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教員レビュー集

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世田谷学園の教員によるレビュー集。
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記事一覧

ブラックボックス解体新書(永田希『書物と貨幣の五千年史』レビュー)

 これはアーサー・C・クラークの言葉だ。そしてその魔法=科学技術は、我々を夢のような世界へといざなってくれる。  ところが、ナポリではそうではないらしい。  ナポリの人々は、自動車が壊れても、街頭で見つけた木の棒を取り付けて、すぐに走れるようにしてしまう。もちろん、それはまたすぐに壊れるが、彼らは完全に修理してしまうこと自体を拒否しているという。  現在のナポリ人がどうであるのかは知らないが、これは魔法に対する拒絶とも読める。自分の手に余る魔法は、何を引き起こすか分からな

取材の中にある希望(石戸諭『ニュースの未来』レビュー)

 メディア論はもうたくさん!  紙がディスプレイへと置き換わり、多種多様な情報がフラットに並ぶ現代、メディアやニュースとどのように付き合えばいいかというのは、確かに大問題だ。フェイクニュース、オルタナファクト、ポストトゥルース――ホントとウソの境界が消え去り、いくつもの真実がせめぎ合い、人々は真実に愛想をつかす。  反射と反応、流れ続ける情報を右から左に受け流し、リズムゲーさながらに「いいね!」をタップ。炎上という名の期間限定イベントはしっかりチェック。ニュースなにそれおいし

クリストファー・ノーランの執着心(『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』レビュー)

 はじめて『メメント』(2000年)を見た時のことは、今でも忘れられない。十分間しか記憶が保持できない前向性健忘の男、レナード・シェルビーの視点で語られるこの作品は、〈順行する過去の物語〉と〈逆行する現在の物語〉がラストシーンで交差するという、きわめてアクロバティックな構造を持っていた。喩えるなら、建築物を構成する精巧なパーツが一つずつ並べられていき、ラストシーンでその大伽藍の相貌が霧の彼方に朧げに浮かび上がるような。エンドロールを眺めながら、頭の中で目を凝らし――奇妙な表現

料理は実験(『Cooking for Geeks 第2版―料理の科学と実践レシピ』レビュー)

 さぁ、実験を始めようか。  といっても、「仮面ライダービルド」ではない。  我々の実験場は、未来の日本でないのはもちろんのこと、研究所や実験室の類でもない。  キッチンだ。  分子ガストロノミーなんて学問分野が成立するのを待つまでもなく、料理というのは科学だった。  例えば、肉を加熱するというのは、どういう行為なのか。  植物や動物の組織に自然な状態で見られるタンパク質は、通常の自然な状態にあるとき「未変性(native)」と呼ばれる。タンパク質は、数多くのアミノ酸が互

アーバン・ブリーズを求めて~日本のシティ・ポップ入門ガイド~

 先日、学友編集委員の生徒たちと(打ち合わせという名の)雑談をしていたら、ある生徒が「懐かしさを感じる音楽が好きなんですよ。年上の人たちが「この曲、懐かしい」って言っているのがとても大人に感じて。だから基本昔の曲をよく聴いています」と言っていた。  僕もちょっと思い当たる節があった。というのも、本格的に音楽に目覚めた中学~高校時代、「大人の匂いのする音楽」を探し求めていたからだ。その頃、世間では「バンド・ブーム」真っ只中、いわゆるタテノリのロックが流行していたのだが、僕はそ

空想を現実に( 田中浩也『SFを実現する』レビュー)

 SFを実現するために、今こそ「SF」を導入する時だ!  何を言っているか分からない?  一つ目のSFは「サイエンス・フィクション」(あるいは、藤子・F・不二雄流に言えば「すこし・ふしぎ」)を意味するのに対して、二つ目の「SF」は、「ソーシャル・ファブリケーション」のこと。ファブリケーションは「ものづくり」を意味する。と言われれば、3Dプリンタをイメージする人もいるだろう。  これまでは、アナログからデジタルへ、物理的=身体的(フィジカル)な現実がデータに置き換えられ、コ

選ばれし者は選ぶ者(『マトリックス』批評)

過去に実施した国語科特別演習「視覚芸術と近代」に際して、担当教員が執筆した参考レポートです。 演習では、映画『マトリックス』を中心に扱い、映画『2001年宇宙の旅』を補足として鑑賞しました。  知能を持った機械によって人々は飼育され、覚めない夢のような仮想社会を生きている。0と1の二進法に還元される電気的な信号によって人はその世界を認識する。onとoffによって作られた世界を象徴するかのようにプログラムと思われる記号たちが画面の中を雨のように落下していく。onとoffという

