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成長できる環境かどうかは運で決まる

成長を求めて会社を選択

 社会人としての生活を始めて約2か月が経過した。私が入社したのは、比較的若い会社で、エネルギーに溢れた人間が多い。現在は、4月いっぱいの新人研修を終え、実務の中で日々学びを得ている。

 就職活動の際、私が重要視していたのは成長環境だ。そのため、凝り固まった日本の大企業ではなく、若いうちから比較的自由にできそうな会社を選択した。しかし、本当にこの会社で自分が望んでいた成長を得られるのかはまだわからない。成長するためには、自身の努力は必要不可欠な要素であるとして、環境は非常に大切である。しかし、環境を自分が操作することは不可能である以上、成長環境を決めるのは運であると言える。

環境選択に失敗した中高時代

 これまでの人生で、私は環境選択を失敗してきた。環境を自分が変えることはできない以上、運が悪かったと言うべきか。まず最初の失敗は中学生になる頃である。当時、生活の中心にあったのはサッカーだった。

 小学生の頃の私は、地域では有名なサッカー少年だった。中学に進学するにあたって、いくつかの有力なクラブチームからも声をかけてもらっていた。しかし、当時の未熟だった私はそれらの話に見向きもせず、家から最も近いクラブチームに入団することを決めた。今振り返るとこの決断は人生最大級の過ちであったかもしれない。

 私が入団したクラブチームは強くはなかったが、弱小ではなかった。そのため、真面目に練習に取組み、努力すれば向上を続けられると信じていた。しかし、チーム状況が悪化し、考えの甘さを思い知らされる。コーチ陣の本業の多忙化を理由に練習や試合の機会が大幅に減少し、同時に多くのチームメイトがヤンキー風に吹かれてチームを去っていった。その結果、中学入学時には地域のトップ選手だった自分が、卒業するころには一人の平凡な選手になってしまっていた。

 そんな状況でも、自分では自分の能力を過大評価していた。環境が悪くて結果が出せなかっただけで、良い環境であれば自分の能力は依然として通用すると驕っていた。そして、高校の進学先には全国大会出場を目指すような強豪校を選んだ。しかし、結果は惨敗だった。一度もトップチームのシャツに袖を通すことはなくスパイクを脱いだ。

環境選択の重要性

 私は中学・高校においては適切な成長環境を選ぶことができなかった。環境選択の重要性は深く胸に刻み込んだつもりである。サッカーを引退してからは、ビジネスの世界で向上を続けることを目指して努力してきた。そして社会人として、ビジネスの世界に身を投じるに至った。入社先は真剣に考えたつもりだ。日本の伝統的な企業ではなく、かといって得体の知れないベンチャーでもない、比較的自由の利く若い企業。自分の能力で十分通用するレベルの企業だとも考えた。過去の失敗から、環境選択には十分注意を払ったつもりである。

最後は運

 しかし、それでもこの会社が自分にとって良い環境かどうかはまだわからない。結局最後は運なのだと思う。一緒に働く同期や先輩は自分では選ぶことができないので、どうしても相性が合わない可能性は存在する。どんな上司にあたるかはいつだってガチャだ。だから、事前の環境選択でミスマッチの可能性を最小化することは重要だが、ミスマッチの可能性を無くすことはできない。本当に成長環境かどうかを決めるのは運なのだ。

 現時点では会社に希望を持てている。自分にとって悪い環境だとは感じていない。しかし、環境に違和感を覚えたら我慢する必要はないと思っている。それは運が悪かっただけなのだから。自分で出来る限りの努力をして、運が悪かったのなら仕方がないと思っている。

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