見出し画像

体験格差とは何か:文化的再生産は昔から ~体験ゼロは言い過ぎ?~【教育学】

 昨年からメディアで盛んに取り上げられる子どもの"体験格差"。この時、"体験"とは習い事や旅行に行くこと等を指します。例えば、ある子どもは放課後にスイミングに通えるが、ある子どもは通いたくても通えない、こうした状況を"体験格差"と呼んでいます。
 "体験格差"を取り上げる報道への反応には、「わかる」「なんとかすべきだ」という声がある一方で、「何でもかんでも格差というのはどうか」「"体験"が良いもので必要というのは押し付け」「我慢するものがあるのは当然」「それぞれの環境でできることはある」など否定的な声も見られます。皆さんが過去に育った環境や「体験」は実に様々ですから、全員が納得する説明や提案は不可能ですし、実際"体験格差"報道の中には問題を誇張し過ぎているものもあります。
 とはいえ、子どもの教育を考える上で「体験」という考え方は無視できないと思います。今回は子どもの"体験格差"について、(1)体験格差とは何か、(2)どんな現状か、(3)なぜ今盛んに取り上げられるのか、(4)どうして起こるのか、(5)体験がないことの何が問題か、(6)"体験格差"という言葉から何を考えればよいか、解説していきます。


1."体験"の定義と注意点:"体験ゼロ"とは

 体験と一言でいっても意味は広いです。例えば、虐待を受けることは悪い体験ですが、これすらも一つの"体験"と言えます。しかし、"体験格差"における"体験"には基本的に入りません。
 ここでの"体験"とは何を指すのでしょうか。報道で使われる"体験格差"という言葉やデータの出典元は、2023年に発表された小学生の保護者を対象としたWEB調査(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン、三菱UFJリサーチ&コンサルティング:文献①)、そして実施した団体(チャンス・フォー・チルドレン)の代表がその調査を基に記した著書『体験格差』(文献②)である場合が多いです。よって、この調査での"体験"の定義がよく使われます。
 この調査での"体験"は、「放課後の体験:主に平日の放課後に定期的に行う習い事」と「休日の体験:主に週末や長期休暇中に単発で行う旅行など」を指します。ピアノやスポーツクラブなどの習い事に加えて、動物園に行く、ボランティア活動をする、お祭りに行くなどが"体験"になります(同p.25)。
 注意すべきは、学校で行う活動は含めない、日常での友人・きょうだい間の遊びや手伝いなど生活体験も含めない(同p.15)ことです。書籍『体験格差』の帯にも使われている「体験ゼロ」というフレーズは、1年間で習い事や旅行といった"体験"が1つもなかったことを指します。習い事や旅行を経験しないことを衝撃的と捉えるか、そんなものだろうと捉えるかは人次第ですが、学校や日常の遊びなどが含まれていないことは知っておかないと誤解につながります。
 個人的には「体験ゼロ」というフレーズは、学校生活や学童、日常の遊びや読書といった体験の意義を矮小化しているようであまり好きではありません。これらの体験は決して習い事に劣らず、多くのことを学ぶことができます。
 ただ、調査する上では何らかの枠組みが必要なのも確かです。その上で、習い事や旅行が"体験"として設定されたことは、この調査や"体験格差"報道を見る上で重要な点でしょう。

2."体験格差"の現状

 調査で示された"体験格差"とは、年収が低い世帯の方が子どもに"体験"を与えられない状況のことです。
 下図の通り、1年間で習い事や旅行といった"体験"が1つもなかった「体験ゼロ」の小学生は、年収300万円未満の世帯では3割でした。年収600万円以上の世帯では1割であり、他の調査項目からも経済的事情で"体験"を諦めさせる親が多いことが示されました。
 

図:1年間「体験ゼロ」の子どもの割合(世帯年収別) 出典:文献② p.30

 体験の種類によっては世帯収入による差が見られないものもありましたが、定期的な放課後の体験である習い事は、スポーツ系も文化系も差が見られました。スポーツ系の参加率では、年収600万円以上の世帯は6割に対し、300万円未満の世帯は4割弱でした。音楽や習字など文化系では、年収600万円以上は3割に対して、300万円未満の世帯は2割弱でした。

図:放課後の体験(定期的な習い事)の参加率(世帯年収別) 出典:文献② p.41

 また単発の経験では、多くの費用がかかる「旅行・観光」は顕著な差が出ました。1年間で子どもと「旅行・観光」をしたのは、年収600万円以上の世帯は4割に対し、300万円未満の世帯は2割でした。

