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070.『ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略』阿部大輔 編著

“わが国のパンデミック発生後の政策対応を見るにつけ、観光への期待が経済的観点に偏重している感を強くする。観光は経済活動であると同時に、わたしたちの日々の生活にゆとりをもたらし、多様な社会や文化の存在を再確認し、ひいては自らの出身地の魅力なり課題なりに思いを馳せ、人生そのものを豊かにしてくれる営為である。パンデミックがわたしたちの日常生活に大きな変化を迫り、身近な環境に対する発見を促したり、異文化に触れる海外旅行体験の貴重さを改めて知らしめてくれたりした。人間の根源的な活動としての観光のありようを改めて丁寧な眼差しから捉え直し、地域を豊かにする観光がいかに可能か、政策的な知見を集約していくことが急務である。”

☞書籍詳細

市民生活と訪問客の体験の質に負の影響を及ぼす過度な観光地化=オーバーツーリズム。不満や分断を招く“場所の消費”ではなく、地域社会の居住環境改善につながる持続的なツーリズムを導く方策について、欧州・国内計8都市の状況と住民の動き、政策的対応をルポ的に紹介し、アフターコロナにおける観光政策の可能性を示す

●はじめに

ここ数年、洋の東西を問わずメディアを賑わせてきたオーバーツーリズムは、新型コロナウィルスの世界的蔓延という思いもよらぬ形で唐突な終焉を迎えた。観光はパンデミックを助長しかねない厄介な存在として脚光を浴びることになり、国境を超えた移動は姿を消した。観光地としても人気の高いニューヨーク、パリ、ロンドン、コペンハーゲン、マドリード、バルセロナ、カイロ等、世界の主要都市では都市封鎖(ロックダウン)が度々実施された。移動が封じられては、観光は成立しない。過密を作り出していた観光客の群衆はすっかり姿を隠し、人気スポットには閑古鳥が鳴いている。

パンデミック発生の直前まで、観光産業は目を見張る成長を遂げつつあった。観光は、世界金融危機から回復を見せた2010年以降、年率5%前後の成長率を継続的に記録する「安定的な成長が期待できる」数少ない産業の1つであった。国際観光収入と旅客輸送を合わせた国際観光輸出合計は、2019年に1兆7,000億米ドルにのぼった(1)。

堅調な成長の背景は様々である。所得中間層の世界的な増加やローコスト航空(LCC)の定着に見る旅行コストの低減は、わたしたちに海外旅行を一段と身近なものにした。ソーシャル・メディア、特に写真の投稿を主とするSNSの爆発的な普及は、旅行への動機を刺激するだけでなく旅先での他者の行動パターンを倣うことへの躊躇をなくした。Peer-to-Peer型オンライン・プラットフォームであるエアー・ビー・アンド・ビー(Airbnb)に代表されるシェアリング・エコノミーの旅行業界への進出は、新たな旅のスタイルの登場と定着を後押しした。これに加えて、目的地である地域・都市の側からも、経済や産業の活性化や空間再生の観点から、外需としてのインバウンド観光に期待を寄せるようになった。一定の雇用を生む有力な産業としても、もはや観光は欠かせない存在になっている。いまや、好むと好まざるとに関わらず、地域・都市の再生は「観光」を考えることから逃れられない。

このように、社会の様々な変化が短いスパンで雪崩のように観光セクターに流れ込み、従来の構図が大きく塗り替えられた。オーバーツーリズムは、まさに社会の縮図であり、世界金融危機からの脱却に邁進する過程で生じた世界レベルでの副作用と言えるのではないだろうか。

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オーバーツーリズムとは、ありていに言えば、観光客・地域住民の双方が観光の進展に何らかの不満を抱くような状況のことを指す。ある地域・都市が観光地化するだけでなく、観光地としてすでによく知られた地域・都市もさらなる観光地化(超観光地化)が進んだ。観光体験の商業化は、地域・都市の魅力にじっくり触れるという機会を減じたかのように見える。観光的魅力の高い場所では、事業者による(場合によっては基礎自治体による)投機的な活動が展開され、地価の上昇を招き、それに伴い居住者(特に社会的弱者)や近隣商業の追い出しが進み、都市の魅力を構成してきた多様な界隈が観光の原理によって不可逆的に変質してしまう事態が発生した。オーバーツーリズムの問題は多岐にわたるが、本書が核心に据えるのは、この点である。オーバーツーリズムは地区の高級化(ジェントリフィケーション)ではなく、むしろ「地区の低俗化」(地価の上昇が地域の特質を弱め、生活の質そのものを低下させてしまうこと)をもたらしている。

