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【人生劇場#44】ゲスト:唄さん

ごきげんよう〜
人生劇場運営メンバーのときです。

12月14日(火)の人生劇場、ゲストは島前高卒業生のさん。

まず初めに、唄さんはこんなことを伝えてくれた。

この60分が終わったら、2日以内に1度自分の中で思い出して欲しい。
オンライン : 目の前にいないこと、空気の振動が伝わらないこと・においがないこと・さわれないこと 私が思う様に伝わらないことが9割だと思う。でも、残り1割を吸収しようと意気込むのではなく、あとからぼやけた印象を追って補完する自分を観察して欲しい。

今回の人生劇場は余韻も含めてのもので、そしてそれは劇場だった。

1時間の中で、聴きに来た人たちがそれぞれに受け取っている刺激、というかそういうものがあるんだとおもう。劇場の後に余韻に浸るのはまさに、「ぼやけた印象を追って補完する」ということだろう。


唄さんは中学生の時に2度モンゴルに行き、一夏をそこで過ごした。点々とあるゲルを訪問し、その中で感じた貧富の差や、出会い、体験から「豊かさ」について考えるようになった。

そして島前高校に入学しテーマは「集団」に変わり、高校三年生の時には「劇場」がテーマになったそうだ。

今、自分もそのように何かのテーマのなかで、あるいはそのテーマを胸に留めながら生きているのだろうか。

人生劇場にも、毎回きっとテーマがある。それは「今日のテーマはこれです!」というふうにあらかじめ決めたものではなくて、終わったあとで浮かんでくるテーマ。

そしてそれは自分ではわからない、解読できないことも多い。

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劇場

自分が何を演じてもいい、「劇場」のような。

それは誰かのために演じる場所、ということではなく、何をしても安心できる空間として「劇場」という言葉を置いている。

「劇場」のような人生にしたい。劇場は教会に似ていると思う。そこに立っている限り、自分は男でも女でもいいし、生きていても死んでいても、産まれようとしてもいいし、何歳でもいい。どんな人種でもいいし、どんな生い立ちを持っていてもどんなキャラクターを持っていても劇場であればそれは許された行為になる。

そんな空間が世の中に存在したって考えると自分にとって救いになる。

唄さん

どこかに、自分がどんな自分であってもいい、自分じゃなくてもなんでもなくてもいい空間を持っているだろうか。
私は持っていると思っていたけど、でもそこでは自分は、こういう感じで、っぽさで、らしさであるべきだといつの間にか思い込んでいる。もういろいろなってみようとおもう。まず生き物という前提よりも前に戻ってみようかなとおもう。

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結婚

結婚というのは婚姻を結ぶという字を書く契約である。でも、「いつから私たちは他人であるという契約を結んでいたんだろう」と私は思う。
結婚について考えたときに「結婚は結ぶという字を書くけれど、他人であったことをほどくという意味があるんじゃないか」と考えた。

唄さん

あなたと結ばれている、というよりは、あなたとの間をほどいている、の方なのかもしれない。あなたとの間は緩やかにほどいて、でもそれは一見キュッと結ばれたようにも見えるのだけど、私たちの間はほどかれている、という。そういうものなのかな。

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優柔不断を取っ払うときに、もしかしたら私は劇場の舞台の上に立っているつもりかもしれないと思った。必要な時に、咄嗟に舞台にのぼっている。私の劇場とはそういう感じだった。

◯あとがき◯
一年半前には「惚れる」について人生劇場を通して考えていました。
「惚れる」から想像する色って、なんとなく暖色やなぁと思うのですが、今回の人生劇場でも、いや、人生劇場が終わって時間が経った今、思い出しながらそれに似た暖色感を感じてます。

とき

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