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もう記憶の中にしかないラーメンが教えてくれた事

出会いの数だけ別れがあるというが、その「別れ」を自覚できることはおおよそ半分くらいではないだろうか。それこそ仲間や家族、新しい始まりのための引っ越し、のように言わば「きっかけ」があればそこに紐づく「別れ」も際立って記憶に残る。

記憶にない別れの方が実は多いと思うのだけれど、いつまでも覚えていて惜しんでしまう事とどちらが幸せなんだろうか。
深い話をしているようですが、今日はラーメンの話です。

ある日、深夜のジム帰りに舌がある味を思い出した。最初は夕食で食べたものが思い出されただけだと思い、事実そうだった。しかし、その味の記憶が違う記憶を呼び覚まそうと、「思い出したい、この味!」とめちゃくちゃ俺の大脳皮質を刺激してきた。

その日作った夕食は冷製サラダトマトパスタ海鮮風。なんのレシピも見ずに思い付きで作ったわりには簡単お手軽美味しいやつ。
(レシピはすりおろしたニンニクとしょうが、鷹の爪が効いていて、タコとアンチョビとブロッコリー、枝豆、ミニトマトなどなどぶちこんでトマトソース絡めてカッペリーニ。粉チーズもかけてどうぞ)

そこからなんの味が思い出されたのか。
すぐに思い出された。

山形在住の際にめちゃくちゃ通った「萬福臨」というラーメン屋です。

そう、まんぷくりんと読みます。その当時は

「おいおいおいおい、やったな?」

とその狙いすました名前に慄きながら暖簾を初めてくぐったことを思い出しますが、まさかそこからあんなに通い詰めるとは思わなかった。

今考えると横浜にも「萬福臨」という同じ名前の中華屋さんがあるから、店長関東の方で修業してたからそっから名前もらったのかな、偶然かな。

萬福臨が本当に大好きだったんだけど、そこにはいくつかの思い出と記憶が連鎖するように引き出される。今日はその話をしていこう。

ここのラーメンが変わっていて、XO醤という合わせ調味料がレンゲに乗っていて、醤油、塩、味噌から味を選んでXO醤を溶かしながら食べる。

俺は味噌一択だった。それにチャーシューと味玉をトッピング。
このチャーシューもなんか衣のようなものがついていたような気がする。
XO醤を基本料金内で最大のせてもらい。麺は大盛り。

XO醤は干海老・干貝柱・多種海産物からできていて、なぜか貝柱入っていて、貝がダメな俺なのにここのだけは気持ち悪くならなかった。不思議。個性定期な味なので好き嫌いは分かれるかもしれないが俺には最高だった。

スープにはコクがあってXO醤と混ぜるともう最高。その当時の自分にとって至高のラーメンであった。

店長も良くかわいがってくれて、「いつもの!」と頼んでは対応してくれる常連感も嬉しい。

俺の通っていた高校にもファンが多く、弟も俺の友達も、紹介する人皆がはまっていくラーメン屋。おなかがいっぱいにならないで無限に食べられればいいのに。そんなことを思いながら食べていた記憶がある。当時の俺の中では

「日本で1番うまいラーメン屋なのでは…?」

くらい思っていた。

20歳前後で音楽をはじめ、21~23くらいで東京も含めえっちらおっちらライブをしたりTVに呼んでもらえるようになって移動するようになり、色々なところの友人が出来た。

すると山形に来る際にどこがおいしいか聞かれたりするようになる。

「そば」「山形牛」「郷土料理」なんてものが今なら思いつくが、その当時はちょっと違う。そばなんかは話に上がるが、売れてないミュージシャンや食に興味がそんなにない人にはちょっと割高ではある。そうなるとほら、ラーメンだよね。

人口当たりのラーメン消費量が日本1のラーメン大好き県、山形出身の自分としても食事でラーメンを勧めることはままあった。

当然萬福臨をすすめるよねえ!自信満々だし!
今までの仙台の彼も、青森の彼も彼女も、新潟の彼もみんな絶賛してくれたあのラーメン!

ある時また聞かれちゃったからね!ラーメンがいいな、なんて言ってるからね!勧めるよね!仕方ないよね!


大阪出身のバンドマンにオススメをし、ライブハウスで待ってた俺は帰ってきた彼らに聞いた。

「美味しかった(よね間違いなく!どんな感想)?」


これに対する彼らの返事が

「ああ…。うん!まあ!まあまあ!ありがとう!」

はい、きました。人の顔色読めるんですよ、私。いや、読めなくてもわかりますよね。

「彼らには美味しくなかった」

びっくり!ショックっていうよりびっくり!!

アノムテキマンプクリンガ…?

驚いて片言になるくらいこれが衝撃で。本当に天地がひっくり返るくらいの衝撃でした。俺の顔ハニワみたいになってない?


10年くらい通ってて、勧めた人がみんな絶賛だったのよ。または1番じゃなくても美味しい方、という評価が。

感じました。彼らがネガティブな評価をしたことを。気を使って言葉を選んでくれた事を。

ここで初めて

育った環境にラーメンの好みは左右される。人の数だけ好き嫌いはある。

ということを心から学びました。


そして人がどんな評価をしようとも俺はこのお店のこの味が大好きなことも。

東京在住になってからも山形に仕事で変えるたびにほぼ必ず顔を出してはラーメンを食べに行かせてもらっていた。

ある時にお店を閉めて田舎に帰ることを聞いて、寂しく思ったけれど、そんな気持ちじゃ全然足りないことを今痛感している。

だってあのラーメンは二度と食べられないのだ。友達や彼女と通ったあのラーメン。部活帰りに寄ったあの時間。過ぎ去りし日々は取り戻せないけれど変わらぬ味も必ずある。そう思っていたけどそれがもうないのだ。

前の相方と食べに行って、相方の女の子がスープをグビっと飲んで器を置いたら歯が欠けた、なんていう謎の減少も起きた思い出もある!(謎なのはラーメン屋さんではなくて当時の相方です)

今は大好きな味が日本中にできた。それでも、人に勧めてあんなにショックを受けたりしたことは後にも先にもない。

あれからラーメン人に勧める際はめちゃくちゃ考えるようになった。

覚えてるかどうかはわからないけれど、今のAJJEのピエールさんなんですが、今度話してみようかと思います。

後悔しないくらい通ったと思う。それでも足りない。もう一度といわず何度も食べたい。
好きなものは我慢せずに好きと言い続け行動した方がいい。そう学んだ。

昨今のご時世で山形に帰れていないから、無理なんだけど。

山形に帰るときはこっそりこのお店の前を通るんだ。
もしかしたらまたやってないかなって。
暖簾をくぐったらあの店長が声を掛けてこないかなって。
少しセンチメンタルな気持ちになりながらあの道を通るのも悪くないんだ。

きっと故郷で暮らしていたのなら思い出がアップデートされていくからこんな気持ちにはならない。20年近くたつのに、自分の頭の中では思い出のままなものが沢山ある。そのギャップを探しに行くのも面白いのかもしれない。


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