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「粗探し」や「メディア」を批判するよりも、世界で必要とされる倫理観とマナーを身につける機会としてのオリンピックという認識を。

 「過去にホロコーストを揶揄したネタを披露していた方が東京オリンピック2020のショーディレクターをしている」という問題が昨日から浮上してきました。それに対して、反ユダヤ主義の監視団体であるサイモン・ウィーゼンタール・センターが声明を発表しており、世界的に日本の倫理観が疑われる危険性を孕んだ問題となってきました。

 サイモン・ウィーゼンタール・センターは、ホロコースト関連の他にも過去に防弾少年団のナチス風衣装、安倍首相の靖国神社参拝、従軍慰安婦問題、などにも言及しています。(Wikipediaより)

 昨日の出来事に対しての記事原文。

 対応の早さは、防衛副大臣の中山泰秀氏が情報共有したことに端を発している?ようです。

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 既に各メディアが取り上げはじめているのですが、このニュースに対してのコメントをざっと見てみると、「過去の粗探しはもうやめよう」「メディアが煽るのが良くない」と言った意見も多い事に驚いています。
 確かに、問題となっている言動は今から20年以上前の出来事ではある事や、先日から取り沙汰されている「五輪作曲担当者の過去のいじめ問題」などを鑑みると粗探し感はあると思いますし、メディアの煽りは個人的にも好きではありません。

 唯、問題はそんな表層的なものではなく、これがオリンピック開催中、もしくは開催後に世界的に話題となり、「日本の倫理観の酷さ」というものが露呈し後世に尾を引いていく事に危機感を覚えます。

 そもそも、今回の「ユダヤ人大量虐殺をネタにする」という倫理観は、時代を問わず許されるべき事ではないと考えています。これはネタにした個人を批判するというよりは、それがメディアに出るような倫理観(今回はビデオ化されていたものが問題になっている)は関係各者の責任ですし、今回のショーディレクターの人選としても倫理観とリスク管理の欠如が否めません。

 この問題以前から、私が外国人と接していて感じるのは「日本人の倫理観は島国的」という課題感です。歴史的背景、世界的情勢、外国の価値観、といったものを鑑みた言動をする日本人は、私の所感では極僅かに思います。そもそもホロコーストやユダヤ人と聞いてその歴史的背景を理解している人はどれだけいるでしょうか。
 今回の問題に対して、「粗探し」や「メディアの煽り問題」を批判する以前に、そもそも「たった20年前はその発言が問題視されなかった」当時の日本の倫理観を恥ずべきですし、その状態から胸を張って良くなったとは言えない現代の日本の倫理観に問題意識を持つ必要があると考えています。

 20年前の日本の倫理観が劇的に改善しているならまだしも、世界からはそうは見らないでしょう。そして、コロナ禍の開催という歴史的にも注目される中でのオリンピックで相次ぐ問題。オリンピックによる経済的損失といった数字だけでは見られない致命的ダメージを、日本人一人ひとりが今後背負っていくことにならないよう祈ります。

 来年以降、外国人とコミュニケーションをする際はまず「こちらの倫理観を疑われている」という前提に立つ必要が出てきてもおかしくありませんし、既にそうなりつつある事も受け入れていこうと思います。

 同時に、今回の問題が大きくなればなる程当事者への個人的批判が相次ぐ事も避けなければいけません。批判するとしてもそれは個人ではなく、自国の文化、倫理観といったもっと抽象的で概念的な問題に発展するものです。
 一生に一度かもしれない自国でのオリンピック。どんな問題が起きても日本人一人ひとりに愛国心が育まれるような団結と、これからの未来を切り開くきっかけが生まれれば良いなと思います。もう手遅れ感は否めませんが。

 2025年の万博(日本国際博覧会)だけは、純粋に作品や表現だけが評価されるステージに上がっていたいものです...
 改めて、今回のオリンピックは世界で求められる最低限の倫理観とマナーを身に着ける良い機会と捉えて、スポーツと問題を切り分けて選手団の皆さんを応援したいと思います。
 

 追記:辞任ではなく、解任という対応。賢明でしたね。この際、オリンピックの大失敗を通して日本が大きく成長していくというストーリーに期待。

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