今も、あの時も変わらないもの
3月11日。
今日はニュースに、SNSに2011年3月11日に起こった東日本大震災から10年ということもあり、様々な人、想い、歩み、取り組みを目にした。
あれから10年。
あっという間という感覚もあるし、まだ10年なのかという思いもある。
転勤族ではあったけど、宮城で生まれて、宮城と岩手に祖父母、親戚、大切な人たちが多くいる自分にとってあの日起こったことは他人事ではなかった。
祖父母は大丈夫か。
親戚は大丈夫か。
大切な人たちは大丈夫か。
石巻、気仙沼、南三陸に親戚が多く住んでいるので気がきではなかった。
あの日、東京の六本木にあるオフィスにいる時に地震が起きて。
当時はメディア業界で働いていたので、そのまますぐに震災についての報道や対応をすることになっていた。
それでも自分の中で、虫の知らせがあって、「家に帰らなければ」と思い、六本木から三鷹まで歩いて帰った。
家について数10分後。
母親がパニック状態で自分の部屋に入ってきた。
何事かと思い、父親を見にいくと、痙攣を起こしていた。
これはやばいと思い、すぐに119で救急車を読んだ。
震災当日、場合によってはすぐにはきてくれないのではと思っていたけど、すぐに救急車が駆けつけてくれて、そして運よく家の近くにある救急病院に入れることに。
そしてそのまま手術に。
5時間後。
手術が終わって、医師に言われたこと。
「脳出血でした。あと30分遅かったらおそらく助からなかったと思います。すぐに救急車を呼んだこと、そしてすぐに受け入れられる病院が見つかったのは本当に運が良かったと思います。ただ脳出血による麻痺が残ってしまうので、元どおりに戻ることはありません。麻痺が残ってしまいますし、麻痺がどこまで良くなるかは本人次第です。」
確かに助かったことは運が良かったのかもしれない。
それでも東北では、地震、そして津波によって多くの命が失われた。
その人たちは運が良くなったのか。
決してそんなことはない。
なぜかこの運が良かったという言葉に引っ掛かりを持ち続けていた。
その後、父親も意識を取り戻した。
自分の置かれた状況を受け入れるのは簡単ではなかったと思う。
それでも少しずつ向き合っていこうとしているように見えた。
そしてひと段落ついて、考えた時に思ったこと。
「東北に行こう」
どうなっているか分からない。何ができるか分からない。
それでもこのまま東京にいて、ただ待つだけではいれない。
自分の目で見て、自分にできることをしたい。
そしてみんなが無事なのかを確かめたい。
そうして、当時の職場に相談して、報道、そして東北でNPOとして活動を行なっている知り合いのツテを元に、震災から3日目の3月13日、宮城に入った。
学生時代に国際協力を行なっていて、途上国、紛争国に行って、活動をしていた。
目を背けたくなるような光景、出来事も沢山見てきた。
それでもあの日、宮城で目にした光景は想像を絶するものだった。
10年経った今でも忘れることはできない。
津波によって、原型をとどめないほど、破壊され尽くした街。
そして命が止まってしまった沢山の人たちが、そこかしこにいた。
震災から3日目。
まだその人たちをなんとかすることもできずに、そのままになっていた。
少し前までは確かに息をしていて、仕事をしていたり、学校に行っていたり、家族がいて、大切な人がいて、普通の生活を送っていた沢山の人たち。
そんな沢山の人たちの命が一瞬にして奪われてしまった。
その人たちが何かしてしまったのだろうか。
中には大切な人、誰かを救うために、命を落としてしまった人もいる。
そんな人たちを前にして、「運が悪かった」という言葉で片付けることは決してできない。
だからこそあの時、医師に言われた「運が良かった」という言葉が自分の中では消化できなかった。
この光景を前に、果たして自分にできることがあるのかと思った。
それでも避難所を回って、炊き出しを行なったり、瓦礫の片付けを行なったり、子どもたちと遊んだり、色々な話を聞いたりと、とにかく自分にできることをやっていった。
その中で、祖父母が無事だったけど、親戚、そして大切な人がいまだに行方が分からなかったので、探していた。
宮城で過ごしたこの1ヶ月。
今でも全てが整理できている訳ではない。
そしてこの10年間。
この出来事はあまり人に語ってこなかった。
なぜかは分からない。
その後、帰らぬ人となって親戚、大切な人とは再会することとなった。
きっと沢山の人がそのような経験をしてきた。
あれから10年。
いつ、何が起こるか分からないからこそ、いまを、自分の思いを大切に行動する。
それは当時も、いまも変わらないこと。
自分にできることは限られている。
それでもゼロではないはず。
これからも自分にできることをやっていこう。
PS:まとまりのない文章を読んでいただき、ありがとうございます。だいぶ端折っているので、伝わらないことが沢山あると思いますが、少しずつでも伝えて、繋いでいけたらと思っています。
文:がんちゃん
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