転売する人々とクリエイターの価値

先日、アメコミ(アメリカンコミック)文化に詳しい友人と雑談していて、自分の発想にはなかった文化、慣習を教えてもらい感心することがありました。

アメコミといえば、日本にもファンが多い有名どころでは、スーパーヒーローモノでお馴染み、映画化された作品も多いMARVEL COMICSやDC COMICSなどがあり、その歴史は1940年代にも遡る…といったところは、Wikipediaを調べればすぐに出てくることですし、あまりアメコミに深い思い入れがない私でも、ゲームや映画からの知識でそれなりには知っています。

50年以上も歴史を持つ作品もあるわけで、昔からのファンの方もいれば今時の子供たちまで、老若男女に愛されており、日本だと特撮文化がひょっとしたら近いのかもしれません。

「COMIC-CON(コミコン)」という、コミック文化に関する世界的に有名なコンベンションイベントが、毎年本場アメリカを中心とする各国各所でおこなわれており、ファンとクリエイターの交流の場として多数の来場者が訪れます。昨年2016年には日本初となる「コミコン東京」が開催され、多くのアメコミファンが国内外から訪れた…というのも有名な話だと思います。私が知っているアメコミ知識というのも大体このくらいまでです。

クリエイターへのリスペクト=支払う対価という考え

「アメコミっていうのはお金のかかる趣味なんですよ」とその友人は言いました。そりゃあ、何十年も前のビンテージ作品とか、レア物のコレクターズアイテムとか、そういうのたくさんありそうだもんね。と思ったんですが、どうやらそれだけではないようです。

「それもあるんですけど、コミコンで作者の人が来場して、サインとか写真とかお願いするじゃないですか、ああいうの、全部値段が決まってるんですよ。それもやっぱり大物であるほど値段も高くて。サインも、例えば好きなキャラも一緒に描いてもらおうと思ったらプラスいくら、とか。」

えっ、と思いましたが、たしかにそりゃそうです。日本の漫画家に例えたら、例えば鉄腕アトムのキャラクターイラスト入りの手塚治虫のサインなんかあったら、普通に売れちゃいますよね。彼らはサインひとつでも(本人の意思とは無関係に)金銭的な価値を生むことができてしまいます。

また、大物のクリエイターにサインをもらいたい、写真を撮りたい、と考える人はたくさんいますから、すぐに行列になる。何時間待ちということになります。下手したら人数制限がかかる。そうなるといくら待ってももうサインはもらえません。クリエイターも仕事としてその時間拘束されていて、タダ働きをしているわけではありません。そうしている時間に創作だってできるわけで。

なので、「とりあえず有名なクリエイターだからサインもらっておこう、ひょっとしたら値段が上がるかもしれないし」といったにわかファンのような人をある意味「排除」するための「ふるい」として、しっかりと料金が設定されています。本当に好きな人だけが列に残り、ファンの人は支払った対価の分だけ、好きなクリエイターと交流することができます。非常に合理的な考え方だと私は思います。クリエイターのクラスによっては、写真だけでも数万円の料金がかかるとか、と聞きましたが、そのお金を払って写真を撮る人は、当然念願叶って写真を撮っているので、みんな笑顔で写真に写ります。

アメコミは歴史が長いため、昔ファンだった子供が大人になるにつれ、好きだったスーパーヒーロー達から学んだいろいろな教えを活かして大成したということだってたくさんあるでしょう。そういった人達にとっては、自分を育んでくれたスーパーヒーロー達の生みの親であるクリエイター達はかけがえのない存在だろうと思います。クリエイター達へのリスペクトによって文化が育ち、そうやって文化が豊かになることで、また次代のクリエイターが生まれる土壌となって文化が紡がれていきます。

日本におけるクリエイターの価値を知る人達

どちらが良いか悪いか、という話ではなく、少なくとも私は、日本におけるクリエイター産業にそういった文化、慣習があるといった例は聞きません。貧富の差に関わらずみんな平等、という点においては悪いことではないと思います。「作品の前ではファンはみんな平等」という意識が、ファンの中でもクリエイターの中でも同じ認識として持たれています。

ですが、そういった慣習につけこんで、財を為そうという人達がいます。ここで出てくるのが、言わずと知れた「転売業者」というやつです。彼らがなぜ転売行為をおこなうか、というのは至極シンプルで「楽して儲かるから」です。その時間別のことをしたほうが儲かるのであれば、わざわざその手段に転売など選びません。

転売というと、個人でおこなわれているイメージを持っている人も多いと思いますが、先の知人いわく、大部分が「組織的に」おこなわれているそうです。彼らはいつでも法律や道徳の抜け穴から、「楽して儲かる」手段を探しています。

特に芸術的価値が高く、高額で取引されるフィギュア類の限定販売においては、周囲を威嚇、恫喝し、他の客に買わせないようにして自分達だけで目当ての商品を大量に買っていくということまでされるケースも珍しくないそうです。

