留年バックパッカー01

朝、がらんどうの部屋で目が覚めた。

夢と現実の焦点を合わせられないまま、孤独による不安だけが確かな形を帯びていく。それに抗うように身体を起こすと、背中がカチリと鳴った。そこで現実に焦点が合った。とたんに、さっきまで確かにあったはずの夢は消失する。目覚めはいつだってONとOFF。カチリとすべてが入れ替わる。

―削除シマス―

そして、夢は二度と戻らない。あらためて辺りを見回すと、部屋の片隅に見慣れぬバックパックが所在無さげに佇んでいる。小学校の入学式の前日に見た、壁に掛かったランドセルみたいだ。無垢なほどの真新しさと、何度も入れ替えたせいで、何を入れたかすら分からない中身。どこか自分のものではないような気がしてくる。実感が湧かないのだ。カチリ。今度は首が痛んだ。睡眠時間が短いと、眠った分だけ疲れてしまう気がして、いつも少しだけ後悔する。

昨晩の引越し作業は、深夜4時までかかった。先輩に車を出してもらい、荷物を預かってもらう友人宅へ。クローゼットに忘れ物があったり、テレビを捨て損なったりと、いつもギリギリにならないと事が運ばない僕の引越しは慌ただしいものになった。そして疲れ果てた僕は、何もなくなった部屋の硬い床に溶けるように眠りに落ちてしまったのだ。それでも、きょう、僕はこの部屋を出る。そして、六ヶ月のユーラシア大陸横断の旅へ出る。時計は午前七時を回ったところだった。

三年間暮らした横浜の小さなアパートを引き払い、最後に実家へ電話をかける。出たのは母。「生きて帰って来なさいよ。」と念を押してくる。大げさだな、とは思わなかった。“あんたの好きにすればいい”と、いつも僕を信じてくれる母。自分が自分を心配するその何倍も、僕を心配してくれていることが伝わってくる。「お父さんに代わるね」心臓の鼓動が速まる。父には、僕が本当に旅に出ることも、それが今日であることも知らせていなかったからだ。

「……勝手だな」

父にそう言われてはじめて、心のどこかで励ましの言葉を期待していた自分に気付く。父を納得させられず、喧嘩別れしたままだったくせに。僕はひと通り罵られることを覚悟して、携帯電話を握りなおした。

「気をつけて行って来い」

次に聞こえたのは、そんな声だった。本当は分かっていた。父はただ旅に反対していたわけではない。就職活動を辞めて、大学を留年してまで行く旅に、何の価値があるのか。社会が納得する理由はあるのか。その意志を確認したくて反対していたのだと思う。僕はまだうまく言葉にできなかった。「でも、後悔だけはしたくないんだ」感謝の言葉とともに、父にそう告げて電話を切った。

アパートの鍵を大家さんに渡して、バックパックを背負う。小学生を背負ってるんじゃないかと思える重さと大きさが、どうもしっくりこない。こんなものを背負って世界を渡り歩く、なんてことが未だに信じられないでいた。まずは近所のバイト先輩の家まで歩いていく。空港まで車で見送ってくれることになっていたからだ。駅の向かい側までの歩きなれた道だったが、自分の存在が妙に浮いて感じられる。ゴツゴツしたトレッキングシューズに、ポケットのたくさんついたショートパンツ、そして真っ黄色でブカブカのTシャツと麦わら帽子に、バカみたいに大きなバックパック。そのどれもが、自分にとって真新しく、不似合いで、それゆえ滑稽に思えて、どうしようもなく不安になった。ともあれ、もう帰れる家もない。僕はたった今、旅に出たのだ。

先輩の家に着くと、たくさんのバイト仲間が集まってくれていた。

「平日なのに、バイトは大丈夫なんですか?」

「バーカ、おめぇのために休んだんだよ」

「……(違う、こんなことが聞きたかったわけじゃないのに)」

僕の性格にはこういうところがある。僕はカフェでアルバイトをしていた二年間、誰にも自分をさらけ出せないでいた。同い年のバイト仲間にも敬語を使い続けたぐらいだから、よっぽどだ。「なんとかしたい」という思いは僕にもあったし、そんな僕に「一緒に遊びにいこうぜ」と誘ってくれる優しい先輩たちに恵まれた。それでも、自分のことは話せないままだった。僕だって、話したい話ぐらいはあるし、趣味だってある。それに、いくつかのコミュニティーではうまくやっている。でも、彼らの前に立つと、急に水が競り上がってきて息ができなくなったみたいに、何も言葉が出てこなくなるのだ。

