留年バックパッカー05

ペナン島へ行くことにした。

いまだ旅らしい旅ができてない。そんな夜に「異邦人」を読んで「太陽のせい」にしたくなったわけではない。東洋の真珠と呼ばれ、古くから東西貿易の拠点であったペナン島。そのビーチはマレーシア随一の観光地だという。赤シャツに行き方を聞いてみると、クアラルンプールから長距離バスが絶え間なく発車しているとのことだったので、その足でバス停に向かうことにした。

バスに揺られること5時間。マレー半島とペナン島を結ぶ12キロの長い橋を渡る。直後に降ろされたのは、高速道路の真ん中みたいに何もない場所だった。付近にはタクシーとその運転手がたむろしていて、結託して交通費を稼ごうとしているとしか思えない。それでも、共にバスに乗って来た人たちは文句も言わずにタクシーに乗り換えて行ったので、これがこの国のシステムなのだろう。僕の目指す「バトゥ・フェリンギ」というビーチまでどれくらいの距離があるのか分からないが、運転手に運賃を聞いてまわったところ、最安値で25RM(750円)だった。ここまでの長距離バスとそう変わらない値段だ。ちょっと駆け引きしてみることにする。

「僕は歩いていくよ」そう言い残してスタスタと歩き去ってみた。「ちょっと待った、わかった、15RMでいいよ」というような呼びかけを見越しての演技だったわけだが、誰一人として追いかけてこない。「勝手にしろ」というような具合である。「ちょっと待った、わかった、25RMでいいよ」と僕が言うのも癪すぎる。歩くしかないのか……と途方に暮れかけたところに、後ろからタクシーに乗ったヒゲジィが追いかけてきた。

「24RMでどうだ?」

1RMしか安くなっていないが、背に腹は代えられない。背にバックパックは耐えられない。タクシーに乗ってみることにする。走り出すと同時に「観光か?」と聞かれたので「これから半年間、ユーラシア大陸を旅するつもりなんだ」と話してみると、思いのほか打ち解けることができた。ヒゲジィはペナンの観光名所を案内してくれただけでなく、地図まで手渡してくれたのだ。そうか、外国を怖がるばかりに自分が心を閉ざしているから、旅らしい旅ができないのかもしれない。このとき僕はまだ形のない感触を掴んだ気がした。

「このまま直帰したいんだけど会社に寄って行っていいか?」とヒゲジィが尋ねてきた。急ぐ旅でもないので快諾すると、途中、オフィスに寄って給料らしき封筒を受け取って帰ってきた。そして今度は、「孫の小学校が終わる時間なので、迎えに行ってやってもいいか?」と聞いてきた。いつになったら目的地に着くんだ、という気持ちもあったが、これも受け入れてみることにした。

小学校の前でお孫さんの帰りを待つ間に、なぜタクシーの運転手になったのかを聞いてみる。「俺はこの島のホテル街で育ったんだ。だから自然とホテルマンに憧れてね。35年ぐらいホテルで働いたかな。タクシーの運転手になったのは定年した後。俺が大好きなペナンを多くの人に見せてやりたいと思ってね。だから英語も勉強してるんだ」と言ってダッシュボードから使い込まれた辞書を取り出した。

ニコニコと裏表のない笑顔で話すヒゲジィを見て、「幸せそうだね」と独り言のようにつぶやくと、即答で「イエス」と返ってきた。その迷いのなさに驚いていると、彼は続けた。「日本はadvancedだろう? クアラルンプールにも行ったことがあるが、彼らもhurry upすぎる。ペナンはnot hurry up。それがいいんだ。最先端の物なんて不必要な物ばかりだし、それを買うために働き詰めになるのが幸せとは思えない。ペナンなら自分の働きたいときに働けばいい。それに、孫だって迎えに行ってやれるしね」

まだ社会人経験のない僕だったが、当たり前と思っていた価値観がぐにゃりと揺れる思いがした。先進国と言われる日本では「トップを目指せ」「今までにない物を創造しろ」と、皆が気をはやらせている。でも、先進であり続けることになんの意味がある? そんなに焦って働いて、ときには家族を犠牲にしてまで働いて。だいたい、洗濯機や冷蔵庫などの家電製品はもちろん、耕作機による効率のいい農業によってスーパーで安く買えるようになった食材、これらがラクにしてくれたはずの「働く時間」はどこに消えたのだろう。物が進化しても、暮らしがラクにならなければ意味がない。孫も迎えに行けないほど忙しい日本人が多いとしたら、彼らは何のために働いているのだろう。

そんなことを考えているうちに、チャイムが鳴って子供たちが一斉に飛び出してきた。ヒゲジィが車を降りて迎えに出ると、すぐに小学2年生ぐらいの男の子の手を取って戻ってきた。もともとよく笑うヒゲジィではあったが、さらに目皺が増えたように思う。「ほら挨拶をしなさい」ヒゲジィが促すが、男の子はモジモジと下を向いている。子どもはどこの国も同じだなぁと思いつつ、僕から自己紹介をする。すると小さな声で「マイネーム イズ ショーン」と名乗ってくれた。「この子は医者になりたいんだ」と嬉しそうに話すヒゲジィ。

