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缶コーヒーと私

缶コーヒーを飲むのは決まってランチの後。
これは私が缶コーヒーを飲み始めてからずっと変わっていない。
ルーティンになっている。

きっかけは高校生のころ。
購買の隣にあった自動販売機をなんとなく眺めて
少年Ganmoはふと、
(高校生にもなって缶コーヒーぐらい飲めなきゃだめだよな)
という思考にたどり着いた。

今考えると、何を大人ぶっていたんだろうと
若干中二病入ってんじゃないかと笑ってしまうのだが、
当時の自分は真剣にそう思っていたのだから仕方ない。

それまでただの一度もコーヒーを口にしたことがない人間にとって、
自販機の缶コーヒーを買って飲むというのもなかなかに勇気がいるものだ。

それでどうしたのかと言うと、

3日悩んだ末にようやくボタン押しました。
結構迷いましたね。

で、思い切って飲んでみて
(おっ、美味い)となってからは早かった。
昼食後は決まって自販機で缶コーヒーを買うようになった。

そのうち、缶コーヒーに「メーカー」すなわち種類があるという
ことが自分の中に認知として芽生えてくると
缶コーヒーをもっと知りたいと思うようになった。
町中のいろんな自販機をチェックするようになった。

よく缶コーヒーはどれも同じだという人がいるが、
缶コーヒーは「出会い」であると私は思う。
例え同じ種類の缶コーヒーでも、
時期や飲むタイミングでも全く違った印象を受ける。
(無論缶コーヒーに限った話ではないけれど)
これを話すと長くなりそうなのでまた別の機会にでも
話せればと思う。

とにかく学生時代はあちこちの自販機を駆け回った。
缶コーヒーの種類を把握するためだけに
大学のキャンパスを端から端までチェックした。
なかなかにイカれてたと思う。
初めて見かける缶があれば迷わず飲んだ。

今でこそ普通のブラックコーヒーを飲む機会も増えたが、
当時は何分学生なので、毎日どこかの喫茶店に入って
コーヒーの飲み比べをするほどの懐はなく、
なけなしのお金でふらりと訪れた場所の自販機で
缶コーヒーを飲むのが幸せだった。

最後に、
缶コーヒーの魅力というか、私にとって缶コーヒーを手放せない理由は
飲んでいる時間そのものかもしれない。

185mlを飲み切るほんのわずかな時間だけ、
普段の日常、仕事の忙殺された自分の頭の中を
空っぽにできる。

その時間がなんと贅沢で至福なことだろうか。
そしてあの缶の中身の量が絶妙に儚い時間だと思える。

喫茶店のカップももしかしたらこだわっているお店であれば
相当選び抜いているのではないかと思う。

それくらい飲む量と時間の関係性は
私にとってはデリケートなもので、
缶コーヒーほど絶妙な飲む時間をもたらすものはないと思っている。

もしあの時、思いきれずに飲むのをためらっていたら
今頃こんなどうでもいいけど
とても魅力的で
大事な差異に気づかず生きていたかの知れないと思うと、
あの時の自分に感謝しかない。

そんなこんなで、これからも
私は缶コーヒーを飲み続ける。探求する。

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