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363_何者かになるために

私は、noteというSNSに1年間投稿を続けた。主に、私自身のことを中心に、昔から感じていたもやもや、その日の出来事、愛とか恋とかについて、を日記のように書き連ねてきた。
365回も投稿しているので、途中、手を抜いてしまう時もあった。写真だけや、一言だけなど。今回の番号が、363なのは、私がどこかで間違えて数字をダブらせてしまっているからだ。

noteに投稿を始めた1年前は、私が感じたことを残しておくため、私の話を面白いと言ってくれる人に届けるため、文字書く人ってなんかかっこいいと思ったから、という理由があった。しかし、半年経ったくらいからなんで書いているのだろうと疑問に思うことがあった。それは、始めた当初より明らかにネタが切れてきていたし、スキの数も減っていたし、私の話は誰かに届いているのだろうかと感じていた。誰にも読まれていない話を書き続けるってなんとも虚しく意味のないことだなと、小説家や物書きを志そうとは思っていなかったが、なんとなく気持ちがわかった気がした。
「note読んでるよ」
久しぶりに会った友人に、こう言ってくれる人がいると気合を入れようと思った。今考えれば、この言葉がnoteを続ける原動力になっていたのかなと感じる。
私の伝えたいことがうまく表現できたと感じる時はとても気持ちがよかった。それに比例して、スキが多くなると飛んで喜んだ。

noteを1年間続けてきて最も嬉しかったことは、何者かになれるヒントを発見したことだ。私自身が、何者かになれる気がしていた。私は今でも、モラトリアムの渦中にいて、ゴールがないぐるぐるを彷徨っている。私は一体何者なのか、何を探しているのか、何をすれば良いのか。

しかし、noteを書いている時、ネタを考えている時、読んでもらった感想を伝えてもらっている時に心が満たされ、私がnoteをしている意味があるような気持ちになった。私がnoteを書いているときは小説家やライターになれる。感想を伝えてもらっている時には評論家にもなれる気がする。その場では必ず相手と私が必要で、確実に意味がある瞬間が流れている。私が書いた、表現したものを、誰かが読んでくれ、意見してくれる。その時に、私は何者かになれた気がしていた。

別に特別なスキルも何も必要ない。必要なものは続けることだ。大きな成果を出したわけではないが、1年間続けたという結果は残せている。そこで、何者かになることがとても大切なことだと学んだ。
何者かになる為には、特別な能力もコネも道具も必要ない。私は、noteを投稿し続けた。今、私のnoteを読んでくれている人は、私のことを文字で表現する人というレッテルを貼っているだろう。毎日の投稿を楽しみに待っていた人には、面白い文章を書く人という嬉しいレッテルを貼っているかもしれない。
また、私は自らをフォトグラファーと名乗り続けた。その結果、今はフリーランスフォトグラファーとして活動させていただいている。

有名大学出身じゃなくても。資格がなくても何者かになれる。大切なことは続けること、続けた過程を振り返ることだ。note楽しかった。

noteの毎日投稿は一旦終わり。だけど、また気まぐれで投稿しようかな。
また見てくれる日まで。
ありがとうございました。


noteは、普段考えていることを文字で吐き出す
Instagramは、普段考えていることを形にして表現する

写真撮っているので見てください
https://www.instagram.com/ganometherapics/?hl=ja

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