SEALDsの展望についての私見

 『情況』2021号に掲載された東浩紀へのインタビューに於いて、東浩紀は「僕は、SEALDsに関しては一貫して、彼らは続けるべきであり組織にして政治運動をやるべきであると言ってて(以下略)」とある。同団体の運動の幕引きを批判する声は他にもあり、その一つに「政党を結成すべきだった」というものがある。ここではSEALDs全盛期に比較されることの多かった香港と台湾の学生運動を引き合いに考えたい。

 『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』では、黄之鋒(元香港衆志)や陳為廷(時代力量)がSEALDsメンバーに「政党を結成しないのか」と質問をしている。

 ここで簡単に説明すると、黄之鋒ら雨傘運動牽引者は、運動が失敗に終わったのち、香港衆志という政党を結成し政界進出を果たす。続く反送中でも活動を続けるも、大陸政府の圧力で昨年香港衆志は解散。黄は現在収監中である。

 また、陳為廷らひまわり学運牽引者は、運動が成功に終わったのち、民主進歩党に回収される者、時代力量という政党を結成する者に分かれ、陳は後者。時代力量は現在も中華民国立法院に議席を3議席を持つも、党勢は鈍化している。

 さて、黄の質問に対し奥田は、野党分裂の中で政党を立ち上げるのは、結局与党を利することになり、また、資金がかかる。よって既存政党に政策提言し続けることを志向している、と答える。次の世代が政党を立ち上げられる文化を作ることを目標とするも、市民連合も結成し、社会運動も続けていくとも主張している。また、陳の質問に対し牛田は、7月にSEALDsが解散したのち、政治運動を続けていくと答えたものの、具体的な展望は語っていない。

 そもそも、同団体は"緊急行動"である。そして、自由と民主主義を無視する安倍政権に対抗するために、広く日本社会に問題提起することが目的だったと考えられる。同団体公式サイトでは、団体の説明として、「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。」と表明した。SEALDsという団体は、問題提起をする目的で結成され、その拡散方法に、直接民主主義を国会前や街頭で実施することを選び、自由と民主主義の体現した姿を日本社会に見せつけた。そして、「この社会に生きるすべての人が、この問題提起を真剣に受け止め、思考し、行動すること」を求めた。そのうえでの現実的な要求は、野党に対して「従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集」、有権者に対して前述の「思考し、行動すること」である。同団体は、あくまで直接民主主義の実行(と拡散)団体に過ぎず、野党共闘を自らが作り上げていくこと、具体的な政策を主張することは副次的なものだったと考えられる。

 その点で、東のいう「でも、それつまりアイドルってことじゃない?」はその通りで、SEALDsは、意識的にアイドルをやりきっていたといえる。洗練されたデザインや、分かりやすいスローガン、普通の若者と乖離していないファッションは、全てアイドルの舞台装置だった。かの有名な「民主主義って何だ?」「これだ!」コールは、同団体の問題提起を簡潔・明瞭に表していると同時に、自身が「これだ!」以上の展望を持っていない(或いは、持つ必要はなく、それは有権者が思考し、行動すればよい)ことを示していたのではないか。

 奥田自身もその点は理解しており、前著で「世界的に見ても、ワン・イシューで盛り上がった運動が、そのまま選挙結果に影響した例ってそんなにないんです。」と認識したうえで、民主主義という"能力"をつくっていきたいと述べ、「そこを抜きにして、根無し草のような状況で政党を立ち上げても、日本では何の解決にもならないんじゃないかなと。」と政党結成を否定する。ここでの「ワン・イシュー」は、通常ならば"安保法制の撤回"と読み取るが、同団体の主張を振り返ると、"直接民主主義の実行"が正確なのではないかと考えられる。

 小林哲夫『平成・令和 学生たちの社会運動』に於いて、「SEALDsが残したもの」が挙げられている。

①デモ参加のハードルを下げた、②野党共闘構築、③「みなさんはどうするんですか」、の3点である。キャンパスを根拠地に、街頭に出撃する従来の学生運動と一線を画し、SNSとマスメディアを利用して、広範な若者を結集させることに成功した。その知名度と発信力を以て、野党と既存市民団体を動かし、野党共闘(共産党的には国民連合政府構想)を推進した。そして、小林哲夫は、日本社会の構成員"あなた"に対して、「「あなたはどうするんですか」と問い続けた、いや突きつけたところにSEALDsの本質があった」と主張する。

 以上のことから、「政党を結成すべきだった」という主張に対して、「議会に進出する性格をもった団体ではない」という応答ができる。直接民主主義の実行と拡散が目的の、理念先行の団体だからである。SEALDsの段階では、既存野党と対抗する形で政党を結成し、議会に党員を送り込むことによって、議会制民主主義の枠内で実現させたい独自の具体的な法案や政策を同団体は持ち合わせていなかったのではないか。

