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なぜ原文にこだわって古典を読むか② 元と照らし合わせ、様々な解釈を吟味する力を得る

古典の解説動画を作っている者です。下にリンク貼っていますが、原文を朗読(訳と併記)→解説という流れを少しずつ繰り返して読んでいます。

前回(https://note.com/gakumarui/n/n774c0c4dd189)理由1に「学校の古文の授業と、古典を楽しむことをつなげてほしい」を挙げました。重なる部分もありますが、理由2を述べていきます。

古典読解はもう不要?

高校生の時の私の考えはこうでした。
「古典はもう新たに生産されないのだから、未知の文章に出会う機会はなく、これから新たに古文を解読する力は必要ない。先人がせっかく訳してくれたのだから、それでよいのではないか。」
決して古典は苦手ではなかった私でも思ったのですから、苦手な方はなおさら思うかもしれません。
この考えはある意味で正しいかもしれません。しかし、今思うと、この考えには大きな落とし穴があります。


完璧な訳は存在しない

それは、誰かが完璧な訳、完璧な解釈を完成させているという前提があることです。(もっとも、大学受験では正解が決まっているのですから、高校生の私がこう考えるのも、もっともな話だといえます。)
しかし、完璧な現代語訳などありません。言葉は変化しており、完全な一対一対応はしません。物語がどのような意味を持つか、ならなおさらです。

そのことは、前回示した複数の訳がどれもありえる、という話からも言えます。


原文の大切さ ~訳でズレていく危険性~

原文から訳に伴い情報が変化・欠落することで、大きな誤解が生じることもあります。
古文に限らず、英語など外国語から日本語の翻訳でも同じです。

私は古典解説を作る以前に、アドラー心理学の解説動画を作っていましたので、それを例に挙げてみます(最後にリンク貼っています)。
アドラー心理学では「子どもをほめてはいけない」という主張が出てきます。
しかし、英語ではpraise(賞賛)ではなく、encouragement(勇気づけ・励まし)とされています。
praiseは「他と比べた評価」です。「良い子ね。」「お利口さん。」の裏にはどんな子が良い/どんな子が悪いという物差がある。
対して、encouragementは「私の評価」です。「ありがとう。」「助かった、うれしい。」

単純に「ほめてはいけない」を、「子どもへの声掛けは悪いもの」と捉えたら大きな誤解です。
もちろん、「ほめるではなく勇気づける」と書いた日本語解説もありますが、「勇気づける」が中々日常で使わない言葉なので違和感ある方も多いでしょう。
praiseとencouragementの比較である、ということがわかれば理解はぐっと深まります。

(そうしたアドラー心理学の主張を踏まえた上で、私自身はpraiseであっても肯定的な声掛けは無視や否定よりは圧倒的に良い、と考えています。)


理由2 作品(情報)を元と照らし合わせて、様々な解釈を吟味する力を得る。

仮に訳が間違ってなかったとしても、情報の変化や欠落はどうしても生じます。
複数の解釈(訳文など)を比較し、吟味することで補うことができます。

そして、比較の際に軸になってくるのが原文です。
もちろん、当時の歴史的背景など原文だけでは読み取れない情報もあるので、原文だけ読めば全てわかるわけではありません。
補われた情報も含めて複数の解釈を吟味すれば、多角的に考えることが可能になります。

中には、思わぬ身勝手で恣意的な解釈が含まれているかもしれません。
判断する際、原文を読むという考えとその力が役立ちます。(完全に独力ではある必要は全く、辞書や過去の解釈など様々な助力を大いに使って)

制作動画・文章


動画と同様の内容で、テキストでも原文・現代語訳・解説を載せています。ぜひ、各自に合う媒体でご覧ください。

例で挙げたアドラー心理学の解説はこちら


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