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人生劇場 ゲスト:勇木史記さん

「人生劇場」
隠岐國学習センターで開催したオンライン企画。
今回はリアルに来ていただきました。
毎回、多種多様なゲストの方をお招きし、これまでの人生や、「今」についてなどのお話をしていただきます。
だれしも様々な人生のドラマを持っています。そのドラマに迫りつつ、ゲストの方に質問し、対話する、そんな時間です。

人生劇場の醍醐味とは。
幕を閉じたあとのアフタートークだったり、
ゲストの方が私たちに問いかけて、みんなで考えることだったり。

今回は、人生劇場のなかでふと発生した「惚れるとは」について、もういちど考えてみた。

7月29日の人生劇場ゲストは勇木史記さん。

勇木さんは、海士町の宇受賀地区で、隠岐窯という焼き物をつくる窯を立ち上げている。

私は高校の芸術で工芸選択をしていて、勇木さんのもとで土に触れさせてもらっている。
毎回の授業で、まず焼き物を形作る前に土練りの作業がある。夏は汗が出るくらい、力を使う作業だなぁと思う。
でも、その工程は、土を柔らかくしたり空気を抜いたりするだけではなくて、同時に息を吹き込むような作業でもあるのかもしれない。

目の前の土に愛着が湧いてくるし、土に対して丁寧にもなってくる。

黙々と土を練るその作業のなかで、精神統一するというか、、そんな感覚だった。

陶芸。土を練る。その人もまだ気づいていない自分の形を、土を通して表せるのかもしれない。

「惚れる」とはなにか「好き」とはなにか

「惚れる」を別の言葉で言い換えるとなんだろうか。本質に惹かれることだろうか、なんだろう。
また、「好き」とはなんなのか。

そんな話になったのです。

「好き」は、表面に通じるものがあって、言葉にもしやすいのかもしれない。

「惚れる」とは、自分に振動が加わって、揺れる、心に響いて震えるものなのかもしれない。

「惚れる」は、無意識というか、自分の内側と、その「惚れる」の対象がもつ内側の軸が共鳴しちゃう感じ、、というか。
わからないんだけど、こころの目が合う、そんな感じだろうか。

「一目惚れ」は、どーーーんという大きな衝撃が自分の中に宿って、軸を震わせ続ける。そんな感覚、だとしたら、
「惚れる」はもっと長期的で、あたたかくて、やわらかいもののような気がする。

そう思うと、恋の話で多くの人は「好き」を中心にもやもや考えるけれど、
本当は恋って、「好き」よりも「惚れる」という言葉のほうが合ってるんじゃないかと思ってきた。

惚れる。
あたたかくてやわらかいから、心に残り続ける。
自分と一体化した感情のひとつなのかも。

そんなことを考えていました。

私は人生劇場のあとの余韻がとても好きです。
いつも、夏が終わってしまう、みたいな名残惜しさとともに幕が閉じて、それぞれが余韻に浸りつつそのあとも会話を楽しむんです。

今回の人生劇場はリアルで勇木さんに来ていただきました。
オンラインも便利ですが、実際に対面でお話を聞くのも、また、またまた、よいのです。

では次回もお楽しみに。

◯あとがきみたいな◯
遅くなってしまいました。申し訳ないです。
今回は感想文、でしょうか、そんな感じになってます。
同じ言葉でも、きっと人それぞれ、少しずつ違った解釈でその言葉を使っているんじゃないか、いっつもそう思ってます。
だからこそ、ひとつの言葉に注目して、ゲストの方も含めていろんな人の解釈を知るのって、おもしろい。
おもしろいんです。
(とき)

▼今までの人生劇場の様子はこちら▼



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