図:1年間で「旅行・観光」を体験した子どもの割合(世帯年収別) 出典:文献② p.53

 この調査の考察では、家庭の経済状況によって、子どもがやりたくでも"体験"できないことを「体験の貧困」であり(文献①p.112)、子どもにとって"体験"は贅沢品ではなく必需品である(文献② p.29)として現状を問題視しています。

3.なぜ今盛んに取り上げられるのか

 家庭の裕福さによって、お金のかかる習い事ができるか・旅行にいけるか等できる体験は違う。こうした話は昔から言われており、今に始まった話ではありません。
 では、どうして今になって注目され始めたのでしょうか。その大きな要因は、2000年代後半から「子どもの貧困」が注目され出したことにあります。日本の教育研究の歴史上、1950-60年代は貧困家庭に関する研究が多くありましたが、経済成長に伴い70年代以降「貧困」は見過ごされてきました(文献③)。 しかし、2008年リーマンショックを機に改めて子どもの「貧困」が注目されるようになりました(文献④)。ただ、経済・衣食住・学習の支援、居場所づくりといった取り組みが進む中で、「体験」の重要性は指摘する人もいた(文献⑤等)ものの、それほど注目されませんでした。
 2020年、感染症流行下での外出制限や行事の中止・縮小を受けて、子どもの体験の不足に注目する取り組みや調査が増えていきました(文献⑥等)。2023年1月には『「学力」の経済学』で広く知られる中室牧子氏も発起人の1人となった「子どもの体験格差解消プロジェクト」など様々な活動が行われる中、同年7月に先述した"体験格差"調査が公表されました(速報値の発表は22年12月)。調査結果の数値を用いる報道が多数なされ、24年3月に書籍『体験格差』が出版されるとより多くの報道がなされました。
 つまり"体験格差"は、08年リーマンショック・20年感染症流行での外出制限という社会を動かした出来事を機に、「子どもの貧困」問題の1テーマとして注目されるようになったのです。

4.どうして起こるのか:文化的再生産

 どうして差が生じるのでしょうか。1つは単純に、お金がなければ習い事の費用も旅行の費用も出せないからです。経済格差が"体験格差"を生む、これは想像しやすい要因です。
 しかし、(地域差も大きいですが)格安あるいは無料で参加できる行事や体験活動も、主に公共施設で多数提供されており、お金がなければ"体験"できないわけではありません。家庭の経済状況だけが要因とすれば、収入の低い世帯の子どもは全て"体験ゼロ"になりますが、実際はそうなっていません。
 調査ではもう1つの大きな要因として、親の「文化資本」が指摘されています(文献① p.119)。つまり、親に「子どもに"体験"を与えるという発想がそもそもないこと」や「"体験"を与える手段を知らないこと」という、親の文化が子どもに影響しているという指摘です。

 文化資本とは考え方・価値観や習慣のことです。教育は親の経済力「経済資本」だけでなく、親の文化資本の影響も大きく受けることが古くから指摘されてきました。例えば、家庭に読書の習慣があり本が置かれている環境があれば、子どもも自然と読書の習慣を身につけやすいです。
 ブルデューを始めとした文化的再生産論では、これが貧しい家庭の子どもがまた貧しくなるという経済的な再生産の原因と指摘しました。高収入世帯の子どもは高学歴を得て高収入になりやすいというのは、よく知られた事実ですが、その一因は家庭の文化(資本)にあると考えたのです。例えば、家庭で読書の習慣を身につけた子どもは、学校の学習にも適応しやすいように、文化資本が学力にも影響します(詳しくはこちら:再生産論の解説記事)。

 「"体験"を子どもにさせたい」と考えることも、1つの文化資本です。親が"体験"の必要性を感じなければ、何もさせないことになります。また色々な種類の"体験"があることや安価に行う手段を知っていることも、文化資本です。発想や情報という面でも、貧困家庭は乏しいことが多いです。(発想や情報を伝えられればよいですが、貧困家庭は交友関係「社会関係資本」も乏しいことが多く、子どもへの支援を考える上では発想や情報を届ける視点も必要です)
 調査では下図の通り、親が子ども時代に"体験"があった場合、どの世帯年収のゾーンでも子どもにも"体験"をさせることが多いことが示されました。また、子ども時代に"体験"なしだった保護者は、低所得世帯の方が割合が多くなっています。子ども時代の"体験"という文化資本を持つ親は子どもに”体験"を与え、そうでない場合は”体験"が与えられない傾向が見られます。

