東北のとある地方で旅館に泊まった思い出

 学生時代、大学を休学していた時のことだ。小さな車に小さな山岳テント(今も使用している)、シュラフ(今は子供が使用している)、煮炊きの道具(今も使用している)などを積んで、東北を車中泊と野宿を繰り返しながらウロウロしたことがある。未知の世界だった東北を、随分と時間をかけて回った。北海道を一周する人は多いと思うが、東北地方をウロウロしにいくと伝えた時の友人達の微妙な顔を覚えている。特に登山をするというわけでもなく、あてもなく地図をみながら、あっちへこっちへと海岸沿いや山の中をウロウロしていた。私なりのルールに基づいて、私なりのフィールドワークとしての目的もあったのだが、それはここには書かない。とにもかくにも、2ヶ月ぐらいをかけて、東北全県+αの土地を巡った。

 転勤や引っ越しの多い家で育ったが、東北地域には一度も足を踏み入れたことがなかった。全てが新鮮で面白い旅だった。実は、その前に四国をウロウロしたのだが、四国では道が狭くてとにかく移動に難儀して、目的の半分も達成出来ずに戻っていた。その点、東北は運転しやすかったし、安い定食屋に出会う確率が多くて良かった。当時の私はうどんよりも米飯が好きだったのだろう。「めしのはんだや」に初めて入った時の衝撃は忘れられない。はんだやを見かける度に条件反射のように入っていたように思う。

 基本的に貧乏旅行だったが、酒蔵を見かけたら安い日本酒を買ってちょっとずつ飲んでいた。おかげで車の中は日本酒の空き瓶がたくさんあった。村上春樹が〆張鶴が好きだと何かで書いていたので、酒蔵にいって購入した。日本酒だけなら今よりもずっと良い酒を飲んでいたかも知れない。宮沢賢治記念館に寄った際に、宮沢賢治の全集を購入して、夜はそれを読んでいた。今思えば、本当に自由な時間だったなと思う。

 旅の間、基本は車中泊だった。道の駅があれば道の駅に車を駐めて車中泊をしていた。たいていの道の駅は出来たばっかりで綺麗でトイレも水もあるので便利だった。今みたいに道の駅での車中泊が問題になることもなかった。そもそも当時は今みたいに道の駅が沢山あったわけでもなかった。なので殆どは山や川沿いや海岸沿いにある公園とかグラウンド(水があるし、運が良ければトイレもある)の駐車場とかに車を駐めて寝ていた。今みたいにカーナビもGoogle Mapもないので、助手席に分厚いマップルを積んでの旅だった。車中泊に疲れて、足を伸ばして眠りたい時は、民家もない山奥の道の脇とかのちょっとした場所とか、川沿いに山岳テントを建てて寝たりした。日本中がドンヨリしていて、職がない人が沢山いて、色々な価値観がひっくり返った時期で、そういう貧乏な旅をしている学生も、たくさん居た。車で旅行している私は贅沢ものだったはずだ。

 言い訳する訳ではないのだが、野宿している人は別に珍しくない時代だった。当時に私が通っていた大学でも、夏になると敷地内にテントを建てている旅人がいたし、学会に参加した際にホテル代がないのでテントを貼って泊まったこともあった。都市部の川沿いや公園にはブルーシートや段ボールで作られたテントがあるのが普通の光景だったし、野宿している人を奇異に見るということは全くなかったと思う。学祭があれば、学内で酔っ払って寝ている奴がそこら中にいたし、飲み会の帰りに川沿いで酔っ払って眠っていても通報されることなんてなかった。大らかというよりも、大人達は自分のことで精一杯だったので、学生のすることなんて気にもしなかった。全ては「学生のすることだから」で許されていた。

 それでも東北では野宿をしていて何度か通報されて警察がきたことがあった。あのフラッシュライトを寝起きに向けられる辛さと言ったらない。眩しくて目がみえなくて、目がおかしくなるんじゃないかと思った。オマケに大声で怒鳴られて、本当に恐怖だった。単なる貧乏旅行だと分かると、(移動することを条件に)大抵は解放してくれたが、車の中を隅々まで調べられたりしたこともあって、一時は本当に警察が嫌いになった。行く前に友人達から○○県の田舎は閉鎖的だから気をつけろ、とは聞いていたが、見事にその県でばかり通報された。たぶん野宿というよりも侵入者そのもの、つまりは余所者を排除したかったのだろう。

