引き
プロウトやら、親コーチ等、まあ昔から存在していたものが認知できる形になってきている昨今ではある。
ので、馬鹿がばれる時代になっているといえばそうである。
たかだか、数十年の時間を積みかさねただけで、ダーニングクルーガーしている人が多々いる。ただ観測できる範囲をすべて網羅する人が良いのかというと、ある水準ではよいのだろうが、
ブルーオーシャン出来る人が、最も良いとは思う。
序文史上、最も曖昧な書き出しである。
一文目の話題に戻るが、誰でも誰にでもアクセス出来る世の中ではあると感じる。色んな意味で一線を越えると罪になるが。
神なら誰にでも干渉してよいのかもしれないが、所詮人間風情な僕らはいいかんせん、様々な設定を考慮してこのRPGを進める必要がある。
という中で、序文でも言った通り、誰にでも干渉出来る世の中ではある。
誰にでもという中で、節度を守る必要があると思っている側の人間である。
SNSで発信する以上、賛否どちらも兼ね備える覚悟が必要ではあるが、無秩序な発言は良くないと思う。
ある組織に属していない誰かが、ある組織の発信に突如として現れる事もあるのが、現世である。
ある組織はA地点に進むべくしていたのにも関わらず、どのような影響を与えるかは不問として、何かしらの刺激が加わるのである。そのため、A地点に進むべくしていたある組織は、そのベクトルがプラスなのか、マイナスなのかは分からないが、その組織はベクトルを再構築する必要がある。
その手間というかリソースというか、それを使わせることで消費はしているはずである。しかし消費しない刺激もある。それなら良いとは思う。
ーなぜならその発信は賛だからである。もちろん、SNSでは賛否どちらとも欲しがって良いと思うし、奇異な事にどちらも居るのである。分かりやすく言えば炎上商法であるー
話を戻すが、なぜその組織に属していないにも関わらず、また、その組織がA地点に向かうためのリソースを割いているのにベクトルの再構築にさえリソースを割かせようとするのか。
ただ再構築は常に重要である。しかしながら、時制というものがある。
こちらの界隈では良くピリオダイゼーションとして表されるが、人とのコミュニケーションから、どんな事にでもタイミングという概念は割り込んでくるはずである。
それを考慮していない刺激は是か非でいうと自分は非である。
ここからは一気に解像度を上げて記す。
1チームがSNS上で近々、大会があるのでそれに向けて頑張っています的な事を練習風景と共に発信していた。この文章だけで、欲しいのは賛である事は間違いないはずである。
その発信をシュバババと、この練習方法は良くないですねぇとシュバって来る人たちが今の日本にはいっぱいいます。
その刺激って必要なのかなあと思う自分。もしかしたらその練習方法はホントに良くない、むしろやればやるほどデメリットしかないものかもしれない。
しかしながら、組織で取り組んできたこと、という水準で見ると簡単に批判は出来たものではないと思う。そしてその水準は人として生きる中で必要な素養である信じている。
し、組織で取り組んできた、ということは時制があるということであり、次にどんな刺激を与えていくのが組織の成長≒個人の成長に最も良いのか、神よりも人間は適切なものを選べるはずではある。
ただ、その選択をする際に、色んな物が滲み出てしまうのだが。
また抽象的になってきた!
簡単に言えば、せっかく大会に向けて組織として取り組んでいることに茶々いれるなよという事である。それが如何に良い指摘であたあとしても、これから試合という中で、
様々な事象に通じるが新たなスキルというのは習得に時間がかかる。これは当たり前である。時間がかからないかもしれないが、それを判断するには情弱であるはず。
故に、その発信に否となる刺激を与えることは(否でなくても、分かりやすい賛以外は今回の場合はダメェ!)、
いかんともしがたい。
頑張ってる姿を笑っているのと同じ水準と捉えることも可能である。
刺激は適切なタイミングで適量とか、よく言うけどそんな甘いものではない。その程度の変数ではない。考慮すべき変数は認識出来るもの以外にも必ずあるはず。誤差が生じているなら。
ティーチングをしているだけの人間は指導者を名乗ってほしくないし、そもそもティーチングしか出来ないのだから、指導をしないで欲しい。
ただ、専門的な~とかは指導するのに自分は必要ないと思う。
なぜなら全て当たり前の事だから。前提となる知識があるから、とは自分は全く思わない。対象の事をよく考えれば、すべてそうなるのは当たり前だし、対象に対して自分が何をすべきかは、すべて当然の事である。
だから自分は素養であると表現する。絶対に必要ない。付随、またアップデートとしては無論の事であるが、指導をするという事に関しては、素養であると考える。
何故なら、30年も生きていない、また10年もこの界隈に属していない自分が、書籍や講習等で、やっぱりそうだよね、と感じることが非常に多いからである。だから、そうなのであると思う。
子がいるとか、何かを成したとか素養には関係ない。足りえる事は誰でも出来るはずである、この界隈は特に。
井の中の蛙、というが、その蛙によって知るタイミングは変わると思います。なので、タイミングによっては殺す事も出来る。
水準で。
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