ぱっと見1

プログラムは、まず1年スパンでの計画、競技の各シーズン毎、各シーズンの前、中、後期に分けて考えていくのが自分の常なのだが、もっと小さいスパンを考える時に、何をしようか迷う事は楽しいが、悩ましい。

そんなとき、プログラム全体を見渡したり、振り返ったり、書物に手を伸ばしたり、動画を見たりする。

そんな中で、これいいじゃん!というものに出会う事もある。それをそのまま使うかどうかは、ストップがかかる。

なぜなら、ぱっと見で自分が欲しているものに特異的で、記されている効果等も理解できるものであったとしても、そのエクササイズの魂は分からないからである。

例えば、エクササイズを行う時の動作中の各関節の角度が全く同じであっても、いつ、どのように力をいれるのか、などまでは個人内でしか想起されない。

仮に関節角度、Con/Ecc局面にかける時間、体格が全て同一であっても、力のすなわち筋力の出し方は異なるのではないだろうか。

また、筋力の出し方が同一であったとしても、それを伝える時や説明、指導する時にどう言語に表現するかは経験によると思う。

これはその極論だが、第一選択として英語圏で育てば英語で説明するだろうし、日本語圏では日本語で説明する事を選ぶだろう。

なので、そのエクササイズを行うときの様々なタイミングは自分で行わなければ分からない事も多い。

反対にそれらがある程度分かるのであれば、ぱっと見でそれを使う選択をする事もある。私は厳格な性格をしている。

って思うけどヒント欲しさに、SNSで色んなアカウントをフォローしたり、様々なシチュエーションでのトレーニング動画を見て勉強するぞ!と思って実行するのだが、これもいいな、これもいいなという思いが良く出る。

そりゃ、良く見えるのである。ただぱっと見はこれ良さげじゃねと思うのだが実のところは分からない。

ただ、そういう良さげなものを見ていると、なんだかそのエクササイズの魂を置き去りにして使う癖が付いてしまいそうなので、控える事にした。

なので、やっぱり真に適当なものを考えるには何をやろうかと思い、ネタを仕入れるのではなく、自分の頭で創造して、その環境で実施してみるのが一番良いと確信した。

この業界には、出来ないものを処方するな、やった事がないものを処方するな、などトレーニングや運動を積んでない者はけしからん、の様な風習、伝統がある。

それは何故か今まで教わった気がしないのだが、恥ずかしながら自分は今年度ほとんどトレーニングを行っていない。

そのため、体重は12kg減少した。減少したほとんどが除脂肪体重であると確信している。

全くではないものの、デモをするときのトレーニングが関の山である。

しかしながら、過去の積み重ねを切り崩しながらというか、それで遂行出来てしまっていたと思う。デモが、トレーニングが、ではなく、運動指導が。

それは、分かる(つもり)からである。

それをした時に、身体にどんな刺激が加えられるのか、どんな反応が起こり今後どう変化するのか、どんな感情が起こるのか等が分かるからである。

そしてそれが貯金であった。今後もアップデートしていき、より洗練していくのだが、最近デモですらキツく、自信がなくなってきたので、ちゃんとやろうと思う。

さらに、ふとボディメイク系の先輩を目にした時に、やっぱりああいう人に指導してもらった方が、良い感情が湧くのでは?と、超初心を思い出したので、ちゃんとやる。

めちゃくちゃ面倒くさいけどね。可逆性って一番いらないと思う。

まあ。こうなったのでトレーニングに対するマインドセットも変えなくてはいけないと思う。

めちゃくちゃ面倒くさいけどね、と念押しで自分への負荷を上げてみる。

めちゃくちゃ浅いな。

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