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「マトリックス」の正体(『マトリックス』批評)

過去に実施した国語科特別演習「視覚芸術と近代」の最終レポートです。
演習では、映画『マトリックス』を中心に扱い、映画『2001年宇宙の旅』を補足として鑑賞しました。

 映画「マトリックス」を見て、いろいろな疑問を持つ人は多いのではないかと思う。実際に私がその一人である。
 エージェントはなぜいるのか、なぜカンフーで戦うのか、体はなぜマトリックスへ転送されないのか、などである。
 だが、今回は一番大きな疑問である、「マトリックスとは何なのか」ということについて自分なりの答えを出していこうと思う。

 マトリックスの正体を暴く鍵は主に映画の中にある。その中でも、一番重要な鍵となるのは、モーフィアスの言葉である。彼の言った言葉の中には多くのヒントが隠されている。

「何が現実か? 五感が感じるものが現実? 現実は脳による電気信号に過ぎない。」
「マトリックスは社会(システム)だ。社会(システム)は敵だ。その中に入ると何が見える? ビジネスマン、教師、弁護士、大工。それはまさに我々が救おうとしている人々(心)だ。だが今はまだマトリックスの一部で、つまり敵だ。彼らまだ現実を知る準備ができていない。彼らの多くがマトリックスに隷属し、それを守るために戦おうとする。」

 この言葉から、常日頃私達が見たり聞いたりしているのは現実ではなく、脳が勝手に作り出した仮想世界に過ぎないということがわかる。さらに、私達はその仮想世界に囚われており、私達はそれを維持しようとしている、ということも分かるのではないかと思う。また、ネオがビルからビルへジャンプするときに、モーフィアスは次のようなことも言った。

「心を解き放つのだ。」

 これを聞いたとき、私は疑問を持った。「なぜ体ではなく、心なのか」と。ビルからビルへジャンプするという、身体的な運動をするのだから、普通は「体を解き放つのだ」というのが妥当だろう。だが、なぜ心なのか。
 それは、体が現実ではないからである。モーフィアスが言ったように、体、もしくは脳が感じるものは現実ではなく、脳が作り出した仮想世界である。人間にとって体が現実ではないのなら何が現実なのか。そう、心である。辞書で引けば対義語として出てくるように、体と心は別のものとして扱われている。また、心には体と違って限界がない。したがって、ネオたちの心が転送されるマトリックスでは心が信じれば何でもできるのである。だから、モーフィアスは体ではなく、心を解き放てといったのだ。

 だがこういうことはなにもマトリックスだけのことではない。私達のいる世界においても起こりうる。ネオ達のようにビルからビルへジャンプするということまではできないが、心が折れない限り、何らかの大会で優勝したり、試験でいい成績を取ったりといったことは不可能ではないのではないかと思う。

 ではいったい、マトリックスとは何なのか。
 モーフィアスの言葉を頼りに考えると、マトリックスは社会であり、私達はその一部である。では、社会とはいったい何なのか。
 まず思い浮かぶこととしては、「人間が作り上げた仮想世界の一部」ということだが、これをネオたちの視点から見るとどうだろうか。「真実を知る準備のできていない人たちの集まり」ということが見えてこないだろうか。または、「敵の集まり」や「救わなければならない人々の集まり」といったことも見えてくるのではないかと思う。
 だが、これはあくまでモーフィアスの言葉を使って表しただけで、自分の考えを表したものではない。私の考えでは、「身体的な感覚に囚われて、心を解き放てていない人たちの集まり」ではないかと思う。なぜなら、私達人間は体や脳が感じるものを現実だと確信しており、私たちのいる世界が脳による仮想世界だとは認識できないからである。
 考えてみてほしい。モーフィアスのような人が現れて、「お前たちのいる世界は現実ではない。これが現実だ。」と言われて人間が栽培されているところを見せられる時を。絶対に信じられないのではないだろうか。
 だが、幼い子供などの場合はどうだろうか。割と信じるのではないだろうか。
 なぜこのような差が生じるのだろう。それは、この仮想世界に対する依存度の違いからである。人間は年を重ねるごとに社会に依存していく。そのような依存性が私たち一般人から見た「身体の絶対性を確信した人々の集まり」を作るのである。このように、見方を変えれば、マトリックスはいかようにも見ることができる。

 今、私は二つのマトリックスを挙げたが、さらにもう一つのマトリックスがあるのではないかと思う。
 考えるべきはネオたちの視点である。この映画を見れば分かる通り、マトリックスにおいてネオ達は常人を超える力を発揮する。なぜなら、マトリックスでは彼らの心が解き放たれるからである。ではなぜ心が解き放たれるのか。マトリックスが彼らにとって「唯一何の干渉も受けずに心を解き放てる世界」だからである。マトリックスへは彼らの心だけが転送される。したがって、現実世界とは違い、体による干渉を受けなくなり、自由に心を解き放つことができるのである。
 よって、三つ目のマトリックスとしては、「何の干渉も受けずに自由に心を解き放てる唯一の世界」、簡単に言うと、「心の楽園」ということになる。

 結局、マトリックスとは何なのか。それは、ある面から見れば、心が体に囚われている人の世界、裏を返せば、体を信じきっている人の世界。だが、その中の真髄を見れば、人間の唯一の「心の楽園」なのである。

(中学2年生)

Photo by Markus Spiske on Unsplash

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