パンデミックで移動の自由が制限されたわたしたちは、つい先日まであれだけ世間を賑わせていたオーバーツーリズムを、すでに過去の出来事として忘却の彼方に押しやっていないだろうか? 本書は、オーバーツーリズムの後日譚ではない。本書で描かれるのは、パンデミック以前に講じられた諸都市の奮闘の数々である。オーバーツーリズムに直面した諸都市の奮闘にこそ、パンデミック後のツーリズム―すなわち「ポスト・オーバーツーリズム」―の観光の新たな姿を構想する多くのヒントを見出せるはずだ。


(1) UNWTO(2019), International Tourism Highlights. https://www.e-unwto.org/doi/pdf/10.18111/9789284421152

●書籍目次

まえがき

第1章 オーバーツーリズムとは何だったのか

1. パンデミックに揺れる観光
2. 巨大産業化しつつあった観光産業
3. 現代的都市問題としてのオーバーツーリズム
4. オーバーツーリズムの遠因
5. オーバーツーリズムの近因
6. オーバーツーリズムが地域にもたらす弊害の現代的側面
7. 都市社会運動の展開

第2章 日本の観光政策の現段階

1. 近代以降のわが国の地域と観光の関係史
2. 平成の観光史
3. 新型コロナウイルス感染症流行後の観光政策
4. 歴史から見る現代の観光政策とオーバーツーリズム現象

第3章 ヴェネツィア──テーマパーク化からの脱却を目指す古典的観光都市

1. 観光都市ヴェネツィアの輪郭
2. 「ディズニーランド化する」ヴェネツィア
3. 観光に抗議する住民運動の展開
4. 過熱する観光の抑制を目指す政策的対応
5. 観光のプライオリティを下げることのできないジレンマ

第4章 バルセロナ──都市計画を通した観光活動適正化の試み

1. 豊富な観光資源で観光客を魅了し続ける都市
2. 観光都市としての急成長:背景と政策の経緯
3. オーバーツーリズムの状況
4. 「都市への権利」を問う自律的市民運動
5. 界隈の居住環境保全を図る観光戦略
6. 観光の包摂的発展に果敢に挑む

第5章 ベルリン── DMOを軸に観光の質を追求する

1.‘Capital of Cool’─刺激的な文化発信の拠点
2. ベルリンの観光のトレンド
3. オーバーツーリズムの状況
4. 市民からの反応
5. 市行政による政策的対応
6. 質の高い観光の成長を前提とした穏健な政策モデル

第6章 アムステルダム──住民生活の優先を明確化した網羅的な政策対応

1. アムステルダムのオーバーツーリズム前夜
2. アムステルダムにおけるオーバーツーリズムの状況
3. 市民からの問題提起
4. オーバーツーリズムに対する政策的対応
5. City in Balanceの評価と課題

第7章 サントリーニ島──歴史的町並み保全制度の奏効と観光インフラ整備の推進

1. サントリーニ島の盛衰と観光発展の背景
2. サントリーニにおけるオーバーツーリズム
3. オーバーツーリズムと地域住民
4. 新行政によるオーバーツーリズムの緩和・回避対策
5. 歴史と伝統の上に描く観光地デザイン

第8章 京都──オーバーホテル問題に直面する世界的観光都市の岐路

1. 日本を代表する伝統的観光都市
2. 京都市におけるオーバーツーリズムの状況
3. 市民からの異議表明と共存を探る試み
4. さらなる成長を促す政策的対応
5. 多用される「地域との調和」とは何か?

第9章 由布院──生活型観光地が模索する暮らしと観光の距離感

1. 定住人口と1日当たりの交流人口がほぼ同じ町
2. 生活と観光の均衡変化と想定外の環境変化
3. 観光計画に基づく地域間の戦略的互恵関係の構築と官民協働体制の再構築
4. 環境変化への対応と地域の意思の明示
5. 交流を通じた持続可能な地域づくり

第10章 倶知安── 外国化した地域の主権を取り戻す地域住民の模索と努力

1. 国際的なスキーのまち
2. ニセコひらふ地区が国際観光地に至るまで
3. 過度な観光開発がもたらした地域の変化と取り組み
4. 外国人による土地・建物所有や事業がもたらした地域の変化と取り組み
5. 中心市街地への影響波及
6. 倶知安町一体となった観光マネジメント

第11章 オーバーツーリズムから包摂的な観光へ

1. オーバーツーリズムの教訓
2. 先行報告におけるオーバーツーリズム改善の方向性
3. COVID-19は観光にどのような影響を及ぼしているか
4. オーバーツーリズムからパンデミックへ
5. 界隈を再生する観光戦略
6. 観光の脱成長へ

あとがき

☟本書の詳細はこちら
『ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略』阿部大輔 編著

体 裁 A5判・236頁・本体2500円+税
ISBN  978-4-7615-2760-0
発行日  2020-12-25
装 丁 中川未子(よろずでざいん)

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