GALLO

自分の何かを表現したい人。写真や絵や文やアクセサリーを媒体にしています。

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最近の記事

思考の海と、緩やかな睡魔。

夢をよく見ます。 小さい頃から沢山。 あまりに覚えているため現実と夢の区別がついていない時もありました。 大人になってからは勿論ないけれど、少し混乱することもない事はない。 本当に少しだけど。 大抵はカラー。 場所も脳が記憶しているらしく「今日はここ行こうね。」みたいになる事が多い気がします。 簡単にであれば、大体の地図も描けたり。 たまに新しい景色に出会う事も。 全てに共通しているのは、晴れの日がない事。 晴れの日がない…というより、燦々と照る太陽はまず出てきません。 薄

    • 季節と年齢と人間の我儘

      北国の春は、それはとてもとても遅く。 何なら本州で「桜が咲いたよ。」という時期は雪が降っている。 峠にドライブに行きたければスタッドレスを夏タイヤに取り替えてはいけないのだ。 そんな北国で桜が咲いたのは4月の末頃、緑もまだ繁らず芝が何となくそこそこの中にピンクがぽっかりと。 最近ようやく緑も満載になった。 そしてまだ桜も咲いている。 今日もそれなりに暖かいが、先日本当に暖かくて今年初めてのアイスコーヒーを淹れた。 「もうそんな季節か。」と思ったが、昨年思い出したことがふと頭

      • 「考える」ということ。

        「1+1=2」 シンプルにこれもいいんだけれど、なんで2になるのか考えたい。 「1+1=1と1」でも良くないかとか。 祖父は戦争経験者で、シベリア抑留者だった。 いつも遠くを見る目で戦争のことは語らず、戦争に関することを聞いたのは祖父が酔ったときに「ハラショー」とか「ダワイ」とロシア語をぽつりぽつりという時くらいだった。 祖父は自分が中学生の時に亡くなったのだが、もっといろんな話を聞きたかった。 きっと祖父は全部自分の中にしまって、言わずに閉じ込めたのだろう。 そんな祖父

        • 「ありがとう」と「初めまして」

          ワクチン接種の1回目を終えた。 初っ端から熱が出ている、辛い。 そして我が家にハムス(Galloはハムスターのことをこう呼ぶ)が来た。 物おじしないハムス。やっぱりハムスはいい。 いやどんな動物も大好きだけれど、我が家でお迎えするにはこの生き物が一番良い。 そして最近と言えば、愛機Canon EOS 30Dがエラー頻発でもうカメラ生命(なんか保険会社みたいな字面)が危うい。 実はコロナ前に沖縄に連れて行った時ももう危うかったのだ。 取ろうとしたらエラーは頻発するし。 よくあれ

        思考の海と、緩やかな睡魔。

          邂逅

          心が少しずつ溶けている。 与えられた道は思ったより広い。 制約がないなんて思わない。 それと自由とは関係がない。 美しいと思うものはどこにでもある。 見てるか見ていないか。 知って欲しいと思うこともある。 ありがとうが上手になれたらいい。 そうすれば足元がよく見えるようになる。 どこにでもいけるように。

          らくがきとまばたきのはざま。

          気付いてしまった。 というか、知ってしまった。 自分では日記のような何かのつもりだったけど、多分これ、エッセイではなかろうか。 いや絶対にそう。 だって日記って言ったって別に一日あったことを書きたいんじゃなくて、日々思ってることとかを書きたいわけだし。 やっぱりエッセイだわ。 今エッセイストのホント端っこに存在しているGALLO。 なんかいい。 カフェでくつろぐことがなくなって早一年。 気持ちは意外と沈まなかったけれど、時間の使い方がよく分からないことも増えた。 そもそ

