"推し"を決めることは、応援しない子を決めることだよ
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"推し"を決めることは、応援しない子を決めることだよ

大学の先輩がミスiDのセミファイナリストに残っていることを知った。

講談社が主催するミスiDというオーディションは年々多くの人の注目を集めている。
オーディションの様子がすべてネットで公開されるので、いい意見も悪い意見も無作為に本人に飛び込んでくるに違いない。

自分を表現して、誰かに評価されることはいつだってすごくこわいことだ。
しかも比較される相手は、かわいくて個性的な女の子たちばかり。
そこで闘うのはすごく勇気がいることだ。きっとわたしが想像する何倍もしんどくて、大変な思いがあるのだと思う。

大学生の頃に「絶命展」という今は無き渋谷パルコで開催されたファッションの展示に、モデルとして参加させてもらったことがある。

モデルの大半がミスiD関係者で、その他の人はフリーでモデルをやっている人だった。
わたしのように学生で参加している人はほとんど居なかった。

入場無料で、撮影可能ということもあり、オープンと同時にミスiDファンのおじさんたちが押し寄せてきた。

わたしは人気のミスiD出身者と一緒のブースだったこともあり、ファンのおじさんたちはわたしに見向きもせずに隣の子の写真を撮り続けていた。

本来は、若手のデザイナーの作品を見てもらうファッションの展示会であったはずが、内実はミスiDの子たちを無料で見に来たおじさんたちの撮影会のようになっていて単純に残念だなと思った。

隣の子と同じ衣装を着ていても、メイクさんが化粧を直してくれても、彼らにはわたしのことは見えていないようで、誰からも必要とされていない感じはすごく屈辱的だった。
しかし、その場を離れるわけにもいかないので、推しの子に必死に話しかけている彼らの様子を近くで見守っていた。

「応援したい人を決めるということは、応援しない人を決めるということなのだな。」とその時に思った。

会場の中でわたしは必要とされていない人間だったが、自分だって日常的に何かを選び、何かを選ばないということをやっているし、そのことで誰かを傷つけてしまったことがあるかもしれない。

無意識の暴力。それは、すごく人を傷つけるから、何か(誰か)に愛情をつよく傾ける人たちは、応援されていない方の気持ちまで気に留めることができたら素敵だなと思う。

女の子はすぐに顔がかわいいとか、痩せているとか、年齢が若いとか、そんなことで評価されがちだから、ミスiDの審査がそんな表面的な部分だけでなくて、人としての魅力やおもしろさ、可能性なんかを加味して、公平に行われる審査であることを祈っています。

そして、選ばれたとしても、選ばれなかったとしてもそんな一回きりの評価でその人の価値が決まることなんてぜったいに無いし、みんな素敵でかわいいよ、すばらしいよって言ってあげられるやさしい人が彼女たちのまわりに居ますように。

そんな気持ちで今回のオーディションを陰ながら応援しています。

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文月

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