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栗にまつわる思い出とノスタルジー

 栗の季節がやってきた。この季節になると、やたらと栗ご飯が食べたくなる。かといって市販の栗ご飯の素を買ってきて炊いても「これじゃない」となって余計に悲しくなる。私が食べたいのは、幼少の頃に母が作ってくれていた栗ご飯だ。正直に言うと、こういう思い出話の定番なのだが、子供の頃は栗ご飯があまり好きではなかった。よくよく考えてみても、私と栗にはいい思い出がない。

 小学生の頃の話だ。人生で何度目かの引っ越しをした後に住んだ家の裏山に栗が植えてあった。栗の花が咲く時期になれば、見事な香が家まで届く程に沢山の栗の木が植えてあった。子供の私にとって、その裏山は日常の遊び場で、いつも近所の子供達と走り回っていた。ある時、上級生で、近所でも悪ガキで有名だったA君が「焚火をしよう」と言い出した。学年もヒエラルキーも下っ端だった私は逆らえる訳もなく、枯れ木と枯れ葉を集めてきた。A君が持っていたライターで苦労の末に火をおこす。暫くはうっとりと燃えさかる炎にみとれて、暖かさに包まれていたはずだ。記憶が曖昧なのだが、誰が言い出したのか、はたまた私が言い出したのか、全く覚えていないのだが、とにかく栗を焼いて食べようと言うことになった。そうして栗を集めて直火に放り込んだ。

 あとは、もう想像通りの大惨事が起きた。私たちは爆ぜて飛び交う栗が怖くなって逃げたが、裏山の持ち主(あたり一帯の地主だった)だけでなく、集落の田畑からも次々に大人が集まってきて直ぐに捕獲された。徹底的に怒られた。怒られたというレベルではなく、地主から拳で本気で殴られた。文字通り殴られて吹っ飛んだが、他の大人に起こされてさらに殴られた。当たり前だ。栗泥棒なうえに、下手すりゃ火事になってもおかしくなかった。勤め先から戻った父が合流して引き取られるまで怒られていた。激高する地主を父がどのように説得して私を連れ帰ったのかは知らない。その後、どのような話し合いがあったのかも知らない。とにかく、暫くは顔がメチャクチャに腫れたままで学校で恥ずかしかった。A君はその後に引っ越しをしてしまい、その後の連絡は一切ない(思い立ってA君の名前を入れて検索してみたところ、プロスポーツ選手と医師とチャラそうな美容師が引っかかった。どれなのか、どれでないのかも分からないし、漢字がうろ覚えなので検索自体が怪しいが、とにかく嫌なニュースがひっからなくて良かった)。

 あれ以来、焚火に栗を入れてはならぬということだけは人生で守ってきた。火中の栗を拾うのはもちろん、そもそも入れてはならないのだ。大人になって栗に切り込みを入れれば良いことを知っても、一度もやったことはない。トラウマだ。火の中に栗をいれてはいけないというのが脳の全ての領域に焼き付けられた。栗をくべようとしても手が無意識に止まって出来ない筈だ。家訓にしてもいいレベルだ。

 大学生になってから、その地域の小学校に呼ばれたことがあった。年賀状のやり取りが続いていた担任の先生が「ちょっと顔を出してよ」と連絡してきたので昔に住んでいた場所を訪ねるのも悪くないな、と思って帰省したついでに電車とバスを乗り継いで訪ねた。その際に、あの時に私を殴りつけた地主に挨拶をしにいった。随分年をとっていたが、農作業で鍛えているだけに、まだまだ逞しかった。地主の家の玄関先で喋りながら、私はあの時に叱られたことを感謝している、と素直に伝えた。しかし驚いたことに、地主は全く覚えていなかった。子供の私からすれば町の歴史に刻まれるほどの大事件を起こしたと思っていたのに、笑えるほどに全く覚えていなかったのだ。

 あれほどの大事件を覚えていないことに衝撃を受けたが、A君程度の悪ガキは何度も現れるのだろう。私の前にも、後にも。なので我々の世代が引き起こした悪事など「可愛いもんだ」ぐらいだったかもしれない。地主に別れを告げる際に許可をもらって裏山を歩いた。記憶の中ではもっともっと広大な場所で、それなのに隠れる場所がないぐらい綺麗に整備されていたのだが、歩いてみれば意外と栗林は小さくて、手入れが追いつていないのか雑草も枝も伸び放題なのを見て複雑な思いになった。今なら隠れる場所が山ほどある。その地主は、残念ながら数年前に亡くなった。地主の娘さんから欠礼状をいただいて知った。葬儀も何もかも全て終えていたので線香だけ送らせて頂いたが、いつか墓参りが出来たらいいな、と思っている。

 話を戻そう。母の作る栗ご飯のことだ。

 その地主は秋になるといつも沢山の栗をくれた(お前の息子は直火で焼いて食べようとする程に栗が好きと思われたのかも知れない)。母は栗を頂くと、大きな栗はそのまま茹でて半分に割ってスプーンですくって食べるようにして(つまり「おやつ」だ)、小さな栗は皮を丁寧に器用にナイフで剥いて栗ご飯にしていた。特徴はとにかく栗が(割ったりせずに)そのまま入っていたことだ。そして、ご飯そのものはしょっぱい味付けだった。しょっぱいご飯と甘い栗の組み合わせ、モソモソする感じが子供の私はあまり好きではなかった。しかし、XX年も食べていないのに、無性に同じものが食べたくなる。きっとこれは、子供の頃にたくさん食べて味覚が訓練されているのに、もうXX年もあの味覚を呼び起こさないことで生じるノスタルジーだろう。脳が記憶の再確認を求めている。

 もうあの地主はいないし、もしかすると栗林もないかもしれない。母も栗を丁寧に剥くほどの元気さも器用さも、もう持ち合わせてはいない。家族の誰もあの料理を受け継いでいない。なので同じ味は再現されない。今度、息子とキャンプにいった際にでも、栗を買って剥いてみようかなと考えている。私なりの栗ご飯を作り、あまり美味しくないと言うであろう息子に食べさせて、思い出話を聞かせるのも悪くない。栗ご飯の味付けは伝承出来なくても、栗にまつわる思い出話は口伝で残すことが出来る。そうして私なりの栗ご飯で記憶の味を上書きしていけば、記憶の中の母の味と決別し、切り込みをいれた栗を炎にくべて、焼き栗を食べる日がくるかもしれない。試してみる価値はある。

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