 安保法制の法制化後、SEALDsは解散し、後任団体の一つとしてReDEMOS -市民のためのシンクタンク-を結成した。団体のFacebookに、団体概要として「わたしたちは経済や生活保障、安全保障といった個別の政策について、包括的かつ領域横断的に研究します。そしてその知見を日本社会に対して発信し、めざすべき社会とはどのようなものか、大局的なヴィジョンを提示していきたい、と考えています。」とある。市民運動発のシンクタンクとして、法律家・学者・学生が考えた政策を、特に野党に対し提起することを目的としている。これは、SEALDsの直接民主主義路線から、議会制民主主義に寄ったと見て良いであろう。また、前身団体の理念先行から脱却し、具体的な政策を研究するという団体の性格が見られた。そして、政策を研究するということは、自団体の目指す社会を問い続けることにもなるため、SEALDs系独自のカラーを出すことが必然となる試みであった。

 もう一度、香港と台湾の運動に戻る。

 雨傘運動には、従来の民主派(中国の民主化を志向する)に対し、本土主義(香港人意識)が爆発したという側面がある。黄らは、従来の既存民主派政党とは違い、民主自決というスローガンと、本土主義を掲げて政党を結成し、民主派に回収されることなく解散まで闘い抜いた(もちろん、現在も闘いは続く)。

 ひまわり学運は、国民党政権の親大陸政策に対し、泛緑連盟の民主進歩党より強硬に、直接民主主義による立法院占拠を惹起した運動であり、台湾人意識の強い運動であった。牽引者の一部が結成した時代力量も、台湾独立の主張が民主進歩党より強い。しかし、民主進歩党との政策的距離を巡る党内対立と、民主進歩党の引き抜きは避けられず、独自色を打ち立てた上で、支持を集める必要に常に迫られていると考えられる。

 日本のSEALDsは、非党派的で、既存野党のどこにも依らずに、安倍政権に対峙した姿勢を貫いたからこそ、広範な若者を結集させることに成功した。しかしそれは、同団体が独自の主張を繰り広げた結果ではなく、安保法制に反対する若者が、その意見表明の場として同団体を選んだことにあった。同団体自身も主張している通り、既存野党を信頼した上で、野党共闘を推し進めた。そこに野党(民進党や共産党、社民党)に対する独自の主張や、対決姿勢は薄かったのである。そのため、常に既存野党に回収される恐れが付きまとった。立法院を占拠したひまわり学運でさえ、運動終結後は民主進歩党に吸収され、独自の動きは鈍い。議会で主張できる独自の主張がない、直接民主主義の実行(と拡散)団体としてのSEALDsは、議会制民主主義側から見ると、野党共闘の若者実働部隊としか映らない。安保法制反対というスローガンの闘いが終わった後に、直接民主主義をぶつけられる直近のテーマを見出せなかった場合に、野党の草刈り場となるのは当然の成り行きだったのではないか。
やはり、SEALDsに関しては、独自の運動の継続も、政党の結成も不可能な、 “緊急行動”であった(SEALDs RYUKYUのみ、多くの米軍基地を抱える沖縄県という特性上、内地の戦後民主主義を評価できない。また、直近のテーマは常に新基地建設等で可視化され続けているため、現在も解散せず。)。

香港や台湾の運動の経緯を辿ると、ReDEMOSへの移行後、同団体で、既存野党とは違う独自の主義主張を固めることができ、そのうえで直接民主主義運動を継続して行えるだけの人員を確保できていれば、政党結成や、SEALDs系独自の運動の継続も可能だったのではないか、とも思う。その場合、SEALDsの下に集まってきた若者をまとめ上げる必要があり、多くの脱落者が予想される。
しかし、そもそも中国大陸政府という外部と、その手先(香港行政府や当時の馬英九国民党政権(便宜的に親中的とする))と闘う香港・台湾の運動と、安倍政権という内部の敵と闘いつつ、安倍政権の親分である米国のもたらした戦後民主主義・反戦平和を主張する日本のSEALDsを、比較して運動の展望を考えること自体、間違っているのかもしれない。

あとがき
SEALDs全盛期の頃、参議院での安保法制採決の日の夜、国会前に観に行ったことがある。正直、あの運動の熱量には圧倒されたし、決壊→国会占拠がなされるのではないかと期待していた。また、これだけの運動を連日繰り広げたことは、政府や当時の右派系の若者に強い衝撃を与え、多くの国民が民主主義や戦争というものを考えたことと思われる。その点で、SEALDsは、その問題提起という目的を半ば達成していた。それに対し、当時、安保法制支持の立場での右派系の直接民主主義的活動が起こらなかった、起こさなかった(当時、某セクトに所属していたため、やろうと思えば、組織的に動けたはずである。)ことが心残りとしてある。

『情況』2021冬 情況出版
『平成・令和 学生たちの社会運動』小林哲夫 光文社新書 2020
『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』太田出版 2016
(SEALDs系の既刊を殆ど読んでおらず、この数日の勢いで書き殴ったので、不明確なところもあります。改めて関連書籍を読みます。)