柔難Say!

ちょっと今日は調子が良いのかもしれない。

なぜならば、先程からダークな笑いがこみあげてきて止まらないからである。

ダークというのは客観的だが、自分自身は純粋に面白いと思って、我慢している。

あるカテゴリーにおいては、よく知らない訳では無いが、そのカテゴリーでは知っているという先輩のとあるSNSでの投稿を見て、その感情は起きた。

よくある、○骨を柔らかくするストレッチ、という字面である。

僕は大学1年の時から、嘘乙と思っていたクチではある。まあ、そのストレッチを見て言わんとしている事は分からなくはないのだが、、

○骨にあてはまるのって何があるかなあと思い、ググってみた。

背骨と肩甲骨しか思いつかなかった。

分かっていないけど、単純に出た数字だけ示す。

肩甲骨を柔らかくする:約818000件

背骨を柔らかくする:約1700000件

かたや、

椎間関節を柔らかくする:約71900件

肩甲胸郭関節を柔らかくする:約69200件

だった。単語を入れただけだけど、、、

そもそも、僕は揚げ足をとっている訳は無くて、本当にそうなの?という視点である事を声を大にしたい!(それを揚げ足というのでは?

純粋なのである、故に邪悪なのであるー、

まず、肩甲骨を柔らかくするというのは分からない。

柔軟性であればまだ分かる、周辺組織の伸縮性や伸張と短縮が協調された上での、骨の移動量が増える事を肩甲骨の柔軟性というのであれば。

可動域、可動性をであれば、分かる気がする。

別にそういう意図はないのだが、最後に示す事になった肩甲胸郭関節の可動性をであれば、僕は良く分かる気がしている。

他の骨でも同様の傾向があると考えている、けど背骨と肩甲骨ではまた関節構造が異なるので、恐らく異なる表現を使った方が良くなるだろうと思っている。

少し話を戻して、○骨を柔らかくする、っていうのは無理でしょww

もちろん、それを言ってる人達が骨自体を柔らかくしようと思っていない事は、いちいち書くまでもないけど、、

例のごとく、柔らかいとググってコトバンク、Pixiv等を見てみた。

総評すると柔らかいという言葉は、主観的な感情を伴う感覚を表現した日本語である気がした。

柔軟性はそれを、っぽくした言い方という穿った見方をどちらかというと持っているタイプである。

肩甲骨が柔らかく動いている、なら分かる。まあ、主観だし。

ただ、肩甲骨を柔らかくする、というのは肩甲骨自体を柔らかくするという表現である事は間違いない。

汲めよ!とうのも分かるが、まず字面が間違っている事を認めた方が良い気がすると強く思う。

「骨」自体の構造にも言及してみようと思ったが、それは自分には出来ないのでやめておこうと思う。

これは、自分が分かっていない事をしっかり線引き出来ている人ですとアピールするテクニックである。

こういった批判的なモノを述べる時は自分サイドはそういう雰囲気である事が好まれるよね。という事も言ってしまいたい人タイプである。

純粋な考えとしては、柔らかい骨って弱そうである。

その表現を、自分が係っていない領域で人の身体・運動等に関わる人たちがするのはまだいい、まだ。

なぜなら、それを学ぶ過程を僕は知らないからである。

だから、くたばれという感情で終わるのだが、同業の人達は同じ事を学んできていると思うので、その表現をしているのを見ると笑ってしまうようになった。

専門家を謳う人がその表現をするのであるから、自分と違う表現を見せるのも(Int)、ダメでしょw(f)という感情もあって面白い。

教育的指導wでしょ。

確かに、段階的に伝える必要もある学ぶ過程において正確無比な情報を伝える事の難しさは分かる気がするが、骨は柔らかくならn、なるのか?

そうなのである。そういった言ってしまえばトンでもを見た時に、自分も全てを理解していない可能性もあるので、自分が知らない情報があるのではないか!?

という気持ちが湧くと悔しいに変わるし、本当にそうかをどんな形であれ確かめようとする姿勢が、好ましい。

日本語というのは難しいので、ある事象にどんな名称をつけてしまうかは結構シビアに考えている。言葉にすると、それに決めつけられると言っても過言ではない。

そういう意味でも沈黙は金であるし、そういう意味だと狡さも、ちと感じる。

そういう事が常に頭にちらつくから僕の記事は毎回ふらふらしているのである。

怖いしだるいからね。

端的に言えば、骨を柔らかくするというのは、僕みたいな人間に引っ掛かりやすいし、

肩甲骨を柔らかくするというと、肩甲胸郭関節の運動に誤った認識を及ぼす可能性がある。

なぜなら肩甲骨の運動は肩甲胸郭関節という、分類でいえば機能的関節などという、解剖学的関節に見られる関節面を有していないとされる。

そのため恐らくではあるが、「肩甲胸郭関節における肩甲骨の3次元的な移動量を増加させる事によって、肩甲骨が柔らかく動いているよう、に見える/な感覚を得る」を達成するためには、肩甲胸郭関節を柔らかくする事が必要であるw←使い勝手が良いw

あ、言ってなかったけども、関節を柔らかくするというのは、関節を構成する要素が柔らかいという表現はなんとなく理解出来るのでまだ分かる。

肩甲胸郭関節における肩甲骨の可動性が向上すれば、運動において柔らかさは得やすくなると思うのだが、肩甲骨は肩甲胸郭関節の構成要素であるため、主語に置くのは間違いであるとも言える。

さらに言えば、柔らかさ、というのが運動なのであれば、その動作におけるリズムなどの要素も考える必要がある。一方がある方向への短縮を示すのであれば、対側はその方向への伸張を要される。それが出来ないのであれば、である。

無論、物理的な柔らかさなのであれば、勉強不足なのだが。

専門家はある人から見れば専門家かもしれないし、そうじゃないこともある。

近い人たちがそれに手を出すのって、様々あるからだけど、憎悪、悲しみは湧くけど、哀れみだけは制御しないといけない。悲しみもどうかと思うけど。

嫉妬が湧かないのは自信があるからなのだろうと、適当に言う。

でももう誰も言わないで欲しい。笑ってしまうから、というのもやばい。

なので、面白いからやめて欲しい。

まあ、(嘲)笑っている自分ってどうなんだという目を持った上での言語化なのは、なお言うまでもない。

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