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連載企画ー夢ゼミ探究の旅ー【第二章】倉恒由可子さん

隠岐國学習センターnoteの連載企画―夢ゼミ探究の旅―。

今回この連載を始めるきっかけとなったのは、現在夢ゼミの責任者を担当している澤正輝さんの「夢ゼミともう一度出会い直したい」という思いから。連載が始まった詳しい経緯や担当者の思いなどはこちらのnoteをぜひお読みください。

第二回のゲストは、隠岐國学習センターのスタッフでもある倉恒由可子さん。

倉恒由可子さん
2018年4月より隠岐國学習センターに勤務。鳥取県の公立高校で国語の教員として勤務したのち、海士町に移住。3年生の「じぶん夢ゼミ」を主に担当し、「文体ゼミ」(2019年度)や「教科探究ゼミ」(2020年度)を行う。

学習センターのスタッフであり夢ゼミ責任者である澤さんと、倉恒さんの対談をお届けします。

「あれ?」と思うセンサーを敏感に。

澤:倉ちゃんは(*倉恒さんのことを以下倉ちゃんと呼びます)、3年生を対象とした「じぶん夢ゼミ」を中心に、「文体ゼミ」をやっていたり、いまは「教科探究ゼミ」もやったりしているよね。倉ちゃんは夢ゼミを通して何をやってるの?

倉恒:夢ゼミでやっている内容は、”生きること”とほぼ同義だと思っています。生きているだけみたいな感じかもしれないです。普段からやっていることをわざと誇張してやっている感覚に近いです。

澤:そうすると、倉ちゃんにとって、夢ゼミは”生きる”であり、誇張するって意味では”自己表現”みたいな感じであり、それをキーワードを決めてやってるだけという感じなのかな。

倉恒:ゼミのテーマによって、生きることの切り口を変えているだけですね。たとえば、じぶん夢ゼミだったら”じぶん”を切り口にして生きることを疑似体験して、教科探究ゼミだったら”勉強”って何だろうという切り口から、普段からやってることをゼミでもやっている。

澤:なるほど。教科探究ゼミでは、倉ちゃん的には何をやってることになるのかな。教科学習と探究学習をつなげたいという話はいつも聞いてるけど、あらためて何をやってるんだろう?

倉恒:生徒には「あれ?」と思うセンサーを敏感にしなさいという話をいつもしています。夢ゼミもそうですが、あれ?のきっかけを落とすことしかできない。教育って気づけ!気づけ!ってやることじゃないと思うんです。それに気づくかな、気づかないかなと待っているんですよね。あれ?センサーはその人の個性だと思っていて、どこにあれ?と思うかは人それぞれだから、沢山落とし続けているあれ?に、ぴっと引っかかってほしい。あれ?と思ったらその後は、流れとか関係なく、とことん調べなさいという話をしています。

例えば、この前行った教科探究ゼミでは、「風車で、海士町の去年の8月31日の電力をまかなうには風車が何基必要か?」というお題だったんですけど、途中から船の上で発電できないんだろうか、そういうのがすでにあるらしい!っていうのを調べ続ける生徒もいて、その子は島ならではの新しい電力というのに頭がいってしまってるけど、それでいいと思うんですよね。

澤:文体ゼミでもそんな感じだった?

倉恒:文体ゼミもそれに近いかもしれないです。文体ゼミでは、まずこの文章と出会ったときに、どんな印象を持つのかというのをそれぞれ言ってもらっていました。なんか水っぽいとか、雨な感じとか、グレーみたいとか、みんな各々の印象を言うんですけど、なんでそれを感じるのかを文章の中からちゃんと感じとりなさいと言っていました。ここがあるから雨なんだみたいなのを感じ取れというのを言っていて、それも結局は生徒のあれ?と思うセンサーを大事にしてやっていましたね。

澤:「あれ?」というのがどこから出てくるのか。その源泉みたいなものを辿るという感じなのかな。

倉恒:何かを感じたらそれについてとことん走ってほしくて。それはあなたの大事な個性だから、その部分にあれって思うのは変だとか、今日やってほしいのはこっちなのとかそういうことじゃなくて、とにかく追求してほしい。ゼミではその追求のサポートをしてるのかもしれないですね。追求するために、どうしたらいいのか。こういうサイトみてごらんよとか、この論文みてみなよとか。

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写真は教科探究ゼミの様子。大人も高校生も関係なく、学び合っています。

根底にあるのは、”楽しいから”。

澤:倉ちゃんのそのこだわりはすごく特徴的だと思うんだけど、なんでそれを大事にしているの?

