ゲームでボタンを押す意味

◆はじめに

『最後の一撃は、せつない。』

このキャッチコピーで知られる名作ゲームがあります。
その名は『ワンダと巨像』。
プレイステーション2対応ソフトとして2005年10月に発売されたタイトルです。

開発者である上田文人(うえだふみと)は既に『ICO』というタイトルで世界に知られていました。

2001年に発売された『ICO』から4年。
満を持して発売された『ワンダと巨像』は世界中でセンセーションを引き起こしました。

後年、ゲーム業界の人々は『ワンダと巨像』をこう評します。
「ゲームがアートになった瞬間」と。
※…という記事を数年前に見たはずなんですが、見つからない!

余談ながら、アーティストの米津玄師も『ICO』や『ワンダの巨像』からの影響を口にしています。

「ワンダと巨像」特集 米津玄師インタビュー

さて。
本投稿では『ワンダと巨像』の凄まじさについて語るつもりはありません。
なぜ、この作品はそれほどまでに人々の心に残ったのか?

それはキャッチコピーに隠されています。
『最後の一撃は、せつない』
この最後の一撃を繰り出すのは誰でしょうか?
主人公であるワンダ?
ゲームの中ではそうなりますね。
でも、ゲームの外では?

最後の一撃を繰り出すのは「あなた」です。

◆あなたにとってボタンを押す意味とは

ゲームを始めると、あなたはボタンを押すように勧められます。
あるいはボタンを押したくなります。

ゲームはあなたのプレイによって動き出します。
そう、あなたはゲームのためのエンジンです。
ボタンを押すということはエンジンを点火するということ。
ゲームはストレス発散や感動体験など、あなたに奉仕しているように考えていませんか?
ゲームからして見れば、あなたもまたゲームに奉仕しているのです。

開発者は綿密な計算のもとに歯車を噛み合わせ「ゲーム全体の構造」を作り上げます。
しかし、その最後のキーとなるのはあなたのボタン入力です。

ゲームの中でボタンを押す意味とは。
ゲームを動かすこと、世界を変化させることです。
その変化が魅力的であれば、あなたはボタンを押し続けるでしょう。
もっと変化を! もっと自由に!
ゲームから得られるフィードバック(リアクション)は、あなたを一層ボタン入力へと誘います。

やがて歯車が止まる時がやってきます。
予想はしているものの、その瞬間はいつだって唐突で忘れがたいものです。

あなた自身が歯車となり、噛み合い、大きな世界と一体化した余韻を味わった時、あなたはそのゲームを一生忘れないでしょう。

ユーザーにとってボタンを押す意味とは、
・世界に変化を起こし、そのフィードバックを得ること
・ゲーム構造に取り込まれて没頭すること
・歯車の動きを止めるために終わりを目指すこと
になります。

◆開発者にとってボタンを押させる意味とは

開発者はユーザーがゲーム構造に取り込まれて没頭する姿を想像して、ゲームを開発します。

そのためには前述した3点を「ゲームデザイン」から達成することが求められます。

①世界に変化を起こしたと感じさせる
これは「フィードバック」ないし「リアクション」によって達成されます。
「反応」と言い換えたほうがわかりやすいかもしれません。
ただし、意味のない反応は、ユーザーにとって価値がありません。
ユーザーが「意味がある」と感じるような反応を用意する必要があります。

意味とは何から生まれるのか?

方程式としては以下のようになります。

ユーザーの期待、予想 <= ゲーム側の反応

つまり、
・ユーザーの期待通りである
・ユーザーの予想通りである
・ユーザーの期待以上である(程度は問わない)
・ユーザーの予想以上である(程度は問わない)
反応を用意すれば、価値があると判断されます。

たとえばユーザーの期待が「1」であれば、
反応は「1以上」の値であれば良いことになります。

ユーザーの値をどう知るか?
手段としては「事前の状況(文脈)」と「労力(ストレス)」があります。

道を歩いていたらたまたま小銭を拾った。

これはユーザー値が「0」で、反応が「1」になります。
よって、ユーザーは価値を感じるでしょう。

自動販売機の裏を調べたら1000円札が落ちていた。
※ゲーム内の出来事です

ユーザーは「自動販売機の裏を調べる」という労力を払っています。
また「この裏には何かあるに違いない」という期待を持っています。
仮にユーザー値が「2」だとすると、反応は2以上必要になります。

ここで注意すべきが1000円という値段設定です。
ゲーム内で1000円が価値をもたない場合、反応値も下がっていきます。
たとえばおばあちゃんからもらえるお小遣いが1日500円だった場合、
1000円は2日分の価値となり、大きな意味を持ちます。
(シェンムーというゲームでは主人公が毎日お小遣いをもらいます)

反応について誤解しがちなのが「システム上の報酬を設定する」必要があると思い込むことです。

反応はあくまでユーザーにとって価値があればいいので、必ずしもゲーム内リソース(お金、アイテム)を報酬として渡すことにはなりません。

要するに「うれしければ」いいわけです。

自動販売機の裏を調べたら薄汚れたお守りが落ちていた。
どうやらクラスでいじめられている生徒のものらしい。
後日、お守りを渡すと、生徒は泣いて喜び事情を話してくれた。
曰く、亡くなった祖母からもらった大切なお守りであったと。

