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アート鑑賞[19]ボルタンスキーがあるMOTはいつも以上に魅力的(メインは「吉阪隆正展」と「井上泰幸展」)

 アート鑑賞[19]と言いつつ、記事を書いてないだけで200以上はiPadのノートに溜まってしまっているこの頃。

 紙というメディアに残っていた思考プロセスは、これからの時代も何かのメディアに残るのだろうか。自分の場合、ひたすらiPadに記録を残しているので、これが何十年も後に残っているようにはあまり思えない。データとしてはクラウドかどこかに確かに存在するだろうけど、データの海から探し出すことが、押し入れの奥にあるノートを探すよりかは難しくなるように思う。デビュー前の作品とか、小学生の頃に描いた絵とか、現代に生きるクリエイター達が回顧展を開く頃にはどんな形で残っているのだろうか。

 保存する為のメディアという意味では、岩とか石とかそうしたハードがとても保存性が高いので、大切なことは石とか岩にでも刻み込んでおくと良いかもしれない。これは今の時代でも最適解のように思う。

 さておき、今回の展覧会は自分にとって難解な表現や文脈が多かった。建築の知識はほぼ皆無で、特撮は大好きではあるけれど懐古的に楽しんでいただけで、その時代を生きてはいない。前提知識をすっ飛ばして感じることが難しい作品を観る時(唯々美しい、みたいな作品は視覚的に楽しむだけも可能)、教養の無さだったり、その時代の時事への関心の低さだったり、自分に欠如しているものを実感できる。
 わからないことが何かをわかる、という点において普段触れることの少ない文脈や表現のアートに触れるのは、かなり楽しい体験になると日々感じているので、未知のアーティストの時ほどMOTは楽しい。

「吉阪隆正展」

 山と良心の関係を考える時間になった(極端な抽象化)。自然に触れることは良心に触れることと同じなのだろうか、普段散歩していてもそれはよく感じるけれど、そういえば久しく山登りはできていないので、登ってから考えたい事が増えた。

 吉坂さんの感動ポイントは、マクロとミクロの行き来が凄いところ。鳥の目で俯瞰するとはよく言うし、鳥の目、虫の目、魚の目、みたいなことは自分もよく意識をするけれど、そういう次元では勿論なかった。鳥が高く飛びすぎると、時代すらも俯瞰してしまうんだろうな、と感じさせるくらい凄い人。俯瞰するレイヤーが上がれば上がるほど、抽象的な思考が広がりを見せて、長い時間軸で見れるようになるのだと思う。

 「地図」という枠が価値観を規定するのもよく分かった。紙とか本とかPCやスマホといったメディアもある種価値観を規定していて、その幅には限界がある。意識的に色んな角度で物事を捉えるのはめちゃくちゃ難しいので、地図を逆にしてみる、みたいなシンプルな手法を一つ持っておくと良いなと感じた。

「井上泰幸展」

 展覧会、特に回顧展を訪れるたびに感じるのは、開催するまでの苦労だったり想いの大きさがどれ程なんだろうという追憶のお気持ち。今回でいうと、遺族の東郷さんをはじめとする大勢の方の想いを特に感じる回顧展になった。

 壊される為に存在する(語弊はあると思う)ようなミニチュアの精巧さやその緻密さ、職人気質な仕事ぶりにも勿論感動はしつつ、井上さんの奥さんの手紙にもやたら感動させられた。「あなたの杖になりたい」て手紙の結びは最強の殺し文句だと思う。(やや時代錯誤なのかもしれないが)

 親以外に自分の可能性を無条件に信じてくれる存在というのはどんな職業、状況においてもかけがえのないものだ。「杖になる」というのは一方的だし実際は互いに杖になるフェーズがそれぞれあったりするともっと良いなとは思う。唯そんなことよりも、1人の人間をそこまで敬愛できるものかと感慨深い表現だった。美しい文章とはこのことか、と。

 井上さんのインタビューも楽しそうに話す姿が印象的だった。「他社貢献のための仕事」が楽しくて仕方なくなることはあまりないけれど、「ものづくり」においては楽しくて仕方がなくて朝になった、みたいな事がよく起きるから面白い。とはいえプロとして他人の期待や経済的な期待にも応えなければいけない中で、朝まで時間を忘れてできるというのは天性の才能だ。

 MOTコレクションについては長くなりそうなのでまた今度。ボルタンスキーの作品が常に観に行ける場所にある時間軸というのは中々に貴重で幸せなものだ。

 山城知佳子さんの作品は沖縄に行かないと分からなそうで、もう少し知見を集めてからまた観に行きたい。

 何度訪れても、作品やアーティストへの知見が足りなくても、東京都現代美術館、MOTには惹かれるものがある。土日だけスタッフとして働けたら幸せだと思いつつ、相当に狭き門の筈だし、この頃募集も見ない。まずは自社のギャラリーで働くとか事業提案するなどして知見と繋がりを貯めつつ、何かしら関わりたいとの思いでいつも美術館を後にする。

 清澄白河に行けばボルタンスキーの作品がある時間軸に生きられているので、気落ちした時にはサウナと同じ感覚で訪れたいこの頃のMOT。


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