画像引用元:文献② p.69
 図:子ども時代に"体験”がなかった親(世帯年収別)出典:文献① p.59

5."体験"がないことの何が問題か

 そもそもどうして子どもに"体験"が必要なのでしょうか。確かに、子どもに何もさせず家庭に閉じ込めておくことは、心身に良くありません。楽しむことは必要です。では、学校での体験や放課後友達と遊ぶことでは不十分なのでしょうか。
 実は書籍『体験格差』及びその調査では、なぜ体験が必要かは深く追求しておらず、小出しに人々の意見が述べられているだけです。"体験"がその後の成長に影響することを示す大規模な研究は、国内では文科省委託調査(2021)くらいであり、"体験格差"調査も先行研究として引用しています(文献① p.6)。
 文科省委託調査(文献⑦)では「小学生の頃に行った体験活動などの経験は、長期間経過しても、その後の成長に良い影響を与えている」と示されました。調査方法は、生まれてから毎年アンケートを行う「21世紀出生児縦断調査(平成13年出生児)」を用いて、高校生になって答えた自尊感情などのアンケート結果に、小学生の時の体験が影響しているか検討されました。
 具体的には以下の通り(※)、小学校時代の自然体験(キャンプ、登山など)は高校生になっての自尊感情・外向性・感情調整・心の健康にプラスの影響を、社会体験(農業・職業体験、ボランティアなど)は授業の楽しさ・心の健康、文化的体験(動植物園・博物館見学、音楽鑑賞など)はいずれの変数にもプラスの影響を与えていると示されました。この影響は世帯収入に関わらず有意であるとしています。なお、『体験格差』では"体験"に入らない"読書"と"お手伝い"も多くの項目にプラスの影響を与えていました。
 まあ、こうした結果を見ずとも、言語化しづらい面を含めて"体験"の価値は色々と考えられると思います。

表:体験の効果 高校生へのアンケート結果(上)に対する小学生時代の体験(左)の影響 
+は正の影響。負の影響は上記項目ではなかった。(文献⑦ pp.189-190より作成)

 ただし、"体験"に価値があることは、決して子ども時代に"体験"がなければダメであることを意味しません。『体験格差』報道の中には過度に"体験"の価値を誇張したり、必須の"体験"を決めつけているものもあります。子ども時代の体験が「人生の豊かさを左右」(文献⑧)というのは、言い過ぎです。「海水浴を知らずに育つ子も『体験格差』悲痛な実態」と言われても(文献⑨)「海のない県もあるし、別に後から必要に応じて知ったっていいだろう」と思います。
 個人的には"体験"を楽しむ力も学びにする力も、大人になってからの方がある気がします。私自身、小1から6年半通った書道教室は憂鬱な場所でしかなく、楽しくないばかりか書道の知識も、大学で国語の教員免許を取るために受けたわずか15回の授業の方が6年半より多くのことを学べました。もちろん、だからといって子どもの"今"を大切にしなくていい理由にはなりませんが、あまりに絶望的に報じるのも違うかなと思います。

6."体験格差"を考える意義:劣等感を抱かせるだけの報道にならないよう

 『体験格差』報道が子どもの"体験"を支援する力になればよいですが、ただ貧困世帯に劣等感を抱かせるだけに終わるなら、むしろ悪影響とすら言えます。私は運動会や合唱コンクールなど学校行事に関する解説も行ってきましたが、学校行事も"子ども時代しかできない体験"として美化されがちです。しかし、そこで理不尽な経験をする子どもも沢山いることは無視できません。学校行事と同じく、放課後の"体験"も、その意義は考えつつも過度に美化し過ぎてはいけないと思っています。

 とはいえ、"体験格差"を考える意義もあるでしょう。私は主に、(1)安価に体験を提供する社会教育施設の重要性、(2)「文化的再生産」という考え方の重要性の2点だと考えています。
 (1)安価に体験を提供する社会教育施設の重要性は、書籍『体験格差』でも1提案として記されています。図書館や公民館、植物園などの社会教育施設は子どもの"体験"の場としてとても大切です。単純な採算性だけで考えると不要な施設になってしまいますが、"体験格差"の問題提起は施設の重要性を示したと言えるでしょう。
 (2)「文化的再生産」という考え方の重要性は、貧困家庭への支援に必要な視点です。貧困家庭の子どもには経済支援だけでなく文化資本(発想や工夫)を補うという考え方がなければ、貧困の再生産はなかなか止められません。もちろん工夫や支援へのアクセスを積極的に行う貧困家庭もあり、そうでない親を非難することは簡単ですが、非難しても子どもたちに何の好影響も与えません。支援のアプローチを考える上で"体験格差"が示したものは参考になるでしょう。

