「本屋に聞こえてきた食器の音」とは開放感

「本屋に聞こえてきた食器の音」ではワタナベクンに悪い事をしたと思っている。食器の音を生活の音と言い換えてしまい、何だか自分のロジックに引き込んだ感じがしたからだ。

ワタナベクンが言いたかったことは、本屋とは直接関係のない音が聞こえてきたこと対する面白さにあったはずだ。

最近見つけたある住宅メーカーのCMではカフェリビングなどと名前を使っていた。要するにワンルームにリビング・ダイニング・書斎が程よい広さにまとめられている事らしい。

それぞれが自分の好きなことをしているのに同じ空間に緩やかにつながっている心地よさを表現しているのだと思う。ワンルームの提案は以前からあるが、それをカフェリビングと名付けたのが新しいと言えば新しい。

それぞれが勝手に振る舞っていても程よい距離感でそばにいる心地よさは、「本屋に聞こえてきた食器の音」と共通した感覚ですね。

堀田善衛の小説「広場の孤独」に日本人、特に都会人が、喫茶店が異様なまでに好きで,なにかと利用する云々という下りがある。

日本の会社にしても家庭にしても、つねに閉鎖的であって、人は宿かりのように貝がらの奥に閉じこもり、他人が尋ねて来たときにもそのままの態度で対応する一貫した社会的客観性がえがたいからだと言っている。

「広場の孤独」は50年も前の小説なのでその時とはずいぶん様子が変わってきていて、日本の会社も家庭も開放的になってきたといことだろう。

「本屋に聞こえてきた食器の音」とは開放感のことだとも言える。Y

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