こじらせた井蛙にはどんな声も届かない

 井の中の蛙大海を知らず、誰でも知っている。大学教員を何年もしていれば、学生さんが「井の中の蛙」だなぁと思う事もある。でも、これまでずっとそれでいいのだと思ってきた。自分だってそうだ。この年になっても研究者なんぞやっているのだから私も「井の中の蛙」の一匹だ。世間知らずで、自分の研究分野にばかり性を出して、こんなコロナで大変な時も、面白い論文を見つけてしまえば講義の準備と会議資料の作成をすっ飛ばして読みふけってしまうようなアホだ(お陰で、昨日は午前様だった)。

 一度だけ間違えて参加に○をつけてしまった高校の同窓会で本当に後悔したことがある。あまりに「遊び方」が違うのだ。持っている金・財力も違えば、出入りする店も違う。皆が話している話題に全くついていけない。スーツのブランドなぞ全く知らないし、時計は学生時代からずっとプロトレックだ。話題のビジネス書を読む暇があったら論文を読むし、啓蒙的な本には興味が一切ない。自分が如何に世間とズレた所で生きているのかと実感させられて、もう二度と同窓会には行くまい、と心に誓うほどに私は駄目な蛙だ。このような狭い狭い井戸の中にいる蛙が大学教員として教えている訳だから、学生さんに大海に出ろ、などと偉そうなことなんて言えるわけもない。大海を知らない人間が大海を語ることは出来ないのだ。

 そのうえで恥をしのんで書くのだが、このところ、こじらせた井戸にいるこじらせた学生さんに出会うことがあるのだ。ジェネレーションギャップが生じて私が老害化していっているせいもあるだろう。それにド田舎のド底辺大学で起きていることでもある。ただ、ちょっと恐怖を感じる程に強固な井戸に閉じこもっている。

 具体例を書くとアレなので書かないが、ちょっとした注意などをされた時にSNSで文句を書き連ねていることがある。それ自体は、まぁ、そういうツールだし、そういうものだろうと思うので構わないのだが、問題はそれに反応するリアルで繋がりのないフォロワー達がたくさん居る場合だ。その状況も何も知らずに、注意した側を悪にして、呟いた本人に寄り添った同情を寄せる。ネットだけの関係なので無責任な同情だ。この無責任な同情は蛙を太らせる。あるいは、そのつぶやいた本人の井戸を狭くしていくように思うのだ。フォロワー数が増えれば増えるほど無責任な同情は大きくなって、井戸は益々小さくなり、蛙はどんどん肥えていく。こうなると、もうどんな声も届かない。内容は書かないがちょっとした注意ですらも「昭和のマナー、氏ね」「自分ルールを押しつけるな、氏ね」の大合唱に埋もれてしまう。

 ここまでなら良くある話なのかもしれないが、この蛙がさらに成長していくと、無責任な同情そのものを得ることが自己承認欲求となってしまって、回りの事象のありとあらゆる気に入らないことを探し出すようになる。目につくもので自分が正しそうなことには重箱の隅をつつくように次々と文句をつけて、無責任な同情を得ることに一生懸命になるのだ。教員や教務などが標的となることが多いが、大学そのものを呪うことも多くなる。まるで巨大な悪の組織と戦うヒーローのようになっていく。

 私は大学教員になってから、井戸の中の蛙のような学生さんに出会っても、いつか大海に旅立つ準備をしているのだろうと思っていた。その学生さんの視野が狭いように見えても、大学生活の中で友人・読書・映画・サークル・先輩・旅行など何かしらに刺激されて、ある蛙は井戸から飛び出たり、ある蛙は井戸をさらに深く掘って反対側に出てみたり、何かを勝手に得ていくのだろうと。そこに指導教員が関与出来ることなど高が知れている。ずっとそう思ってきた。

 でも、このところに見かける「こじらせてしまった井戸にいるこじらせた学生さん」は、ちょっと、もう身動きが取れなくなっているんじゃないかなと思うのだ。そういうこじらせている学生さんは複数のアカウント使いこなして、リアルで誰とも繋がっていないアカウントは永遠にリアルワールドでは誰にもバレないと思っている。でも、見つかるときはものの数分で見つかる。まさに「井の中の蛙」だ。

 自分は大手企業に就職すると豪語していたが、就活が上手くいかないことを全てコロナの性にしている。さらに就職が決まっていないことを理由にして卒論を何もしない。しかし他の学生からゲームばかりしていることは漏れ伝わってくる(ゲーム垢経由だろう)。あれだけ進学なんて意味がないと吹聴していたので、いまさら進学を選ぶことも出来ないだろう。そういうリアルな焦りを埋めているのかどうかは分からないが、色々なシステムの重箱の隅をネットで突いて無責任な同情と賞賛を得てヒーロー気取りになっている。必然的にアカウントが目立ちすぎて、色んな人に補足されてしまっている。当の本人は自分の投稿が問題となりかけていることなど気づいてもいないだろう。本人にとっては誹謗中傷のつもりなど露程もなくてフォロワーさん達から褒められるべき英雄的行為なのだから。

 本来、井戸の中には一人で籠もるべきだったのだ。それなのに無責任な観衆が無責任な賞賛や無責任な同情を絶え間なく注ぎ込み続けてしまうことで、井戸の中の蛙はぎゅうぎゅうに肥えて、回りに存在しないイエスマンを侍らせた裸の王様を作ってしまったのだ。大海をしらない蛙が、肥えた裸の王様を屈強な井戸から救い出すなどというのは烏滸がましいのは理解している。でも、せめて一太刀、井戸にかすり傷でも入れられたらと思うのだが時代遅れのおっさんにはどうしたもんだか悩むばかりで何も手を打てない。このまま卒業していった先に何があるのか心配でならない。それどころか無事に卒業できるのかすら怪しい。どうすれば良いのか分からないままである。

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