          らくがきとまばたきのはざま。

          noteという空間でくつろぐ。

          noteを始めさせてもらって、日々綴ろうと決めた。 わずか数日で分かったことは、自分の文章が長いこと。 別に悪いと思っていないけど、漠然と「長いな」と思った。 慣れた場所や落ち着く場所には長居したくなるのは、みんな同じだと思う。 居心地悪ければ、自分の家だって寝るだけの場所。 今までもブログをやったりしたことはあるのだけど、こんなに長い文章を綴ったことはない気がする。 多分ここが自分に合っているのかもしれない。 noteとはなんだろう?なんてベッドの中でふと思った。 昨日

          noteという空間でくつろぐ。

          心地よいものを見つける力。

          午後のゆっくりとした時間のコーヒー。 夕暮れの青とオレンジの混ざったところ。 大好きなショートブレッド。 レコードの回る音。 愛用の香水、FLORISのJF。 BACALDIのボトル。 憧れどころか焦がれている、ルイス・バラガン。 あげたらきりがないほど、自分にとって心地よいものに溢れている。 あれは中学生の頃だった。図書館に行っては大量の本を借りてくるのが常だった。 図書館で勉強をしている人を見るたびに、「なぜこんなに本があるところで勉強できるのか。」と訝しんでいた学生時

          心地よいものを見つける力。

          日記、それとも。

          緩やかな不整脈を 宥めようとした 嘘はつかないで 前向きなふりをしながら 気付いたら 胸に手を当てて 後ろを気にしている 置いてきたものには 未練はないけれど 持っているものを 生かしてやれないまま 大事にしている たまに顔をだすそれを見て 「忘れてないよ」と言いながら どうすればいいか 答えを探している 本当は隣同士で 一緒に歩きたい 心臓を不規則に叩くそいつを いつ生かしてやれるのだろうか

          日記、それとも。

          空と好きな季節の反対側と。

          季節の中で一番好きなのは秋です。 コートが好きだし、ジャケットも好きだし、紅葉した自然も好きだし。 なんならその中で紅葉しない針葉樹になりたい。言っていることがよく分からない。 「では春も同じなのでは?」 全然違います。春はこう、なんだか前向きになる季節。別に後ろ向きが好きと言っているのではなくて、秋の哀愁が好きなんです。段々寒くなっていく中で、力を蓄える姿とか。冬毛に変わっていく動物とか。ただ熊の出没は非常に怖いです。熊は好きだけど。 そんな感じで春と秋は裏返しの季節です。

          空と好きな季節の反対側と。

          「今」はいつまで経っても「過去」のまま。

          子どもの頃、水を掴もうとして延々と手のひらに水を流し続けたことがあります。きっと粒子が見えるんじゃないか、とか。形があるんじゃないか、とか。 流れるものを食い止めたい気持ちと、水とは何かを知りたかったんだと思います。 「どうして」が多い子どもだったせいか本を読むのが大好きで、とにかく本を読んでいました。そして同じくらい絵を描くのが好きでした。お陰で全く勉強にならない。よくここまで来れたものです。 大人になって、父がカメラをくれました。CanonのAE−1という機体で、それは

          「今」はいつまで経っても「過去」のまま。

          日々の憩いと丁寧な気がする暮らしをしたい

          話すことと言えば「コロナ」とはなりたくないな、と思う毎日です。 少しずつ何かを変えなければと思い立ったのは去年の年末あたりだったような気がします。元々ステイホームも得意な方で、ぼっち力は非常に高めな性格なのですが、なんだか思ったのです。 『憩いと、喜びと、なんか丁寧だと感じるような、うまいことできないだろうか?なんか、うん。なんか。』 まず思い立ったのは、お菓子を瓶に入れることでした。ビニールのまま、食べかけは丸めて輪ゴムで留めておくという生活をやめようと。なんだかしまう時

          日々の憩いと丁寧な気がする暮らしをしたい

          変わることと変わらないことと夢

          初めましての言葉は、いつも言葉に詰まる気がします。それは何も面識がないからであって、そして自分が人見知りしがちという事実も含まれています。 皆様初めましてGallo(ガッロ)です。若干人見知りで、それを微妙に隠しながら生活しています。現在のコロナ禍にあって「ある意味いい能力だな。」なんて楽観視しているくらいにはポジティブな人見知りです。 コロナ禍、まさかこんなに続くとは思っていませんでした。いや、少し思っていたのかも。でも日常が、街の中が、世界がこんな風景になるとは。 誰もが

          変わることと変わらないことと夢