倉恒:世の中にも疑問は沢山あると思っていて。それを当たり前のことだからとか、仕方のないことだからという風に流し続けてしまうと、自分の権利が奪われたり、もっと大きな何かに自分が変えられてしまう。生きるってその大きな何かに適応しながらも、おかしいぞって思うところはちゃんとおかしいぞって言い続けることだと思っています。そうしないと自分が生きたい人生は生きられないと思うんですよね。だからそこにすごくこだわるのかもしれません。でも単純に、楽しいからかもしれません。そうやって社会に変えられないように生きるっていうのも楽しいからやってるんだと思います。

澤:自分のテリトリーを広げていったら、そこに共感したり楽しいと思う人たちが集っていって、遠い先には社会が”変わった”というのはあるけど、倉ちゃんはそんなにそこに興味がなくて、でも原動力はそこにもあったりする。そんな向き合い方だなと思ったかな。その辺が、いわゆる社会運動をやる人と違うというか、倉ちゃんらしさだよね。

人生を変えた恩師との出会い

澤:そういう考えは、いつ頃から生まれたの?

倉恒:自分が生まれた家庭環境は大きい気がしますね。大学進学を選んだのも、この最悪な家庭環境をどうにか自分で変えなきゃという思いはあった気がします。ちゃんと自分は学ぶ人になろうと。それと、やはり恩師との出会いは大きいかなと思いますね。それまでは引っ込み思案な子でした。その恩師は高校時代の先生で、浪人時代にとてもお世話になりました。自分とは違う次元にいる人で、自分がここで色んな文句を言ったりとかちっぽけな努力をしてるんだけど、この人に相談すると全然違う世界から提案がくる。自分に見えていない世界があるんだということを教えてくれる人でした。

澤:そうなんだね。

倉恒:この人になりたいとはちょっと違う、この人を超えたいという思いがすごく私は強かったですね。だからこそ、そんな先生になりたいと思ったし、そんな先生でありたいなとは思いましたね。

生徒に対して、私はその先生よりはだいぶ親切なんですよ。本一冊ポンって渡されて、読んだ後に私の意見を言ったら、「あ、お前はそれほどのもんか」としか言わないんです。でも知識がつながったりすると、「お前気づき始めたな」とたまに教えてくれるから、「おー、これが世界が広がるってことか」ということを知っていく。だけど、サポートゼロだからみんな脱落していくんですよね。

生徒との関係性なしではできない夢ゼミの開き方

倉恒:私は負けず嫌いだから、先生に負けたくなくて異常に本も読んでたけど、他の人はどんどん離れていってしまう。この人のいうことをあの子がちゃんとわかってたら違う未来があったなとか、そういうのをすごく感じていた。なので、なるべく入口は入りやすいようにしたいという思いはありました。

澤:入口は広くて、入ってからは狭くぐーっと行く感じの倉ちゃんのセンスはすごく好きなんだよね。

倉恒:生徒との関係も、私の中では人間関係なんですよね。この子がもし自分の一番大切な人だったら、っていつも考えています。生徒との関係が割とフラットな学習センターでさえ、抜けられない何かがあるからこそ余計に意識をしています。

澤:関係性をつくる上で、ちゃんと興味をもつとか好奇心をもつとか、どうしたら仲良くなれるだろうと思いながら一人一人と接するって、深い関係を築くための土台になる気がする。

倉恒:自分の中で上手く言語化はできないんですけど、恋人だったらするじゃん!って思う。最も大切にしたい人だと思って行動しています。

澤:生徒と関わるときに、最も大切な人だと思うってことをまずしないし、やろうとしてもしきれない人が多いと思う。そのセンスも技術も高いんだと思う。

倉恒:幼いころ本当に、八方美人で誰も傷つけたくない!みたいな感じだったのでそこで磨かれた何かなのかもしれないですね。こういう子だからこうやって振る舞おうとか決めていたので。

