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【がちゃ式:引き寄せの成功率を上げる習慣③】「願いは叶えるためにある」という前提に立つ

少し更新に間が空いてしまったが、いかがお過ごしだろうか。
私は相変わらず仕事、そしてゲームと畑仕事と釣りの日々を過ごしている。

こうやって日常を過ごしているだけで、願いというものはどんどん沸いて来るから不思議だ。
「無欲」を是とする宗教や「清貧」という言葉があるように、「欲(=贅沢)は悪」という風潮があるが、私は程々の欲は人生を彩るために必要なスパイスであるように思う。
恋愛であれ物欲であれ、なんら否定的になることはない。
(とはいえ、過剰な欲は人生を破綻させてしまうので注意が必要だ)

今日はそんな「願望」に対するスタンスについて書いて見ようと思う。

*願望のない人生なんて
冒頭に書いたように「願望を持つことは人生に彩りを与える」と私が考えるようになったのは、私の過去の生活環境に起因する。

私は願望の叶えられない環境で育った。
「願望を聞き入れてもらえない環境」と言った方が正確かもしれない。
母親が私の「お願い」を全く聞き入れなかったのだ。
そのくせ弟の「お願い」は良く叶えられた。(同じ願いでも、私はダメだった)
そんな環境で育ったものだから、「願いは叶わないから希望を持っても無駄、自分で叶えるしかない」と考えて小中高時代を生きた。
欲しいものは自分の手持ちの範囲内で自分で買った。
通学定期等の必要経費は請求したが、それも節約するために自転車で乗りきったりもした。
やりたいことで親の承諾がいるものは、まず実行して全て事後報告した。
(通信機器の契約も勝手にやった 普通なら何か言われそうなものだが何もなかった 月額使用料を自分で払っていたからかもしれない)
「どうやって生きるか」ばかり考えていたおかげで自立心は旺盛になったが、反動で警戒心が強くあまり他人に期待しないようになってしまった。

このように「自分以外に期待しない」状態は、「願望を持たない」状態でみある。

「願う」は「自分以外に希望を叶えてもらう」ことを示す言葉である。
自分で実行することに対して、「お願い」という表現は使わず、「予定を実行する」「夢を叶える」など、自発的なアクションを連想させる言葉を使うことを考えればご理解いただけるかと思う。

願いがない人生は、自分の能力の範疇の出来事しか起こりえない。
希望は自分で叶えるしかないからだ。
だから、自分を向上させることに必死になる。余裕がなくなり、人生を楽しめなくなる。
私の思春期はそうして過ぎていった。もったいないことをしたと思うが、当時は生きることに必死でなんとも思わなかったのだ。
(ネグレクトとかではないので逆にどうしようもなかった)

恐らく、同じように「余裕のない育ち方」をした方は大勢いるはずである。
幸いなことに、私はゲームや本の影響で大好きだった「魔法の世界」を実現させる可能性のある「引き寄せ」や「潜在意識」に出会ったことで、うまくその状況から抜け出すことができた。
もうそちら側に戻ることはない。

願望のない人生の無味乾燥さはわかっているつもりである。
だからこそ、冒頭に書いたような願望や欲を全否定するような風潮には、断固として反対したいのだ。


願いは叶えるためにある

ずいぶん長くなってしまったが、今からが本題である。

願望は人生を彩るスパイスであるが、実現させなければ苦しいだけだ。
そう思うからこそ、あなたは「引き寄せ」を実現させたいと考え、私の文章を読んでいるのだろう。
(そういうアクションの積み重ねこそ、望む現実に近づく一歩である ネット上では蠱惑的な言葉を見ることも多いが、流されずに続けて欲しいと思う)

本稿で何よりも主張したいのは、「願望とは『叶えるためにある」』存在である」ということである。
叶えることで、何かの感情や体験を味わうためにある。
決してあなたに苦しい思いをさせるものではない。願望は敵ではないのだ。

このシリーズは「引き寄せの実現率向上」がテーマであるが、実験等のアクションではなく、考え方を伝えることを重視して書いている。
これは、その全ての大前提となる考え方だ。

留意したいのは、願いは「叶えるもの」で「叶う」ものではないということだ。
こんな風に書くと混乱を招くかもしれないが、願いを現実化させるためには、そういう「流れ」を作ることが必要だという意味である。
その「流れ」を作るのが「引き寄せ」という方法なのだ。

「どんなに願っても叶わない」という方もおられるだろう。
特に、唯一無二の存在である「他者」との関係に関する願い(例えば恋愛など)で、その傾向は顕著かもしれない。
これは、他者が自分と同じように「エネルギーを動かせる存在」だからだと、私は考えている。

引き寄せ界隈では「世界=自分」→「他者も自分の投影」という考え方が主流であるが、私は違うように思う。それでは筋が通らないことが多すぎる。
恐らく、他者はあくまで「他者」であり、「意思を持った存在」なのだ。
エネルギー的に固有の世界を持った存在が物理の世界で共存している、私は世界の構造をそう解釈している。
だからこそ、人間関係の願いは成功率が低いのだと考えると、色々と辻褄が合うのである。
(この話は別途書こうと思う)

長くなってきたのでそろそろ話を締めよう。
まずは「願いは『叶えるもの』」だという前提に立つことを目指して欲しい。
叶わないことに慣れてしまうのは本当によろしくない。
昔の私のように、叶わないことが当たり前になってしまう。

まずは、自分で叶えられる願いはサクッと叶えてしまおう。
一見前項の主張と相反するようだが、前項は「自分で叶えるしかない」という追い込まれた状況下であるのに対し、今伝えたいのは「時短のために叶えてしまう」という方法論的な意味合いを持つ。
人生は有限だ。叶うのが早いに越したことはない。
物理的に叶えることが可能なことは、叶えてしまえばいいのだ。
(ただし再三言っているように、他人に危害を与える選択、心身・経済面に破滅的なダメージを与える選択はしてはいけない)

引き寄せがうまく行かない方は、「願いは『(自力・他力問わず)叶えるもの』」という前提に立つよう、日々の選択をしてみよう。
あまり自覚がないかもしれないが、願望は日常的に発生している。
大きな(=叶うまでに時間がかかりそうな)願望ばかりフォーカスしがちだが、小さな願いは無限とも言えるくらいに湧き出しているはずである。その小さな願いをどんどん叶えていこう。

読んでいただいてありがとうございました! コーヒーのおごりはいつでも大歓迎です これからも引き寄せ難民にならないための記事を書いていきますので、引き続きご愛読の程よろしくお願いいたします!