いらいらしていた理由

運動指導は、何をやるか(やらせるか)も非常に大事なのだがそれを生む過程の方が大事な時もある。

おそらくは、エクササイズを処方するまでの過程には、

知る・創造する→想像する→照らし合わせる→処方 orボツ

みたいな過程があると思われるのだが、

俗に言う方法論を何を選択するのかという幅がどれだけ広いかも重要だなあと思う。

まあ、その過程を踏むのには別の過程を踏んで得るものが前提としてあるような気もするが。

だけど大事なのは、何を選択するかの段階に居る時にどこまで右往左往出来るかだと思う。

エクササイズの種類というのは有限であるようで、無限にも思える数が存在すると考える。

処方出来るエクササイズの数は大いに越した事は無いのだが、それぞれの相関図がはっきりしていればより良いと思われる。

処方出来るエクササイズの数と処方するエクササイズの数が異なるのは無論だが、それはOTS(Over training syndrome)を防ぐことにもなるのではないだろうかと思う。

というのは自分もそう思うのだが今の所自分の中では机上の空論感があるし、OTS関連の論文を漁ったことはまだ無いので漁ってみようとは思う。

話を逸らしたが右往左往させるのは、自分が処方するエクササイズ≒しようと思っているエクササイズ(これはほとんど自分の頭に浮かぶものに限られる、というか当たり前だが)と、

相手の目的・環境と合致するかどうかを右往左往させる事が必ず必要だと考える。

それをする際に、持ち合わせているエクササイズ(すぐに頭に浮かぶエクササイズ)≒少し考えると想像出来るエクササイズの数が少なければ、右往左往の回数が少なくなり、

より合致しないエクササイズを処方する可能性が高くなるような気がする。

右往左往の一方しか述べていないが、相手の目的・環境がどのようなものかを明確にする、多角的に、Ⅽ%把握する事も必要なのである。

だからこそ、学び、相反する事象を想像し、理解しようと努める事が必要なのである。ひいては、理解する事が。

そういった意味で右往左往する事、なのである。それが適当という事である。

ただ右往左往の回数は、持ち合わせるエクササイズの数と比例しない感も否めない、というかそうであると思っている。

ではその右往左往の数と何が関連が強いのかと言えば、知る・創造するというプロセスなのでは、と思う。

環境A(某Aと言っても良い)に対してエクササイズAを処方する時に、そのエクササイズAが環境Aに対して適切であるかを判断するのにはどれだけ正確な、知る・創造するプロセスを経たかによるのではないかと思う。

右往左往するのは、右往左往する理由があるからである。

フィルターと言っても良いのだが、それであればある環境に対してこの基準をクリアするのが必要、という流れになると思う。

ただ、捨て去りたくは無いのである。

勿論タイミングによって、網目の大きさというか基準を変更出来るフィルターなら良いのだが、

フィルターという考え方がしっくりる来るのは、手持ちのエクササイズの特性を把握している場合に有効であろうと思う。

多分どこかの水準ではこのような考え方が適当になる場面もあるような気もするが、

右往左往という表現の方が、エクササイズの特性と環境の2つを見て判断してる感があって好きだ。

と書いていて思ったが、自分はというか一般的かもしれないが、

まずフィルターをかけてその後、右往左往している事に気づいた。

つくづく、意味の無い言語化をするのが得意なようである。

気づいたから、ここで終わろう、と思ったのだがタイトルを見て主題はまだだと気づいた。

その上記の長ったらしく書いた簡単なプロセスを経て、処方するエクササイズは金の匂いがするものである。

だからこそ上記な簡単なプロセスが欠落しているのを見ると、または

俗に言う簡単なプロセスを得て濾し出された方法論を聞いてくる様な人間はいらいらするのだと気づいた。

というか、それを判断するのは自分なので、方法論のみを聞いているなあと勘づくのは限りなく主観なので迷惑極まりないが、

長年の勘である。または右往左往する奴の末路である。

前にも書いているし、何回も言っているのだが、上記しているつもりなのだが、心→技→体である。

理由は分からないけど、多分、心技体なのだろうと思う、全てにおいて。

今、七つの会議という本を読んでいるのだが詳しくは述べないが今は、コスト・効率よりは品質を大事にするねじ六が時代の波に呑まれてしまいそうになるところである。

その中でさも品質がコスト・効率を凌駕するようなシーンがあるが、まあ今回の話にもそのような流れはあるのだなあと思う。

ただ、塩梅であるとも思うが。

何にしても一辺倒にはならないように気を付ける、事にも一辺倒にならないように気を付ける事にも一辺倒にならないように気を付ける事にも一辺倒にならないように気を付けるのである。

まあ何にしても、バレない様に疑うのは損しない。



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