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いばら姫の話。

幼稚園の頃、1番よく読んでたのは多分『いばら姫』の絵本。まあストーリーは眠れる森の美女とほぼ同じ。ある時なかなか子どもの出来なかった王様夫妻にお姫様が産まれる。王女誕生のパーティーが開かれることになりそう国中の魔法使いを招待することになる。13人魔法使いがいる中、金のお皿が一枚足りないということで12人のみ招待された。招待された魔法使いたちが美や徳などをプレゼントする中、突然招待されなかった魔女が現れ報復に王女が年頃になったら糸車の針が刺さって死ぬ呪いをかけられるんだけど、まだお祝いをあげてなかった魔女がお祝いの代わりに死の呪いを弱め100年の眠りの呪いに変える。王様たちは呪いの期日までに全ての糸車を回収して燃やすんだけど、一つ残ってて老婆に化けた呪いをかけた魔女が王女を誘い込んで糸車を触らせ奇しくも呪いにかかるという。そこで眠りの呪いに変えた良い魔女が城全体に眠りの魔法をかけて全員を眠らせて時が来たら目覚めるようにした。時は経ち、城はいばらに覆われている。そこを近くの国の王子がやってきて、村人に尋ねる「あの城には何がある?」と。すると村人は「美しいお姫様がいるらしいがいばらの呪いで辿り着けたものは誰もいない」と答える。王子は美しい姫に会いたいと思い城に行く。そのとき、城にかかっていた呪いはもう解けていてお姫様のところまでたどり着き、お姫様にキスをしたら目覚めて城の者達も同じように目覚めて幸せに暮らしましたハッピーエンド。って話。

幼稚園の年長のとき、学芸会で『いばら姫』をオペレッタでやったんだけど、王様、お妃様、魔法使いたち、お姫様、王子様、悪い魔女とか色んな役がある中で当時1番やりたかったのは王子様だったんだけど(かっこいいそして目立つ役が良かった)当然男の役は男の子がやるわけでやらせてもらえず、先生に振られた役は悪い魔女。台詞は多分役の中では結構多くてキーパーソンだし今考えればめちゃくちゃおいしい役だったんだけど、最初どうしても王子がやりたくてめちゃくちゃ嫌でぐずってた気がする。でもたしかお母さんか誰かに『先生が私なら出来ると思ったからこの役にしたんだと思うよ』みたいなことを言われて、当時幼稚園の先生大好きだった私は超単純だったので大好きな先生が任せたってことはそうか私にしか出来ないのか!となんとまあ単純なのか一生懸命台詞を覚えたり簡単な段取りを覚えたりやる気満々で頑張ったわけです。で、終わった後色んな人からその魔女がめちゃくちゃ褒められてその嬉しさと舞台に立つ楽しさから今でもずっと舞台に立つのが好きで実際俳優になっちゃいました。

今でもまだ覚えてる魔女の台詞のところ。『よくもこの私をのけものにしてくれましたわね。』で呪いをかけるぞーみたいな歌が入って『うふふふふ。あはははは。あーっはっはっは!』って高笑いしながら去るみたいな感じだったのかな。ちょっと違うかもしれないけど大体そんな感じ。

当時の記録映像がビデオテープであるんだけど、妹にはその時の私が怖かったらしく親とかがビデオ見始めると逃げてたな…。

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赤いフードつきマント被ってるのがそのときの私。なんか変な顔になってるけど。


思えば、本とかお芝居が好きなのって幼稚園とか小さい頃に読み聞かせをしてくれたお母さんとか幼稚園の先生たちのおかげかなとすごく思う。学芸会であんなに最初好きじゃなかった役で最後褒めてもらえなかったらここまで舞台に立ち続けたいと思うほどお芝居するの好きになれなかっただろうし。色んな人にタネをまいてもらって育ててもらって、途中から自分でそのタネを育てていって。

そういう豊かな土壌を身近な大人にたくさん作ってもらったから人間的にも文化的にも豊かに成長できたような気がする。

そういう意味では昔からハッピーエンドな物語やおとぎ話が好きでお芝居も好きで人をドキドキワクワクさせることも好き。perrotの作風と相性が良いのは今考えてみれば、そういうとこから来てるんだろうとある意味合点がいった。

これは親からの受け売り+α自分の言葉だけど『縁があれば絶対にどんなに接点がなくてもいつかどこかで会えるし関わることがある、逆にどんなに願ってて接点を作ろうとしてもなぜか会えないのはその人と縁がないからだ。だから縁があった人や機会、ものは大事にしなさい』これはマジでそうだと思う。

縁がある人とは連絡を取っていなくてもふっとばったり会えたりする。オーディションに受からなくてもそのベクトルではその団体や作品に縁がなかっただけ。だからいつも一期一会で。出会えた人たちとの縁をこれからも大事にしていきたいななんて思ったのでした!

おしまい。

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