見出し画像

高卒16歳計画(改)

数日前、某国会議員が「コロナで貧困になり大学を辞めざるを得なくなったら高卒になってしまう」という趣旨の発言をして叩かれましたね。

「高卒を見下すような言いぐさ」として反感を買ったようですが、実際「大学に入って体得したかった高等な学びが叶わず、辞めたその時点における最終学歴は高卒」という意味では事実で、(当人を擁護する気はあまりありませんが)行き過ぎた批判なのかなと個人的には思います。

失政には厳しく臨むべきだとは思いますが、失言にはもう少し寛容になってもいいのでは?と思ってしまいます。

さて、前置きから長く逸れましたが、そういうわけで前回提起したトンデモ政策「四大卒20歳計画(仮)」ですが、世の中大卒ばかりでないこと、大学生でも現浪の違いで卒業年齢が異なること、院進する人にとっては四大卒年齢は特段意味をなさないことなどを考慮し、「高卒16歳計画」に改称します。

それなら中卒の人もいるじゃないか、という声も理解はしますが、前回提起の【A】案、【B】案で中学卒業の時期が異なるのでご容赦ください。ー

前回のあらすじ~「高卒16歳計画」とは

・戦後以降続いてきた学制の改革

【A案】 「5・3・3・4制」(小学校5年、中学校3年、高校3年、大学4年)

【B案】 「6・5・4制」(小学校6年、中高一貫5年、大学4年)

・高校卒業16歳、四大卒を20歳とするよう改革する(=現状の制度より2年早く社会進出を促す)

・その効果として

①「2年早く働き始める」

社会人としての経験を積みキャリアアップを実現した上で、結婚・妊娠・育児など多様なライフプランの選択が可能になる。

②「2年長く働き続ける」

所得(貯蓄)水準が高まることで、結婚や出産への金銭的ハードルを下げることができる。

という点が挙げられ、少子高齢化や女性活躍推進への寄与が期待される。

ザックリこんな感じ。今回はこのトンデモ政策は他にも様々な分野に恩恵をもたらしうる政策だ、という主張のもと、その他の効果を検討していきたい。

① 地域創生~「高卒16歳」の意味

冒頭の話に戻るが、より高等な学びを得たいという人は大学に行けばよいが、そうでない人たちは早く社会に出て働けばいいと思う。学校の授業より早く社会で自分の力を試したい、という人だっているだろう。

そして、学校で勉強しようとしない生徒がいるとしたら、言葉を選ばずに言わせてもらうが、長く学校にいさせることは本人にとっても教師にとっても無意味だろう。

なぜなら在籍する期間が何年あろうが本人が学びを積み重ねていくことは多分ないからだ。もちろん学びの楽しさ、重要さを説くことを教師が放棄してはいけないが、それを説く期間が1年から2年、2年から3年になったところで何かが劇的に変わるとは思えない。

学びたくない、ともすれば行きたくもない学校に通っても所得は得られないどころか授業料等出費ばかりが嵩む。それならば社会に出て自立する環境を構築した方が生産的ではないか、という考え方。

そんな人たちが社会で通用していくのか、という声もあるかもしれない。でも世の中に多種多様な職種や豊かなサービスが存在する以上、むしろそうした労働力が存在しなければ社会が通用(成立)しなくなってしまう(林先生が昔似たようなことを言っていた気がする)。

そしてもう一つ、今地方を支えているのは中学・高校を出て地元企業に就職し頑張っている、まさにその人たちではないか(そういう人たちが須らく学びを放棄して社会に出たとは思っていない、勿論学びの限りを尽くして入社した人材もいるだろう)。

なぜ彼らが地元で活躍しているのか、その要因は以下の2つにあると思う。

一つには、地元愛が強いこと。長きにわたりスクールカーストを引っ張ってきた人も多いと想定される中で、地元の仲間意識、愛着が生まれ、知らず知らずのうちに「地元へ貢献したい」という気持ちが強まっていき、それが原動力になっているということ。

もう一つは、上下関係や人間関係に長けていること。部活や地元の先輩たちの厳しい上下関係に揉まれる中で、円滑な上下関係・人間関係を体得していくケースが多く、入社の時点で(ビジネスマナーは知らんが)一定の礼儀作法が身についているのでは、と推測できる。地元の人脈で仕事を獲っていく、という効果も望めるだろう。

