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2月に読み終えた本

先月、「本をある程度処分しないといけない」と書いたが、↑の画像のようになっている。厳密には自分のものだけじゃないが、どうしてこんなことに…という感じである。蔵書家というほどの量ではないが、これはけっして褒め言葉ではないのだ。ちゃんとした古本屋さんにお願いするつもりだが、はたして…。

プラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)

タイの作家の批評的・哲学的エッセイ。『ゲンロン』に連載されていたのは知っていたが、今回まとめて読んだ。
著者がフィリピンのある島に旅したときの文章だが、冒頭、「逃げる」とか旅が「失敗」であると書かれていて、どうしたどうしたと思わせられる。
彼が逃げているもの、それは著者(あるいは「我々」)が囚われている「自然」に対する態度、具体的に言えば自然に対する「憧憬」である。
著者は環境保護の活動や、(とくに書かれてはいないけど)それとは反対の環境を浪費する生活、いずれも「自然」を他者化・対象化した態度だとし、それへの違和感をずっと考え続けている。彼には、都市的な生活も「自然」であり「環境」であって、その中に自分が含まれているという感覚がある。それがおもしろい。
著者の書き方には従来の「自然」への態度に批判的なところもあるけれど、自分としてはこれは、タイトルにもあるように、単に気づきだったんだなと思う。都市的な自分の肯定。


髙村薫『リヴィエラを撃て』(新潮文庫)

髙村薫作品をはじめて読んだ。スパイ小説もほとんど読むことがないのだが、個人的に好きな二次創作小説作家(オリジナルも書く)が一番好きな小説と言っていて、興味を持った。
「リヴィエラ」というスパイを巡り、次々と時代、場所、人物がめまぐるしく変わっていく話で、陰謀も複雑で細部も書き込まれているので、なかなか読むのが大変だった。しかし登場人物や文章がいちいちかっこよくて、とにかくすげえ…となる。
読了した直後に書いていて、結末を知って「おお…そうなのか…」と呆気にとられている(無論ネタバレになるので言えないし、複雑すぎてうまく話せない)。が、しかしそれも「現実」っぽいのかなと思う。スパイの「現実」のことはよくわからないけれども。


加藤典洋『僕が批評家になったわけ』(岩波現代文庫)

前も書いた気がするけど、この人が「批評」する姿勢、この本では「一階の視点」と呼ばれているものは、終生変わらなかったように思う。
語り口(書き言葉/話し言葉)と難解さ/平明さについての話は、『敗戦後論』の「語り口の問題」につながってて興味深かった。このあたりの話に東浩紀が注目したことが晩年の交流を生んで、僕自身も加藤に興味を持ち始めたというのを思い出した。


『世界哲学史2――古代II 世界哲学の成立と展開』(ちくま新書)

前巻に続いての古代。今巻はさらに宗教の取り扱いが多い。
キリスト教に関して言うと、三位一体の解釈が複雑になって「哲学」的になっていき(神学)、あるいはマニ教やゾロアスター教という異質な宗教を生み出したりと(キリスト教由来なのははじめて知った)、話題がたくさんある。
それ以外では仏教もあるし、この時代は哲学的思索と宗教的思索は切り離し難いものになっているのだなというのを知る。新約聖書もギリシア語で書かれているのもそういうことなのだろう。
あと、以上のものとは別として、コラムで扱われているジョゼフ・ニーダムという人の話は気になった。中国科学史のお話。しかし簡単に読めそうなものが品切れだ。