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「本と出会う」が隠すもの 『本の読める場所を求めて』全文公開(8)

第2章 いったいなんなのか、ブックカフェ
⑧「本と出会う」が隠すもの

本との出会い方。読んでいる本の中で言及されていて。好きな作家が影響を受けた作品として挙げていて。ツイッターで見かけて。あるいは知人友人から教わって。僕に関していえばそんな出会い方が多いだろうか。

他にもウェブ上の書評記事や新聞の書評欄で知る人も多いだろうし、雑誌のカルチャーページを大切な情報源としている人もいるだろう。あるいは読書メーターなどの本に特化したウェブサービスで、趣味が合いそうなユーザーをフォローして、その人の本棚に登録されている本から選ぶ人もいれば、Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」から次に読む本を決める人もいるだろう。出会い方はたくさん用意されている。

もちろん書店での出会いは格別だ。目的の本とは別に、まるで思いもしなかった本と目が合い、「呼ばれた」というおかしな気分に見舞われて手に取るあの体験は、やはり実店舗ならではのものだ。それに単純に、本棚というインターフェースの一覧性はかなり強力で、今のところ、あれだけの情報量を一挙に与えてくれる形は、ウェブでは実装不可能なのではないか。書店は尊い。

しかし単に、本と出会う、未知の本を知る、その体験を提供したい、ということだけを考えるならば、実店舗を持つことは必然的に導き出される判断では特にないし、ましてやそれがブックカフェ開業である必然性なんてどこにもないように見える。

ブックカフェが憎くてこんなことを言っているのではない。そうではなく、協会による公式見解に違和感を持っているからだ。「本と出会う」「書店の減少を補う役割を担う」「画一化されていない品揃えへのニーズに応える」……あたかも出版不況への対抗や地域社会への貢献といった、ずいぶん大義のあるものとして書かれているけれど、そんなのって本当だろうかと思う。きれいな言葉でまとめているだけじゃないか、と思う。

もちろんそういった使命感を持って「ブックカフェ」を開業する人もいるだろうけれども、「本と出会う」という役割と本当に真摯に向き合う気のある人だったら、書店の開業を目指すのがやはり自然ではないか。カフェ併設という形を採用するにしても、書店としての機能により重きを置いたものになるのが自然ではないだろうか。ではなぜブックカフェなのか。

「自分らしく、働きたいな」→「お店とかかな」→ 「カフェとかかな」→「どうせなら好きなものを置きたいよね」→「本が好きだな」→「じゃあ本を並べようかな」→「ブックカフェになった!」

案外、こんなところではないか。たとえそうだとして、僕はそれを揶揄するつもりはない。僕自身がこの感覚を持っているし、なんせ、本が並んでいる風景というのはやはり、とても素敵なものだからだ。




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