澤:ちゃんと自分を持っているという部分と、人とシンクロするという部分の両輪を回しながら、夢ゼミもだんだんトークも行っているという感じがする。本当に簡単にできることじゃないと思う。

倉恒:性格ですかね。個性の1つというか。普段から人間関係を築くときに自然とやっていることなので。

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こちらは文体ゼミの様子。新聞で使われる単語を切り取って物語を作っているところです。

教科探究ゼミが開拓した新しい道

澤:去年、倉ちゃんにじぶん夢ゼミを託すっていうのはかなりのカケだったんだよね。夢ゼミの歴史から考えても、このゼミを手放すのはすごく大きな決断だった。

倉恒:最初はキャパ的にも、スキルの面でも絶対に無理だと思いました。でもやっぱり自分の中で、探究学習と教科学習の共通点みたいなものが見え始めていて、何かできるかもしれないという思いがありました。なのでだんだんと、このチャンスを使いたいなという気持ちも出てきました。じぶん夢ゼミが教科学習とつながったらめっちゃ面白くない?という気持ちがじわじわ出てきて。

澤:当時、探究学習と教科学習には信念対立みたいなものがあって、それを乗り越えたいという思いはあったけど、自分には乗り越えられないと思っていた。両方を見ている人がいいなと思って、倉ちゃんしかいないと思った。結果的に、じぶん夢ゼミも育っていって、想像すらしなかった教科探究ゼミも生まれて。手放して本当に良かった。フロンティアを開いてくれたなという気持ちはある。

倉恒:結局、教科学習も探究学習も思考過程は同じなので、教科学習でもその過程は盛り込めているという自信はあるけど、探究学習と同じ過程だということを生徒が実感できるというわけではない。だったら両方から攻めて、あ、同じことやっているじゃん!って気づいたら面白いなと思いました。

澤:倉ちゃんのおかげで、そこの道が確実にでき始めている感じはするな。

生きようとするエネルギーの総体が夢ゼミ

澤:あらためて、一言で表すと、倉ちゃんにとって夢ゼミとは?

倉恒:これ!っていうのはすごく難しいですけど、みんなが生きようとしていることの総体が夢ゼミだとは思っています。私も、「こんな勉強していたらだめだ!」と思ったから教科探究ゼミをやろう、そうやって生きていこうと、新しい夢ゼミをつくったし。

澤:どういう場であってほしい?

倉恒:教科探究ゼミをやっていて、主催者側が答えを全く持っていないのがすごくいいなと思っています。どんなやり方も正しいか正しくないか全く分からないから、どれもありでオッケーみたいな。答えがある状態で望む場ではあってほしくない。みんな人生に答えなんかないよねって思ってるけど、でもどっかで自分の経験上こうしたらいいのにとか、この子は絶対大学行った方がいいよとか思ってしまうから。思ってもいいけど口に出す場ではあってほしくないですね。

澤:仮説なり解釈なりを持っているのはいいけど、その場では答えのないものを一緒に探す場であってほしいという感じだよね。

やっぱり夢ゼミって、講師ってほんとは誰でもなれるんだなというのはあらためて思った。高校生でもなれる。生きたいとか学びたいっていう欲求を持った人が最初の旗を掲げて、そのエネルギーに魅かれた人たちが場を開くことが夢ゼミを開くことなんだなという感じがしたな。

もちろん、それだけでは続けられないこともあるから、伴走は必要だと思いつつ、自分もひとりの参加者や学習者になって楽しむみたいなあり方だなと感じた。クルミド大学という大学の巻頭言に、「世界最古の大学にはキャンパスも先生もなくて、学びたいという欲求をもった人たちが集まってカレッジが形成されていた。」って書かれていた。見つけたときは先に言葉にされた!って悔しかったけど笑。学習センターとか夢ゼミとかが「概念」になっていくというのに近くて、その先にいきたいね。

〇インタビュー後記〇
ー夢ゼミ探究の旅ー第二章、いかかだったでしょうか。これまであえて夢ゼミをきちんと説明してきませんでしたが、対談を読んでいく中で一人一人の中にそれぞれの夢ゼミが生まれていくものだと思います。それでは、次回もお楽しみに。

















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