これはちょっと要素が連結しすぎていてズルい例なのですが、
このように「リソース以外」の報酬を設定することもできます。

もっと単純に、

自動販売機の裏を調べると、500円玉が落ちていた。
喜び手を伸ばして掴むが、腕が抜けなくなってしまう。
500円玉を握りしめている間は抜けないようだ。
泣く泣く500円玉を手放すと腕は抜けたが、服は汚れてしまった。

このように、ちょっとしたギャグを見ることができるだけでも、
ユーザーにとって意味が生まれます。

もちろん、ユーザーによってはシステム的メリットだけを追求し、
イベント的メリットは必要ない、不愉快に思うケースもあります。

なので、開発者は「どういうユーザーがこのゲームを好むか」を想定し、
「どういうメリットを喜ぶか」想像する必要があります。
※普通、システムとイベントの両方のメリットを模索します

②ゲーム構造に没頭させる

これは、
・知っていること
・分かること
・意義を感じること
の3つのステータスで達成できます。

ゲーム内の要素についてユーザーの状態は以下のようになります。

無  :□
気づき:?
知る :■
分かる:!
意義 :♪

ユーザーはゲーム内の要素について必ず、
無→気づき→知る→分かる→意義を感じる(楽しむ)
というフロー(流れ)を経ます。

ステータス:無
もっともマズい状態です。
せっかく要素を作ったのに、ユーザーは気が付いていません。
それどころか、気が付かなかったことでゲームを止めてしまいました。

ステータス:無→気づき
ユーザーがゲーム内要素とリンクした瞬間です。
ここぞとばかりに素晴らしい反応を用意しましょう。
うまく印象付けられれば、あとはユーザーが能動的に没頭してくれます。

ステータス:気づき→知る
気づいた結果、ユーザーが情報を調べ始めました。
この情報はユーザーに「所持された」状態なので、
よほど印象が薄くない限りは覚え続けてくれます。
ときどきリマインド(思い出させる)ことをお忘れなく。

ステータス:知る→分かる
関わった出来事について把握した状態です。
もはやこの情報を放っておくわけにはいきません。
ユーザーは手に入れた情報を使う(ゲームを進行させる)までは、
常に意識するようになります。

ステータス:分かる→意義を感じる
システム的なメリットを超えて、ユーザー自身にとって価値を感じるようになっています。
この課題を達成した時、ユーザーは素晴らしい達成感を得るばかりか、忘れられない思い出を手に入れることになるでしょう。

このように、ゲーム内要素に触れたユーザーを無から意義を感じるまで
誘導すれば、開発者の勝利(?)となります。

□ → ? → ■ → ! → ♪

ですね!

ちなみに、この考えはマーケティングモデルのAIDMA(アイドマ)を参考にしています。

AIDMAとは?

③ゲームの終わりを目指させる

ユーザーは何を用意すればゲームエンドを目指してくれるのか?
もっとも分かりやすい手段は「魅力的な物語」を用意する、です。
これを達成するために「才能のあるライター」を雇う必要がありますが…

もうひとつが「とてつもなく大きなマイナスを与える」です。
物語が最初から最後まで連続するものだとすると、
こちらは「設定」と言ったほうが正しいかもしれません。

たとえば、
「いきなり世界が滅び、主人公は滅びの前の1週間へ飛ばされる」
「いきなり殺し屋に狙われるようになり、生き延びる」
「いきなりヒロインが殺され、主人公は復活を目指す」
「いきなり海洋惑星に墜落し、脱出を目指す」
などがあります。
※最後はご存知名作ゲーム『SUBNAUTICA』の設定

ショックからのスタート、と言い換えてもいいですね。
ただし、ユーザーによっては「俺には関係ないし~?」と思われる可能性もあるので、ショックだけに頼るのは危険です。
2000円~3000円くらいのインディーズ規模のゲームであれば、
購入層もショックを求めているので、リスクは減ります。

もう1つが当然「楽しいゲームサイクル」を作ることです。

『モンスターハンター』シリーズがなぜ人気かというと、
「遊び続けるとどんどん楽しくなるサイクル(循環)」があるからです。
遊び続けると、やがてコンテンツが枯渇してゲームが終わりを迎えます。

パズルゲームや推理ゲームなども、こういったシステム側から
ゲームの終わりへとユーザーを誘います。

◆なぜ「最後の一撃は、せつなかった」のか?

それは、あなたがゲームを遊んだからです。
そして、上田文人がそのようにゲームデザインしたからです。

あなたは「○ボタン」を押しただけ。
しかし、必死にしがみつき、頭を使って攻略し、巨像の弱点へとたどり着きました。
剣を構え、ためらいながらも一気に突き刺す。
吹き上がる黒い血しぶきのような何か。
それをまとも浴びて汚(けが)れるワンダ。
1度では命の果てない巨像に、何度も剣を突きさす。
巨像は悶え苦しみやがて…轟音を立てて骸(むくろ)と化す。

あなたは「○ボタン」を押しただけ。
しかし、巨像と対峙する中で、あなたは巨像を知り、分かり、倒す意義を得てしまった。
あなたが巨像を倒す瞬間は、巨像との別れの瞬間でもある。

命の歯車をあなた自身の手で止め、関係性を断つ瞬間。
そこに「せつなさ」が潜んでいる。

『ワンダと巨像』はそういうゲームデザインでした。

~了~

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