地方が生き残りを図る上でも、こうした潜在能力を秘めている人材を早く社会に出さない手はない。

② 人手不足問題

数年前からか企業は空前の人手不足時代に突入した。大手企業もさることながら中小企業の人手不足は深刻。一体労働者はどこに行ってしまったのか、とさえ感じるほどだ。

一方では「働き方改革」が叫ばれて以降、企業の労務管理は厳しさを増す。残業は減らせ、一定の有給休暇は取らせろ、という圧力の裏で受注に追いつくため、資金繰りだけでなく人繰りもしながら何とか工場を回していく。経営者の負担は増すばかり。

生産性も大事なんだけど、それは一定の頭数が前提で初めて議論されることなのであって、そうした意味でも若手人材の台頭が欠かせない。人繰りがつけば受注も拡大の余地が生まれるし、有給取得や残業抑制など従業員に寄り添った施策も取りやすくなり、人材定着に繋がっていく好循環が生まれるはずだ。

③ 貧困問題

「若者の〇〇離れ」が叫ばれて久しい。今どきの若者は酒は飲まねぇ、車は乗らねぇ、などしばしば中高年から嘲笑の対象となっているが、たぶん興味はあっても金がねぇってケースも多いのだと思う。それくらい若者の所得の低さが深刻。少子高齢化に対する効果とも被るが、そもそも所得が底上げされれば若者のQOLは上がり、消費に回す機運も高まるので景気循環の活性化も期待できる。

④ 待機児童問題

これは前回も述べたが幼保一体型(いわゆる「こども園」)推進により、縦割り行政がもたらす非効率をなくしシナジー効果を高める。生まれて間もない頃から就学まで一貫して預けられることで働き盛りの世代は生産性を高めることができるし、社会進出が早まる分、保育士さんの確保も進むだろう。

⑤ ブラック教師問題

試験問題の作成や添削、授業の準備、部活顧問など課外の「残業」が極めて多く、「過労死ライン」を超過するブラック労働ぶりが近年取りざたされている。根深い問題であり解決は一筋縄ではないと思うが、今回の政策では小学校~高校の期間が1年短縮されるため、現在の人頭を維持する前提で考えれば多少は負担減に寄与するのではないか。

⑥ 年金問題

少子高齢化が進めば、年金支給の原資が減るので今の若者世代がもらえる年金が激減するのでは、というのが懸念されている問題だが、そもそもこの政策は少子高齢化に歯止めをかける、というポイントから派生しているわけだから、結局のところそれが実現できれば年金問題の改善にも寄与するということ。あとは18歳成人になり、かつ高校・大学の卒業年次が2年短縮されるとすれば、国民年金の加入時期も20歳⇒18歳に2年前倒しして財源を増やせばいいのでは、と思う。

教育の新時代

とまあ、デメリットについては議論を放棄しているわけだが、この政策を実現する上で最も高いハードルは恐らく教育界の理解なんだろうな、と思う。

週休2日制にして、教科書を薄くしておいて、それでなお1年短縮するのか、と。長年築き上げてきた教育の理想を棄てるのか、と。

僕は教師でもないしPTAでもなく完全にゆとり世代の戯言だが、たぶん教育の現場も効率化を図っていくべきフェーズにあるのだと思う。IoTを駆使した板書の削減や教科書の電子化、「総合学習」や「情報」など新指導要領の成果の検証といったことで、有効な学びの時間は十分に捻出できると考えている。

今の教科書のボリュームは大きく変えずに授業時間を削減していくことで「脱ゆとり」を実現していくべきなんだろうと思う。理想ではなく、リアルな現場の話をしなければ、教育はおろか社会が衰退していく、と。

ー奇しくも巷では「9月入学」導入が検討されていますが、これについては僕は特段こだわりがないというか、どれほど効果があるのかが見えないというのが正直なところです。

国際基準と統一して企業が優秀な海外人材を確保しやすくなる、という利点があるようですが、それって日本人の能力の底上げ、という視点が欠落しているように思います。

大事なことはグローバルスタンダードに平仄を合わせることではなく、グローバル時代に通用するための競争力を高めることではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?