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「指導」

先日,このような質問を受ける機会がありました。

「子どもたちが道を渡るときに誰も手を挙げない。学校ではどういう『指導』をしているのか。聞かせてもらいたい❗️」

手を挙げて渡り,車が止まってくれたときは列の最後の人がお辞儀の礼をすることを伝えていますが,期待されるような動きではなかったのだと思います。つまり「指導が足りなかった」ということ。

今回は,「指導する」ことの意味について,考えていることを言いたいと思います。

まず私は,この文脈での「指導」という言葉があまり好きではありません。

「価値」という内面的なものの伝達行為であるから,そんな簡単にハイできました,みたいなものではないと思うからです。

道を渡る例でいえば,車両から見えやすいよう安全面の視点から手を挙げて渡ることが大切なのですが,自転車はともかく,自動車を運転したことがない子どもたちが運転席の目線から説明されても,いまいち分かりづらくないですか?「確かに大切だ!」となるのでしょうか・・・。

じゃあ,自動車から渡っているのが見えにくいと,ぶつかって事故に巻き込まれて怪我をして痛いから,という理由で話をするとします。

速度が落ちていない車にぶつかられた体験がない子どもは,「痛い」が分かるのでしょうか。きっと分かりにくいのではないでしょうか。

人は,自分が実際に体験したり,程度を説明できるほど知識を備えている事柄についてはよく理解することができますが,そうでないことについてはイメージをもちにくい,または想像できないことが多いです。

だから,口先だけで「大切だよ」と伝えても,実際に横断するときに手を挙げる子が少ない。どうして大切なのかを理解できていないから。

では,どうしたら子どもたちに伝わるか。

大切なのは「納得」です。「共感」といってもよいと思います。

子どもたちは,「自分に寄り添って声をかけてくれている先生かどうか」「実際に見たり聞いたりして妥当な情報をもち,信用できる先生かどうか」について驚くほど敏感なセンサーをもっています。

例えば,「道を渡るときは絶対に手を挙げましょう。そういうルールだよ」と言われるのと,「朝,この道を通って来るけれど,車が多いね。周りからよく見えるように,渡るときは手を挙げましょう。」と言われるのでは,受け入れやすい言葉は後者ではないでしょうか。

「こうだ!」と口先だけで押し付けるのではく,「こうするといいんじゃないか」と提案し,納得してもらうことで子どもたちがより高度な行動を選択できるようにすることが私の考える「指導」です。

交通安全が例になりましたが,指導することは絶対に必要です。生命がかかっていますから。だけど,子どもたちに指導するということは,「納得」や「共感」がベースにあっての特殊な技術に近いものであると思っています。

言えば必ず伝わると思わず,どうすれば言いたいことが適切に相手に届くかをよく考えて話すことが大切であると思います。

(ちなみに,交通ルールを定めた教則には「横断歩道は手を挙げて渡る」という記載はないそうです)

ここまで読んでくださりありがとうございました。よかったら好評価お願いします。

#学校の研究所

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ありがとうございます🤗
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公立小学校教員です。学校の現場に身を置く者が日々思うことや考えていることを、発信していく場にしていきたいと思います。 ※【いらすとや】さんのイラストをかなり拝借します。ありがとうございます。

コメント2件

先生のお仕事は本当に大変だと思います。
納得してはじめて身につくものですものね…。
コメントをくださりありがとうございます。
考えるほどわからなくなるので「指導」という言葉は苦手です… また機会がありましたらご一読ください。
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