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合理を超えた意思決定と風の強い日 - DIC川村記念美術館の休館から考える

風の強い日を選んで走ってきた

作詞:山中沢男

 この歌詞好きなんですが、風の強い日の"風"を20年近く"向かい風"のことだと思っていて、唯先日誰かとこの話をした時にその人は"追い風"のことだと思っていたらしく、色んな受け取り方が出来る詩を面白く感じました。(そういえばFunnyBunnyって、私が愛してやまないちいかわのFunnyなうさぎのことか)

なんでこんな話をするのかというと、"向かい風"に合理ではなく非合理で立ち向かうにはどうすれば良いのか改めて考えさせられる出来事があったからです。(ほぼ毎日考えていることではあるのですが)

日経の記事 を読むと下記のようにありますが、特に邪推はしません。取締役会の運営をしたり、経営サイドの目線も分かる身からするとその判断は"合理的"なものとして理解ができます。

DICを巡っては、香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントは3月、DICの株式の保有割合を6.9%から8.56%に高めた。ポートフォリオ投資と重要提案行為を目的とし、「株主価値を守るため、重要提案行為を行うことがある」としていた。

2024年8月27日 日本経済新聞


素敵で肥えた白鳥がいるのも好きだった

noteをはじめSNSは自分の外部SSDとしか思っていないので、いつも決意表明的な言葉を来年の自分に託していますが、今日の後半はちょっと構造的に考えた記録も残しておきます。(あまりに個人的かつ論文にしたら絶対通らないであろう考察も含めた構造化なのでクローズドにします。)

君は一族を見守ってきたのか

合理的判断は楽で、非合理的判断は苦しい

 合理と抽象は非常によく結びついていて、ビジネスモデルとか経営哲学とかロジカルシンキングとかそうしたものは私の中では全て"抽象"的な考え方です。具体として捉えられることが多いですが、実体を伴わないものであり時に虚像になることがあるので。そして合理で考えるとこうした実体を伴う具体的な物質をこの世界に存在し続けさせるのは難しいわけです。(簡単に、美術館という実体を伴うものの存続はある種非合理な行為で、収益性という抽象的議論に載せるには結構相性が悪いと思っている、という話です)

この件に関しては本当に残念で堪らないのですが、先述した通り邪推するつもりは一切なく、批判することもなく、ただただ悲しいというそれだけです。マークロスコの作品を特別な空間で味わえるのはDIC川村記念美術館でした。木漏れ日の美しさが"PERFECT DAYS"とリンクしたあの日を私はきっと一生忘れません。(一生とか絶対とか普段使わないんですが敢えて使います。)

夢と言えるものの喪失と誕生

 色々な仕事をしているのは全て課題ドリブンで偶々ご縁があった仕事ばかりです。障害のある方のQOLの為にゲームを開発してきたのも、日常の景色になる為の障害者雇用も、人に余白を作る為のコーチングも、障害の概念を変える為にアートの世界にいるのも、社会との接続を作る為のVR・メタバースも、全てそれらは課題ドリブンで課題の一次情報に先に触れた上で、偶々お仕事に繋がっているというだけです。なので、それは夢でも目標でもなく、(もはや自分の為に)やらなければいけないという焦燥感と勝手すぎる使命感と、割と社会側への怒りドリブンみたいな側面もあります。

こういう景色とギミックは偏愛でしかない

先日「会社を大きくする気はないの?」という質問をされた時に改めて感じたんですが、その先に解決できる課題があるならします。但し今の資本主義構造の中でyohaku Co., Ltd. という会社を大きくすることはそこにつながりません。会社を大きくすることは課題ドリブンから逸れて虚像に走る側面が往々にしてあり、少なからず何名か何百名かは不幸にします。その覚悟というか必要性を感じていません。唯、私たちの中で敢えて"夢"とも言える仕事は"美術館をつくる"ことや"一生燃え続ける天にも届きそうな焚き火をつくる"といったことです。

先述した通り、物質的なものをこの世に存在させ続ける上ことは資本主義の構造とは相性が悪すぎます。その上でやりたいというのは非合理的判断で、「会社を大きくする」ことと相反する意思決定に大体なり得るので、避けています。今回のDIC川村記念美術館の何が好きだったかというと、DICという会社、そして川村一族が代々存続させてきた文化と偏愛をそこに感じていたからです。

人の偏愛や文化を抽象ではなく具体性の高い"物質"として存続させること。そこにアートという物質を伴いつつも無限の思考の拡がりをつくること。そうしたものは私の"夢"です。そこに資本がいるなら「会社を大きくする」ことに夢を託しても良いでしょう。身体が幾つあっても足りませんが、課題ドリブンで時間を割き続ける中で、この非合理な夢は叶えてみせます。

その為にニーチェの"最後の人間"から大正デモクラシー辺りまでを思い返しつつ、DAO、震災、文化芸術と福祉の融合、限界芸術と地域文化資源、ウェルビーイングまで体系的に"抽象化"された知識を学びながら手を動かし続けます。

あと30年生き永らえば、DIC川村記念美術館を超えるものを造りますね

"向かい風" が吹く中でしか、私には叶えたい夢がなさそうなので。

神に祈るとは自分に誓う行為!住所変更のお知らせ

文化的コモンズから夢までの道のりを考える

この本をベースにしつつ、一気に摂取できない時は三宅さんに頼りつつ。

本は日々読めていますが今回は重ためなのでこうした新書系にも頼るのも大切です。

コモンズ理論の起源と発展

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