僕がこんなふうになってしまうのは、このアルバイト先だけではない。たとえば就職活動。どの会社へ行っても自分のことが話せなかった。就活は大学四年生の五月まで続けたが、何かの足かせを背負っているような自分が嫌になった。もちろん、それだけが理由ではないのだけど、その六月、留年して旅に出ることに決めた。原因に心当たりがないわけではない。初対面の場合、僕はまず相手の大きさを測りすぎる。メジャーを持って、それはもう慎重に、正確に。まるで新しい家の家具を選ぶみたいに。相手が自分より大きいと判断した際には、ひたすら相手に合わせようとしてしまう。それはカメレオンのような器用なものではなく、透明人間のように自分を消してしまうタイプのものなのだ。たとえば、反応が怖くて発言をおそれたり、場の雰囲気を壊すまいとウソをついたり。そのうち、小さなウソはすくすくと育っていき、ますます身動きが取れなくなる。何度もそんな自分に抗おうとしたけれど、無意識的にそうなってしまうんだ。

そんな僕でもバイト仲間は壮行会を開いてくれたし、見送りまでしてくれる。素直にすごくありがたい。でも、心のどこかで「なんて広くて窮屈な車なんだ」と感じてしまう自分もいた。自分が主役であるという、慣れないシチュエーションに混乱していたのだと思う。空港に向かう車の中では、飛び交う会話にひたすらあいづちを打つ。これじゃロボットみたいだ。そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。僕は自信が欲しかったのかもしれない。いろんな人に出会って、ぶつかって、自分をさらけだして、誰が相手でも自分らしくいられると言える自信が。とにかく僕は旅に出る。それだけで何かが変わるって信じてたんだ。

僕たちを乗せた車は成田に着いた。さっそく荷物を降ろそうと思ったけれど、トランクに入れたバックパックが見当たらない。と思ったら、先輩たちが背負ってくれていた。

「重たいですし、僕が持ちます」

「いーんだよ。オメーはこれからずっとこれを背負うんだから、今のうちに休んどけって。」

どうしてこんなに優しい先輩たちなのに、僕は心を開けないんだろう。自分がほんとうに嫌になる。その後も、何度か自分で背負おうとしたけれど、さりげなく荷物を持ってくれる先輩に甘えるばかり。ゲートインまで時間があったので、空港のテラスでくつろいでいると、写真を六枚も撮っている自分がいた。「しまった!」と思った。僕にはデジカメを買うお金がなかったので、四十枚撮りのインスタントカメラを三台用意していた。つまり、六ヶ月の旅だと、一日に一枚も撮れない計算になる。それなのにもう六枚も。きっとみんなの顔を頭に焼きつけておきたかったんだと思う。

最後に一枚、集合写真を撮りたいと思った僕は、焦って辺りを見渡した。こういうとき、僕はパッと声をかけられない。人見知りしすぎるんだ。「ここは先輩の手前だし、手早く頼まないと」周りを探してみると、柵に一人寄りかかるようにして、今まさに飛び立った飛行機をぼんやり眺める女性の後ろ姿に気がついた。

「すいません、、、」と声をかけたとき、振り返った彼女を見て驚いた。

彼女は泣いていたからだ。

声をかけた手前、後にも引けない僕はカメラを押し付けてしまった。彼女は涙を拭いながら、僕のインスタントカメラを受け取ってくれた。ぬるりとした居心地の悪さの後、シャッターが降りる。僕たちは、訃報を告げたあと次のニュースを読み上げるキャスターのような笑顔を並べていたと思う。お礼を言うと、彼女は顔を赤く腫らしたまま、笑顔を見せてくれた。そのときの彼女はどうしようもなくきれいで、写真を撮られるのは、むしろ彼女であるべきだったと、余計なことを考えた。

先輩たちから「バカ」と小さく叩かれながら、その場をあとにする。そして、ご飯をごちそうになり、手紙と餞別の封筒を受けとった。中には千円札が十枚入っていた。

「旅で本当に困ったときに使ってくれ。一万円札より両替しやすいかと思って千円札にしといたから」

これはただの千円じゃない。漱石のかわりに先輩たち一人一人の顔が刻まれた大切な千円桜だ。ひとりぼっちで成田を出発していたら、どれだけ寂しかっただろう。僕のために見送りに来てくれたことが、本当に嬉しくて、今さらながら身にしみた。感謝の気持ちがあふれて、こぼれてきて、「ありがとう」が止まらなかった。

「行ってきます」

手を振りながら空港のゲートをくぐる。その先のエスカレーターを下りながら最後に再び振り返る。すると、先輩たちが泣いているのが見えた。僕のために泣いてくれる人がいる。それがどれだけ幸せなことか。僕はこみ上げる涙をこらえて、もう一度、笑顔で手を振った。シンガポール行きの飛行機が離陸する。最後に浮かんできたのは、先輩の涙と、これまでこらえてきた僕自身の涙だった。

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旅人に転職したコピーライター。「未知の細道」「Wanderlust」など連載多数。「手ぶらでインド」「スゴイ!が日常!小笠原」など、旅を通して見つけたモノゴトを発信中。