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秘密は秘密にしておけ

「本当に教えたくない○○」というフレーズをInstagramやTwitterでよく見かける。その度に苛々させられる。少し気が短い気もするが、思うから仕様がない。私は捻くれているので、「なら教えんな」と思う。感情と矛盾しているであろう表現が気に触る。


人間は、秘密の共有と特別扱いに弱い。

秘密を共有することは、相手との信頼関係を高めることに繫がる。そして、秘密を抱えることはとても辛いことであり、その重荷を下ろしたくなるものである。ドストエフスキーの罪と罰でも、主人公のラスコーリニコフは自分が犯した罪を隠し続けることに苦悩していた。(と、一丁前に書いてますがいま読んでいる途中です)

だから、誰かに話した秘密は、当人の知らないうちに大勢に共有される。誰もが秘密の重さに耐えることが出来ず、又、誰もがこの秘密が大勢に共有されることを願っている訳ではないのだ。

秘密を秘密のままにしておきたいのであれば、それは誰にも話してはいけない。それが一番確実であり、その辛さに耐えられないのであれば、それは自分の落ち度である。


逆説的に、自分がそれほど隠したいことでなくても、相手に「秘密」として情報を与えれば、相手は「自分を信頼してくれた」と好印象を持つということもいえる。相手の秘密を知ると、他の人は知らないその人のプライベートな部分を覗き見できたような感覚になるのだ。

これが、冒頭で述べた「本当は教えたくない○○」のカラクリなのかもしれない。

あからさまな、秘密になり得ないものを秘密として伝えると私のような天邪鬼がゴチャゴチャ言う可能性はあるが、適度に秘密を話すことは、相手とのより良いコミュニケーションのために必要なものである。


恋愛に於いても、「○○君だから特別に言うんだけど、私本当は○○なんだよね」なんて言えば大抵の人間(男)は楽勝に落ちると思っている。その秘密のレベルさえ間違えなければ。







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