男の子を助手席に座らせ、「バトゥ・フェリンギ」へと向かう。タクシーの中で、日本から持ってきた和紙で折り鶴をつくってショーン君にプレゼントすると、「ヒューン!ガシャン!ブーン!」と鶴を持った右手を振り回し始めた。明らかに飛行機と勘違いしていたが、気に入ってくれたみたいだ。ゆるりとした会話しながらのタクシーで海岸線を走っていくと、あっという間に宿に着いた。ヒゲジィは「ここのオーナーはいい奴だから安心しな。お代はこの紙の飛行機ってことにしとくよ」と漫画みたいなセリフを言って去っていった。淡々と書いてしまったが、僕は興奮していた。旅らしい旅がはじめてできた気がしたからだ。

さて、念願のビーチリゾートと来たものだが退屈に逆戻り。理由は一人ぼっちだからだ。海で泳ぎはじめても貴重品が気になってすぐに戻ってきてしまうし、ビーチに寝転がっていても3分もしないうちに飽きてしまう。ディナーにしたって、西洋人家族が賑やかに食卓を囲んでいるのを横目に見ながら一人用のフライドライスを頬張っていると味がしなくなってくる。そして、大きなダブルベッドを独占して眠りについても、目覚めると小さく丸くなっていた。結婚するとたくさんの何かを失うと聞くが、独身貴族を謳歌していてもまた同じぐらいの何かを失うのだろう。年をとったときに、お金があって、好きなことができて、おいしいものが食べられたとして、何になるのか。それが、今みたいな孤独感だったら怖いなと思うのだった。

翌朝、同じペナン島の州都ジョージタウンへ移動することにした。ローカルバスを使ったのだが、なかなか辿り着かない。周りの乗客に、まだかまだかと確認しても、「まだだ」と首を振られるばかり。その人たちがバスを降りていくのを見送っていると、地球最後の一人になるまで取り残されそうな気がしてくる。

3つ先の座席に上品な身なりのおばあさんが座っていた。おばあさんというには背筋もピンと伸びているので失礼かもしれないと思っていると、携帯電話に着信があったらしく、なんと日本語で話し始めた。耳を澄ましていると、ペナン島に住んでいるおばあさんの家に誰かが遊びに来るようだ。ペナン島は、政府主導で長期滞在者の優遇措置がとられており、日本の定年退職者が「第二の人生」として、楽園での余生を楽しんでいると聞いたことがある。おばあさんもその一人なのかもしれない。話しかける勇気が出せなくて尻込みしていると、後ろに座っていたマレー人に「降りろ、着いたぞ」と肩を叩かれた。

バスを降りると、ダウンタウン独特の猥雑さの渦中にいた。まるでパラシュートで降下したみたいな変わりようだった。まずは宿を探さなきゃと地図を広げていると、くたびれたおっさんが近寄って来て、「ホテルまで案内してやる」と言ってきた。客引きには見えなかったので、ありがたくご教授いただくと、「この無料バスに乗ればいい」と言ってくる。そして、バスの後部座席に押し込まれた。どういうカラクリか分からないが、バスが無料であることは確かなようだ。

ただ、やけに距離を詰めて隣に座ってきたおっさんが、やたらと体をすり寄せてくるのが気にかかる。あれこれと世話を焼いてくれるのは助かるが、しまいには僕の腕を撫ではじめたので、おそるおそる「なぜ僕にそんなに優しいの?」 と聞いてみる。すると、体をよじらせてモジモジしはじめた。目にはうっすら涙まで浮かべて。そしてこう言った。「ビコーズ アイ ラブ ユー」と。

おっさんを突き飛ばして、半開きのドアから飛び降りた。ホモか? ホモなのか? 人が恍惚した表情というのをはじめて見た。目にうっすらとシルクのヴェールが張っていて、そこから真珠の粒がこぼれ落ちそうなのだ。いやいやそんな美しいものじゃない。僕はそれをくだびれたおっさんの目に見てしまったのだ。その表情がなかなか忘れられない。頭の中のさまざまな旅の思い出を食い散らかして居座りやがる。救われたのは、バスを飛び降りた先で客引きに連れていかれた宿が、かなり綺麗でリーズナブルだったこと。「客引きにとりあえずついて行くのもアリだな」そのときやっとそれが分かった。

そして、次はバンコクへ行くことに決めた。旅に出て6日。ほぼ毎日違う都市、違う宿に泊まっている。ヒゲジィのタクシーで何かを掴んだにせよ、このときの僕はまだ、旅から逃げてばかりいた。

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旅人に転職したコピーライター。「未知の細道」「Wanderlust」など連載多数。「手ぶらでインド」「スゴイ!が日常!小笠原」など、旅を通して見つけたモノゴトを発信中。