 そんな旅の間で、2回だけ屋根のあるところに宿泊をした。どちらも運転できないほどの大雨が降った時だ。一度はラブホテルに入った。もちろん一人でだ。ド田舎の、国道沿いにあるようなやつだ。これ以上の運転は危険かもというところで、たまたまラブホテルがあったので、そのまま避難するように入ったのだ。チャンスとばかりに、広い湯船にゆったりと浸って、そのまま湯船を使って洗濯しまくったのを覚えている。

 もう1回は旅館だった。当時は携帯で高速インターネットなんて出来なかったので、天気予報は専らラジオが頼りだった。山の中を歩く際の熊避け用として携帯ラジオを常に持ち歩いていたので、それで天気予報を聞いていた。その日は、どうも天候が夕方から崩れると繰り返していて、しかもかなりの雨が降るという予報だった。これはマズいなぁと感じていた。道の駅も近くにないし、こういう時は川沿いの公園なんてもっての他で、山の中も車中泊は危ない。人が住んでいるエリアの中で、高台で、平らな所を確保しなければならないが、小さな町しか近くにないので、途方に暮れていた。

 既にザーザー降りが始まっている中で、公民館や役場を探して駐車場に駐めさせて貰おう・・・と地図を眺めていたら、いくつか旅館があるのが目についた。これだけニュースで危険な量の雨が降ると言っているのだから、一度くらい旅館に泊まってもいいじゃないか、と思って旅館に空きがあるか尋ねたら1件目は満室と断られた。次の2件目に聞いてみると、やはり「満室です」と困った顔をされた。仕方ないなと思ったのだが、続けて(正確には覚えていないが)

 「今日の天気だと、今からの移動は危険だと思います。明日の朝■時に起きて頂けるのであれば部屋を用意しますが・・・もちろんお食事もご用意できます」

 といった内容の声をかけられた。なんのことか分からなかったが、早起きは別に苦ではない。そう思っていたら案内された部屋はなんと大広間だった。いわゆる宴会場だ。コーナーにどでかいテレビ、隅っこにカラオケ(レーザーディスクのやつだったと思う)が置いてあった。40名ぐらいの大宴会が出来るんじゃないかという部屋だった。天井が高い。いわく、今夜は宴会がないので使用しないという。しかし、朝食会場としては利用するので明日の朝は■時までに起きて貰わないと困るとのことだった。こんな経験は二度と出来ないだろうと有り難く泊まることにした。

 一組の布団を持ってきてくれた。さらに食事も用意してくれて食べることが出来た。自販機でビールを買った。何十畳もあるようなドでかい部屋で、ひとりポツンとご飯を食べながらビールを飲んだ。今でも忘れられない。思い出す度に、恥ずかしさと、面白さと、貴重な体験だったな、という複雑な感情が混ざり合ってニヤニヤする。テレビがでかすぎて、距離を空けないと目が変になりそうだったので、布団の位置をテレビを見るのに丁度良い位置まで引っ張っていったが、どこに布団を置こうが空間がありすぎだった。床以外の布団の先にこれほどの空間があったことはないな、と猛烈に面白かった。雨音が激しいのと、部屋が広すぎて、寝付きは良くなかったように思う。

 それでも翌日はしっかりと時間までに起きて、布団を畳んで、朝食の準備が進むなかでテレビをみて、そのまま朝食を食べて、旅館を後にした。とても良い思い出だ。あの旅館には、本当に感謝している。後にも先にも、あんな思い出は得られないだろうなと思う。今でも時々こうやって思い出す。TVで、旅先で、大きな宴会場を見る度に思い出す。いつか自分の子供に同じ体験をさせてあげたい。もし「宴会場宿泊プラン」みたいなのがあれば利用したい人はいるのではないだろうか?少なくとも私は、またいつか宴会場に泊まってみたいと願う。あの体験をもう一度してみたい。大きな部屋で、今度は家族で川の字で寝るのだ。たっぷりと空間を空けて。きっと楽しいに違いない。

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