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新しい町ができる、ということ

「町ができる 町ができる 新しい町ができる 傷つき息絶えた大地の上に」

大ファンのT字路’sタエちゃんの歌で知った、カンザスシティバンドのこの歌詞は、世界中のあちこちで酷いことになっている、いろいろな風景を頭によぎらせる、いつ聞いてもおなかになにか火がつくような歌詞です。もうちょっと続けます。
「東から来た男が 土を耕し 南から来た女が 苗を植える 西から来た男が 火を熾し 北から来た女が 飯を炊く
やがて川には 橋が架かり やがて家が建ち 道ができ やがてこの町で 初めての 新しい命が 生まれる」

コロナの前、ミャンマーのビジネススクールで、マーケティングを教える仕事をしたことがあります。今、この国もとても悲しい出来事が起きていますが、僕が訪れたのはそのもっと前。スー・チーさんが開放され、まさに「新しい町ができる」の真っ只中でした。

一回目に渡航したときに、町中にあふれていた車はまさに昭和。神奈川中央交通のバスや、トヨタコロナED、ナショナル電気のマークの入った軽トラックが我先にと交差点にとびこんでいる風景でした。町には東から来た男と南から来た女、あちこちから仕事を求めて、インド系、中華系、山岳民族の衣装も交じり、ちびっ子が駆け回っている、そんな風景でした。

半年後、もう一度同じ地を訪れました。こんどはホンダのフィットやプリウスが結構走っていました。無法地帯だった交差点には信号ができ、前回来たときには骨組しかなかったガイコツビルは、美しいショーウィンドウを備えた高層ビルになっていました。すごいスピードで「町ができる」が起きていました。そして、やはりちびっ子は駆け回っていました。

印象的だったのは、そのボロボロのランニングシャツを着た子供たちの笑顔と、お母さんの寡黙な目でした。今日、新しい信号ができた。昨日なかったビルが建った。今日、マクドナルドが初めてできた。今日、コカコーラの広告を見た。町ができる。新しい町ができる。これは、昨日より明日、明日より明後日に、必ず前よりも良いことが起きることを確信させるということで、これを「未来」と呼ぶのだと、あらためて思いました。

そして、未来が見えるとき、人は子を生み、未来に向けて親は寡黙に働く。子はその親の元で屈託なく笑う。貧しく、ひもじくても、それは刻々と過去になっていくから。

子供が減るということは、経済の問題、社会や所得の問題、色々あると思いますが、結局人々が未来への投資価値を見いだせない、ということなのではないかと思います。貧しくても、未来がある国では子供が生まれています。多産せよとはまったく思いませんが、未来が見えないのは大人の責任、僕らの怠慢だと思います。なにがなんでも新しい未来をつくらなければまずいな、と思った旅でした。

また、あの町のチビッ子たちに、あの屈託ない笑顔が戻る日が来ることを信じて、あの国の男たち、女たちは戦っているのだと思います。

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