逆に言えば、彼らはその商品がどれだけ高額で売れるかを知っているからこそ、そこまでしてその商品を手に入れようとするわけです。そこに作品に対する愛や熱はなく、代わりにどこまでもドライな「損得勘定」があります。褒められることでは決してありませんが、皮肉にも、一番客観的にクリエイターの価値を理解している人達は彼らであると、私はその話を聞いて思いました。

(誤解ないように一応書きますが、私もこういった「組織的転売業者」には非常に強い嫌悪感を持っています。それは、「転売行為」そのものに対してではなく、愛のない人が愛のある人から夢を奪う行為であるためです。小売業者はみな等しく転売行為をおこなっていますので。)

「骨董」になれないゲームカルチャー

その作品に人気があればあるほど、希少であればあるほど価値が高くなっていくもの、といえば、代表的なものは美術品、芸術品がそうでしょう。特に、古くてなおかつ状態のよいものともなれば、その価値は急騰します。重要なのは、そんな「骨董品には価値がある」という価値観そのものが、美術や芸術に詳しくない人達の間にも一般に浸透していることではないでしょうか。

街で見かけることは少なくなったものの、そんな品を扱う「骨董品屋」というものは別に珍しいものではありません。どこかから買い付けた骨董品を、店主の目利きで値付けし、本来の価値にふさわしい値段で売る。これらの商売が表立って非難されることはほぼないと言っていいでしょう。私は聞いたことはありません。

ことゲームに関しては、安い「中古品」こそ歓迎されはするものの、定価よりも数倍もの値付けをおこなう「プレミア品ショップ」というのは、どちらかと言うと批判的な目で見られがちです。

私が初めてゲームソフトに骨董的価値があることを意識したのは、90年代から00年代頃に秋葉原に点在していたレアモノを扱うゲームショップでした。メガドライブの「コミックスゾーン」が箱、取説つきで28000円(うろ覚えですが)で売られていたというのは、当時では結構話題になったので知っている方も多いと思います。TRADER、メッセサンオーあたりが有名でしょうか。

元値がたかだか数千円のものが3万円に!?と当時でも驚かれましたが、そもそも、経済の基本法則として、商品の値段というのは需要と供給によって決まります。元の値段は同じでも、供給量が多く余っていれば安くなるし、少なく不足していれば高くなるのは自然なことです。ワゴンセールは前者で、プレミア商品は後者。ただ、ゲームを愛するゲーマー達にとっては、ゲームはみな平等、貴賤などない、と思いたかったのでしょうか。「骨董品」を「中古品」と同列で考え、定価のまま安くならないことこそあれど、定価より高くなることがあっていいと思う人はほとんどいなかったように思います。

ゲームカルチャーにおけるこの「定価信仰」は今も根強く、それは売り手側も例外ではありません。SwitchやPS VRなど、需要が高く手に入りにくい商品であっても決して値段を変えることはしない。純粋にその製品を愛している人にも、単なる転売商材としての見方しかしていない人にも平等に同じ条件で売る。性善説に基づいたこの考えが、世の中の「転売ヤー」につけこまれているというのが現状です。

「商品の価値」の先にあるもの

この感覚の違いというのは、「商品」としての価値と、「作品」としての価値の違いかなと考えました。絵画や彫刻などの芸術品を「商品」として扱う人はあまり多くはないと思うのですが、ことゲームやマンガなどは、「商品」とも言えるし「作品」とも言えます。工場で大量生産されるもので、人の手によってひとつひとつが作られているものではない、というのもひとつの要因かと思います。

私は、「商品」と「作品」を分けるのは、その先にいる「作者」の存在ではないかと考えています。

先述の通り、アメコミの世界では、クリエイターに対するリスペクトが非常に強いのですが、同様に、COMIC-CONなどのファンコミュニティではゲームクリエイターに対してのリスペクトも非常に強いです。ゲームのプロデューサー、ディレクター、イラストレーター、コンポーザーといった人達がファンとの握手会やサイン会を開くという光景はアメリカのファンイベントではよく聞く話です。

また、最近ではKICKSTARTERのようなクラウドファウンディングもメジャーなものになってきました。あれこそまさに、ゲームを「作品」として捉え、クリエイターへのリスペクトをお金の形に変換する合理的な仕組みだと思います。KICKSTARTERが生まれたのも、アメコミの国、アメリカ合衆国だと考えると、通じているところがあるのかもしれません。

アメコミの世界では、このように「商品としての価値」+「作品としての価値」がクリエイターに還元されています。転売業者はこの「作品としての価値」をかすめとることで儲けを得ていると思っています。作品としての価値が第三者に搾取されることなく、正しくクリエイターに還元されるようになるとよいなと、アメコミ文化の話を聞いて感じたのでした。

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