声のむこうにいるヒト(『あなたのための物語』レビュー)

 AI技術の進展により世界がどのように変わるのかを考える際に、研究書ではなく、小説を読んでみるのはどうだろうか。科学技術が自己目的化の傾向にあるとはいえ、それは手段でもある。AIという手段を手にした人類が、それをどのように使うのか。その使用は人類の想像力と大きく関わるに違いない。もちろん専門的な研究によって示される現実的な限界点を無視するわけにはいかない。しかし、可能な技術をどう使えてしまうのかは、研究者のみの問題ではない。  原子力に関する技術はどのように活用されただろうか

草原の薫香(『街道をゆく5 モンゴル紀行』レビュー)

 私の趣味のひとつは一人旅だ。就任してからの5年間で、国外だけでも、カナダ・台湾・オーストリア・チェコ・インド・ドイツ・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ウズベキスタン・カザフスタン・モンゴル・韓国と、12ヶ国を訪問している。  海外旅行が苦手な人の中には、飛行機を含め、長い移動の時間が苦痛だという人も多い。特に私の場合、なるべく「快適さ」にお金をかけたくないと思っているので、トランジットの空港で夜を明かしたり、夜行列車で12時間かけて移動したり、なんてことも多い。しかし

妄想で広げる可能性の次元(『‌直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』レビュー)

 僕の勤める世田谷学園には二つのモットーがある。 「明日をみつめて、今をひたすらに」= from Vision to Reality = 「違いを認め合って、思いやりの心を」= from Respect for Each to Respect for All =  このうちの一つ「明日をみつめて、今をひたすらに」は、上記の通り「from Vision to Reality」と表現されているのだが、何しろこのVisionというやつが難しい。  例えば、多くの人が経験する「

出口のない恋愛の巨大迷路(森見登美彦『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』レビュー)

 いつ出られるともしれない、出口の見えない長いトンネル。男子校の悶々とした妄想生活の中で、皆はどのように恋愛の練習をするのだろうか。ネットの世界を渡り歩き出会いを探す、ペラペラで物言わぬ二次元の少女に、または握手できるアイドルを仮想の恋愛対象としてリハビリを繰り返すうちに、永久恋愛リハビリ機関と化してはいまいか。いやいや、そんなことはないと周りを見渡せばそこには男漢男。絶望する自分にいつも微笑み返すタブレットやスマホの待ち受け画面。その反復が織りなす永久運動に心地よささえ感じ

〈アメリカの夢〉と翻訳文学(『巨大なラジオ/泳ぐ人』レビュー)

 翻訳文学というと、あまり馴染みのない人も多いと思う。ファンタジー小説やミステリーなどで海外の作家のものを読んでいる人はいると思うが、海外作品自体に興味を持って手に取っているという人は少数なのではないだろうか。  が、僕はけっこう好きで、本屋に行くと海外文学のコーナーをチェックするのが習慣になっている。それは村上春樹の影響が大きくて、スコット・フィッツジェラルドをはじめとしてレイモンド・カーヴァー、ジョン・アーヴィング、グレイス・ペイリーなど、彼の翻訳のおかげで知ったアメリカ

「軍隊」ではなく「ゲリラ」として(『建築家 安藤忠雄』レビュー)

 都内にも安藤忠雄の設計によるものは色々あるが、身近なものとしては東急東横線の渋谷駅や表参道ヒルズなどが挙げられる。また、アートとのつながりでいえば、瀬戸内海の直島にある地中美術館は外せないだろう。2017年には国立新美術館で開館10周年を記念し、「安藤忠雄展―挑戦―」が開催された。会場には安藤の代表作の一つでもある「光の教会」が実寸大で再現されていた。著名な建築家であり、コンクリートの打ちっ放しを見ると、全てが彼の作品にみえてしまうぐらいに強い感化力を持っている。  そん

恋と文学のクロスロード(『ストーナー』レビュー)

 ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』は、二重の意味で〈文学の悦び〉を纏うことができた稀有にして幸福な書物だ。すなわち『ストーナー』は、優れた文学作品が読者に与えてくれる悦びを、主人公ストーナーの視点を通して描いた作品というだけでなく、同時にそれ自体が読者に文学の悦びをもたらす作品なのだ。  前者の条件を備えた作品は星の数ほどあるが、同時に後者の性質を併せ持つことができた作品は稀だ。文学史をひもといてみれば、最初の近代文学(近代小説)とされる『ドン・キホーテ』(1605年前篇/