 最後に"体験格差"に関わる報道や調査では、"体験"できないことで子どもが恥ずかしい思いをするという話が多く出てきますが、これは体験そのものより「辱める」あるいは「恥ずかしがる」ことの問題です。

学校の先生に「お休みどう過ごしてた?」と聞かれてもうちの子達だけ「どこにもいってない」という話になり「何で、○○君はお出かけできないの?」とまわりの友達から言われとても恥ずかしかったという話を聞いた

出典:「ひとり親家庭の子どもの体験機会に関するアンケート」2024(文献⑩)

 貧しいことをバカにする子どもの言動は今に始まった話ではありませんが、こうして相手を「辱める」ことはマイナスばかりで何のプラスにもなりません。

お友達と遊ぶ時に自転車じゃない事を馬鹿にされたり、お小遣いがないので遊んでいる途中にコンビニなどでおやつを買えないことを理由に仲間はずれにされてしまう

出典:「ひとり親家庭の子どもの体験機会に関するアンケート」2024(文献⑩)

 こうして"体験"が充実している側がそうでない子を「辱める」事例を見ると、"体験"が充実しているからといって、必ずしも世の中に様々な境遇があることを理解しているわけでもなく、協調できるわけでもないことがわかります。子どもの"体験"は大切ですが、過剰に価値づけて「子どもに体験を与えられていない」と考える親をさらに追い詰めては本末転倒だと考えます。

【注釈】

※ 各変数の名称は報告書を基にしている。例えば「心の健康」は、アンケート項目「明るく、楽しい気分で過ごした」「落ち着いた、リラックスした気分で過ごした」「意欲的で、活動的に過ごした」「ぐっすりと休め、気持ちよく目覚めた」「日常生活の中に、興味のあることがたくさんあった」に対しての6件法回答「まったくない/ほんのたまに/半分以下の期間を/
半分以上の期間を/ほとんどいつも/いつも」を各0-5点計25点満点にしたものである(文献⑦p.91)。その他各項目や分析の詳細は報告書に参照していただきたい。
 なお、本文では筆者が一部を適宜適切な名称に変更している。例えば、報告書で「向学校的な意識」と称されている変数は、アンケート項目 「勉強(体育・音楽などを含む)が楽しい」及び「楽しいと思える授業がたくさんある」の回答が使われている(文献⑦p.84)が、回答が「あまりそう思わない」であるからとって「向学校的な意識が低い」というのは違うだろう。変数に用いている質問項目は少ないのだから、捻らずに「授業が楽しい」とするのが適切と考えた。また「精神的な回復力」も名称に対して構成される項目が適切ではないと考え、本文では用いていない。

【参考文献】

①公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン『子どもの「体験格差」実態調査最終報告書 ~全国の小学生保護者2,097人へのアンケート調査~』2023年
②今井悠介『体験格差』講談社、2024年
③木下真「子どもの貧困を覆い隠してきた民主教育」『チャイルド・サイエンス』18、pp.21–24、2019年
④阿部彩「『子どもの貧困』と『機会の平等』」『経済社会学会年報』41、pp.12–20、2019年
⑤大澤真平「子どもの経験の不平等」『教育福祉研究』14、pp.1–13、2008年
⑥清輔夏輝『Withコロナ時代における困窮家庭の子どもの「体験格差」調査事業』NPO法人チャリティーサンタ、2021年
⑦浜銀総合研究所『青少年の体験活動の推進に関する調査研究 報告書』(文部科学省委託調査)、2021年
⑧毎日新聞「夏休みの『体験格差』人生の豊かさを左右」2024年7月7日朝刊2面
⑨「海水浴を知らずに育つ子も「体験格差」悲痛な実態」東洋経済オンライン、2023年:https://toyokeizai.net/articles/-/696735 (参照 2024年8月16日).
⑩NPO法人グッドネーバーズ・ジャパン「ひとり親家庭の子どもの体験機会に関するアンケート」2024年、プレスリリース2024年7月4月:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000086.000005375.html

★本記事の動画版はこちら

★過去の教育学解説記事一覧


専門である教育学を中心に、学びを深く・分かりやすく広めることを目指しています。ゲーム・アニメなど媒体を限らず、広く学びを大切にしています。 サポートは文献購入等、活動の充実に使わせて頂きます。 Youtube: https://www.youtube.com/@gakunoba