今はなき代ゼミ原宿校に通っていたとき、僕が参加したコースの古文担当が有坂誠人氏だった。
選択問題が主流の大学受験において、出題者はまず正解の選択肢を作る(当たり前だ)。今度はその正解をもとに、受験生を誤答に誘導する不正解の選択肢を仕立て上げる。正解のように見せなくてはいけない、でも絶対に正解であってはならないという、一見撞着する命題をクリアするために生じる(生じざるを得ない)出題者の心理的傾向を踏まえたいくつかの特長を学び、問題文を読まずとも直感的に不正解選択肢を省いてゆくという「例の方法」を考案した。
この「方法」の弱点は、引っ掛けるつもりがない選択肢はいくら考えたって答えは導けないということ。
だからこそ有坂氏はこの方法を100%習得しても正答率は7割が限界と言っていた。でも一般的に大学入試は6割取れば合格するのだから、受験テクニックとして取り入れてみる価値はあるのでは、と。
この「方法」は、僕が代ゼミに通う10年以上前には有坂氏によって提唱がされ、当時の受験産業においては相当センセーショナルに受け止められたようだ。すでに落ちぶれ、隣駅の教室で出来の悪い生徒を前に熱のない講義をされていた僕の在校中ですら、多くの講師たちから、有坂批判、「例の方法」批判を耳にした。ただ、その内容はどれも有坂氏の本すら開いたこともない、「問題文を読まず、選択肢から回答を導く」という煽り文句に飛びついて揶揄する薄っぺらいものだった。
正解があり、正解に見せる不正解の選択肢を作るという選択肢問題の成り立ちは、受験生をふるいにかけるという入学試験の宿命上、不変であり、絶対的なものである。それに伴い、選択肢作成においてある傾向が出てくるのは自明なことだ。その論拠についてどこに議論の余地があるだろうか。
マスターして7割か否かは、誰も証明できるものではない。受験生が判断をして、取り入れるか取り入れないか決めれば良いことだ。
20数年前にがんの放置を唱えた近藤誠氏の著作を読んだとき、有坂氏の顔が真っ先に浮かんた。
『患者よ、がんと闘うな』がベストセラーになると、医学界からの反発は凄まじく、そして今も絶えることはない。しかし、近藤氏が言っていることはシンプルだ。「がん患者は増えている。発見後の生存率は上がっている。でもがんによる死者は減っていない。それって、見つける必要のないがんを見つけ出して「治している」だけだし、死者が減っていないということはそもそも現代医学では死ぬがんを見つけても治らないのでは?」という言われてみれば至極当然の事実だ。その後、僕は好んで医師、ジャーナリスト、癌キャリアなどの多くの批判記事を読んできたが、いずれも近藤氏の主張に向き合っていない、或いは著しく読解力に欠けているものだけだと断言できる。つい先日も東洋経済オンラインにセカンドオピニオン外来を受診したという記事が掲載され、多くの人の目に触れたかもしれないが、近藤氏がセカンドオピニオン外来を立ち上げた時代から経過した7年という時間がまるで止まってしまったかのような、一方で、これがジャーナリストを名乗れる時代が来るのだから、ネット情報は鵜呑みにするなとあえて警鐘を鳴らしてくれているのかなとライターの自己犠牲を疑うような旧態依然の、既読感満載の空虚な記事であった。
僕自身が経験したなかで、有坂氏は「方法」をマスターすれば東大受験を突破できるとも、近藤氏はがんを放置すれば治癒するなどとは決して言っていない。当たり前の事実を示し、考え方を伝えるから、あとは自身の判断に任せると言っているに過ぎない。
人生の岐路くらいはブレずに進んで行きたいと思う。

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