毘沙門堂で引いた、あの凶よりはずっと良い。勤務先のジムから「御聞きしたい件があるとトップが言っている」として呼び出しの御電話を頂いたのは、あの凶の御神籤を引いた凡そ十日後だったのだから。勤務先に届いた弁護士代理人からの「御手紙」を見せられることはもうその時点で大体予測が出来ていた。

 

 

帰りは、四条河原町の「ひさご寿し」で恵方巻きを買う。海苔ではなく卵で巻いてあり、その卵に追儺の絵が焼印で押されたこの店の名物「招福鬼巻」は既に売り切れていたので、普通のものを購入した。今年の恵方は「北北西」。iPhoneのコンパスでその方角に合わせてかぶりついたが、これがまた非常に上品な味わいで美味である。干瓢、厚焼玉子、椎茸、焼き穴子、その全ての香りと旨味が完璧に合わさっている。夢中になって食べていると、何だか良いことがありそうな気がした。

 

今年は節分鰯を食べられず(勿論、柊鰯もやっていない)、鬼の面や福の神の面を飾っての豆撒きもしなかった。

しばしば言われている如く、これらの方が、江戸後期から明治の花柳界で流行し、近代になって広まったとも言われている恵方巻きよりも遥かに古い伝統を持つものである。寧ろ、食べ物で言えば、節分の年越し蕎麦を食べる方が余程古かろう。節分というのは、元はと言えば、古代中国に始まり、その後我が国に伝わった宮中の追儺の儀に由来する立春の大晦日の儀礼なのであるが、それが邪気を祓って福を呼ぶ一年の節目であるという暦の数え方を核として、様々な風習を宿していって今に至るのである。

 

十日戎についてもこの「しらなみのかげ」に書いたが、こうして季節折々の節目を大事にすることは、長く伸び続ける飴の如き直線的な時間軸の中に、春夏秋冬という生命の生死の反復にも似た円環的な時間軸を生み出す。前者が過去による限定と未来への自由をその都度の現在に収縮する時間だとすれば、後者は一つのおおなるサイクルを一種の運命として反復して生きる時間である。前者は直線的な時を計量することに通じており、後者は円環的な時を質的に分節することに通じている。

 

誕生という始まりがあり、死という終わりがある我々の生の直線的な時が否応無く有してしまう等質性、そこに由来する間延びと退屈、絶えず刺激を求めては虚しさに帰る索漠とした渇き、その全体を覆う憂鬱と不安を、円環的な時の生はそこに質的な分節を与えて包み込むことにより、解きほぐしてくれるのである。季節の節目、それは時間に天空と大地と神々と人間を一つに繋げる意味を与えるのだ。

 

 (この記事はここで終わりですが、皆様からの投げ銭をお待ち申し上げております。)

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