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池上 英子「「ある」と「いる」の間で—―ニューロダイバーシティ時代を生きる」

池上 英子(いけがみ・えいこ)——ニュー・スクール大学大学院社会学部教授・ユニバーシティ シニアフェロー。
New York 在住の歴史社会学者。日本経済新聞社記者を経てハーバード大学社会学部でPh.D.取得。イェール大学社会学部准教授などを経て現在ニュー・スクール大学大学院Eberstadt記念講座教授。比較文化の視点から日本文明をネットワーク論的に見直す仕事で知られ、仮想社会とニューロダイバーシティ研究のパイオニアでもある。

 日本語の「ある」と「いる」の区別は学習上の難所らしい。「机の上にペンが“ある”」だが、「猫」なら「机の上に猫が“いる”」。英語では、be動詞で事足りて「ある」と「いる」の使い分けなどない。日本語教育では、チューリップや建物のような動きのないものを指すなら「ある」、と教えるらしい。その通りだが例外もある。
 言語学者の山本雅子さんは、その例外をこんな風に指摘している。
 ハローキティのぬいぐるみについて話す場合、「あっ、キティちゃんがいる!」と言う子どもがいる一方、「よしこちゃんの家に行ったらキティちゃんがいっぱいあったよ」と言う子どももいる。キティちゃんがいる! という子は、ぬいぐるみをまるで動き生きているもののように認識しているのに対し、後者の子供は、クールに事態を客観視して「ある」と報告している。同じモノなのに違う表現をするのは、対象の違いではなく話し手の側の「主観的な事態把握態度」の違いだ、と。
 対象との共存様式を表す言葉が、実は主体(話者)の対象への事態把握の態度による、というのは、なにか深い。多様化のなかの共存とか共生といっても、ただ知識として多様性の共存を認めるのはまだ腹に落ちていない。相手へあり方へのリスペクトが、自分のなかにストンと落ちた形である場合とは、違う。

―『學鐙』2023年秋号 特集「共に在る、共に生きる」より―

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灯歌
岡本 真帆(歌人)
特集
山極 壽一(理学博士)★
池上 英子(ニュー・スクール大学大学院社会学部教授・ユニバーシティ シニアフェロー)★
石黒 浩(知能ロボット学者・大阪大学教授・ATR石黒浩特別研究所客員所長)★
井庭 崇(慶應義塾大学総合政策学部教授)★
ウスビ・サコ(京都精華大学・人間環境デザインプログラム教授)★
松田 法子(京都府立大学准教授)★
書評
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水上 文(文筆家・文芸批評家)
荒木 優太(在野研究者)
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丸善出版刊行物書評
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