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落語この人この噺「寿限無」(柳家喬太郎)

 500種類以上あるともいわれる落語の演目で、なにが一番おもしろいかという質問にはそれこそ答えが出ないに決まっていますが、なにが一番有名かと聞かれましたら、これはまず間違いなく「寿限無」だと即答できます。
 それくらいあの、

 ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレ……

 というフレーズは人口に膾炙しております。

 余談ですが、これが2番目3番目となりますと、途端に難しくなります。おそらく2番目は「時そば(時うどん)」で3番目は「目黒の秋刀魚」「まんじゅう怖い」かなと勝手に想像するのですが、あまり自信はありません。

 それくらい、寿限無からはじまる長い名前のリズムや、ひとつひとつのパーツの持つ語感が日本人の耳に心地よく聞こえるのでしょう。

 だからかどうかはともかくといたしまして、この「寿限無」は口ならしや記憶力を養うために、落語家は師匠から入門してからの訓練期間に初めて、もしくはかなり早い時期に教えられ、寄席などでもお目当ての二つ目さんや真打さんの前に、座を整える役を果たす前座さんのやる噺として知られております。
 別の言い方をすると、ほぼ前座さんしかやらない噺となっております。

 なにしろこれほど有名な噺の割には録音が少ない。大正から戦後まで活躍をした三代目三遊亭金馬の著書でも紹介されているだけに、古い噺のはずなのですが、その当の金馬が録音していませんし、また例えば非常にレパートリーが広かったことでも知られる名人古今亭志ん生三遊亭圓生にも録音がない。
 その次世代の立川談志でようやく残されているくらいなのですが、その談志にしてからが、試しにやってみたいと思って改めて練習してみたけれど、

「おもしろくともなんともならない。ただじゅげむじゅげむ言うだけの噺」

 と、ばっさり切って捨てています。

 その「寿限無」のあらすじはこんな感じです。

 待望の子宝に恵まれた熊さんが、近所の物知りの御隠居さんに名づけ親になってもらおうと出向いていく。
 かわいい我が子なので、とにかく健康長寿の期待できるような名前にしてほしいとお願いしたところ、仏教に起源を持つ「寿限無」や「五劫の擦り切れ」といった言葉から果ては「ポンポコピー」や「ポンポコナ」など異国の人名まで飛び出してくる。
 どれも縁起のいい言葉だと教えられて、とても決めきれず、いっそのこと全部をくっつけてやろうと思い立ったから大変で、長い名前がいろいろなトラブルを巻き起こす。

 考えてみますと、私も初めて「じゅげむ」の名前を覚えたのは小学生の頃で、とにかくその長さを全部言えたことのうれしさや、独特のリズムの心地よさが楽しくて、特に名前にまつわるエピソードにまで気に留めなかったように思えます。

 聞くというよりも口にする楽しみの方が強く感じる「寿限無」ですが、これをしっかりと面白い噺に仕立てあげたのが柳家喬太郎です。

 柳家喬太郎。昭和38年東京世田谷出身。平成元年柳家さん喬に弟子入り。前座名さん坊。平成5年二ツ目に昇進。喬太郎に改名。平成12年喬太郎のまま真打昇進。平成15年春風亭昇太らとともに「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げ。平成30年ドラマ版『昭和元禄落語心中』に出演・落語監修も手掛ける。
 オリジナルの新作落語を中心としながら、古典落語の登場人物やシチュエーションをウルトラマンのものに改作した「ウルトラマン落語」や型を重んじる古典落語も手掛けるオールラウンダーとして人気を誇る。

 個性派の多い現在の落語界でも他に類を見ないポジションで活躍する師匠の「寿限無」の録音は、前座噺ばかりを行うという、これまたあまり例を見ない独演会での口演の様子が収められています。

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 けれども、会の趣向は変わっておりますが、ここでの「寿限無」はスタンダードな――落語でいうところの本寸法な展開を守っている、非常に堅実な一席となっております。

 これがやたらに面白いんです。

 江戸っ子しゃべりが溌溂でおっちょこちょいながら息子の誕生を素直に喜んでいる人のよさがにじみ出てくるクマさんと、おだやかに丁寧に相手の身になって話を進めようとする年少の友人への慈しみと親切心にあふれた御隠居さんの、ふたりのやりとりには天然が入っていて楽しいところで、そこにテンポよく笑いやすい雰囲気を作ってくれて、メリハリのついた話しぶりで自然に笑わせてくれる。この流れがすごく心地いい。

 このふたりに限らず、後半に出てくるクマさんのおかみさん(ですからじゅげむ君のお母さんですね)や、じゅげむの友だちといった登場人物のキャラクター造形がたくみで、耳にしてすぐに噺の内容に無理なくおさまってくれるので、聴いていてすっと頭に入ってくるんです。
 特に子どもにつける名前の説明がひとつひとつどれも丁寧なんですね。
 例えば寿限無も「これは仏教のお経に書かれた言葉で、私は本物を見たわけじゃないんだけど」と一節断りを入れる。ほんの短いフレーズですが、これがあるのとないのとでは、ありそうにもない言葉が「もしかしたらあるのかな」くらいになってきますし、それに御隠居のキャラクター把握も大きく変わってきます。こうした積み重ねで、聴きたいところ知りたいところ、かゆいところに手の届くおかげで話に引き込まれていくんです。
 それで時々ちょこちょことわき道にそれる、ところまではいかない軽い脱線(「昔遠い外国にパイポという国があったそうだ」「ぱいぽぉ? ないと思う。そんな国聞いたことないもん」)が無性におかしくて吹き出してしまう。

 くり広げられているのは驚くまでに額面通りの「寿限無」なんですが、間とテンポそれと構成を練ることで存分に楽しめる噺となっています。

 聴き終えて十分に笑わった実感をもらいつつ、くたびれることがないので、ついまたリピートしたくなる一席です。

 また、この「寿限無」の入っているCD『柳家喬太郎名演集1』(PCCG-00889)にはほかにも「子ほめ」「松竹梅」というやはり前座噺が収録されていて、どれも水際立ったおもしろさを感じさせてくれるだけでなく、3本通して1本の話になるようにも構成されていてアルバムとしての完成度も非常に高い1枚となっており、柳家喬太郎という落語家さんを知るのはもちろん、初めて落語を聴くにも最適な1枚となっていると思います。

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